第一章 ようこそ、カグヤ。

第一話 何者

 波打ち際に青年が気を失って倒れている。

 白い衣服は腹部を中心に赤黒く染まり、投げ出された手足にも擦過傷が見受けられた。目を固く閉じ、荒い呼吸で命を繋いでいる。


 その傍に、二人の男がやってきた。


「ディオン所長、この青年は」


 モノクル——単眼鏡をかけた細身の男の言葉に、ディオンと呼ばれた白いマントの大男は冷静な声で返す。


「連れて帰るぞ」


「しかし」


限界境域げんかいきょういきにこんな子供を置いて置けるわけないだろう」


「近づくのは危険です。先ほど観測した地鳴りとマナの揺らぎはきっとこの者が関係しているはずです」


「分かっている。だからこそ連れ帰って事情を聞くんだ。大怪我もしている、一刻も早い手当が必要だろう」


「この者は防魔具を一つもつけていません。なのにこの限界境域で人間の形を保っているなんておかしい。赤魔が人間に化けているのかも」


 強い進言だった。しかし大男はこれを制し、重い声で返す。


「アルト、命令だ。この子を連れて離脱する」


「……分かりました。所長がそう仰るのなら、僕は従います」


 単眼鏡の男——アルトはやれやれといった表情を浮かべつつ、青年を担いだディオンに続いてその場を後にした。




◆◆◆




 カグヤが目覚めたのは、簡素なベッドの上だった。半分になった視界で天井の木目を眺めながら、彼はあやふやな意識をかき集める。


「……ここは」


「目が覚めましたか」


 横から静かな声をかけられる。首をゆるりと動かして見れば、そこには単眼鏡をかけた几帳面そうな男が座っていた。長い茶髪を右肩へ一本に束ねていて、藍色の瞳をした中性的で整った顔立ち。カグヤより二、三ほど歳上に見える。二本線の腕章と白衣のようなコートを着ており、どこか医者のようにも見えた。


「ここは、どこだ?」


「気分はいかがですか。ご自分の名前は言えますか?」


「かぐや……緋守カグヤ」


「言葉は通じますね。カグヤ君、今日はルーシアの月、ルーシャ第五の日。そしてここは白銀塔はくぎんとう観測所です。分かりますか」


「るーしゃ、はくぎん?」


 それはカグヤには聞き覚えのない言葉の羅列だった。はっきりしない意識と口調で返答できないでいる彼を見て、単眼鏡の男は話を変える。


「あなたは昨日、限界境域内で倒れているところを保護されました。僕たちは貴方を治療し、倒れていた経緯を貴方にお尋ねしたいと思っています」


 カグヤは体の上の布団を少し持ち上げる。服は白いシンプルなものへ着替えさせられていた。それをめくって腹部を確認すると、穴は塞がっている。荊が手足を縛り上げてついた傷も、いくつかの大きな傷跡のみを残して治癒していた。左目があった場所にも、触ってみるとどうやら布っぽい眼帯がつけられている。


「腹に穴が空いてたと思うんだけど」


「それに関しては大丈夫です。治癒魔法はしっかり効いていて、一週間ほどすれば傷跡も消えるでしょう」


「すげえ……ありがとうございます」


「人命救助はこの施設が担う役割の一つですから。それで、貴方はどうしてあんな場所に倒れていたのですか?」


 カグヤは思案する。あの場所ではいろんなことがあり過ぎたので、それを順繰りに思い出しているのだ。

 落下して、怪物と鬼面の女と戦って、そして。


「——そうだ、マリーン! 白いワンピースの女の子がいなかったか!?」


 カグヤは今度こそ覚醒し、勢いよく上体を起こす。単眼鏡の男は「一応治りたてです。もう歩けるとは思いますが急な運動はお勧めしませんよ」と嗜めた。

 そして身体を起こしたカグヤは気づく。自分の首に、重い金属の首輪が付けられていることに。


「なんだこれ!?」


 身じろぎすればジャラジャラ音が鳴る。首輪から伸びた鎖が、ベッドに繋がっていた。よく見ると足にも同様のものがつけられていて、カグヤはギョッとする。


「貴方は一人で砂浜に打ち上げられていました。その話からすると、僕たちが到着する前に他にも人がいたのですね……ますます不可解だ」


「平然と話進めんな!」


「それは一応の処置です。貴方が何者かわからない以上、こうするしかありません」


「どういうことだよ!」


「どうか興奮なさらないよう。身体に障ります。そして話を聞いていましたか? ……どういうことだ、はこちらの台詞なのです」


 単眼鏡越しに、鋭い視線がカグヤを射抜く。




「——貴方はどこから来た、何者なんですか?」




 部屋の空気が張り詰める。ここは小さな病室で、カグヤと単眼鏡の男の二人しかいないようだった。

 そこに扉を開け、いや潜って入ってくる人物がいた。


「おう、起きたかボウズ。でかい声が廊下まで響いてきたぞ」


 金の瞳と臙脂色の髪の男。豊かな髭、深い声と目元の薄い笑い皺から察するに四十代後半ほどである。しかし、一番目を惹いたのはその鍛え抜かれた二メートル以上の巨躯。翼のシンボルマークが描かれた白いマントと腰に差した大剣、白と金の物々しい装束に包まれたその風体は、男が歴戦の戦士、それも高位の者であることをありありと感じさせられた。


「所長」


「おっとお小言はナシだぜアルト。俺はちゃんとボウズの検査をお前に任せた。お前の領分だからな。その上で目覚めるまで廊下で待機してたんだ、待てができて偉いだろ?」


「あのですね、いつも言っていますがそのような品位に欠ける言動はよしてください」


「カカ、まいったな」


 流れるような言葉の応酬に置いてけぼりを食らったカグヤを見て、所長と呼ばれた男は歯を見せて笑う。


「俺はディオン・ガーネット。白銀塔観測所の所長だ。よろしくな」


「はあ……緋守カグヤだ……です」


「ヒモリカグヤか。変わった響きだな」


「カグヤが名前、です」


 ディオンの放つ存在感に自然と敬語になるカグヤ。しかし、ディオンの乱入によって部屋内の重苦しさがなくなり内心ホッとしてもいた。


「そうか。ならカグヤ。急にこんなことになってて驚いただろ、悪いな」


「所長! 貴方は簡単に謝罪をしては」


「いいじゃねえかアルト。別に減るもんでもない。公の場でもない」


「あの、ディオンさん。この首輪は外してもらえないんですか」


 「ディオンさんですって!?」呼称に引っかかるところがあったようでアルトと呼ばれた男が声を上げるも、それを制してディオンは返す。


「それか? ああ、もういいんじゃないか」


「しかし所長」


「検査も済ませて、このボウズは平凡なヒト族だと分かった。こいつが赤魔ならさっき起きた瞬間に首輪の戒めで苦しみ始めるはずだ、だろ?」


 パチンとウィンクするディオンに、アルトはため息で返す。


「はい。それは僕だって分かっています。しかし彼には聞きたいことや分からないところがまだたくさんあるんです」


「そりゃそうだ。だけどまずこっちが胸襟を開いてやらねえと、向こうさんも話してくれる気にはならないと思うぜ? 何かあってもここら一帯なら俺はすぐ駆けつけられる。安心しろって」


「……そうですね。カグヤ君、申し訳ありません。今拘束を解きます」


 アルトがおもむろに横へ右手を上げると、何もなかった場所から杖が出現する。それを握ったアルトは驚いているカグヤに杖を近づけ、コツンと首輪に当てた。すると、カシャリと首輪と足枷が外れる。


「おお……」


「悪く思わないでやってくれ、アルトは今気を張ってピリピリしてる。お前のせいじゃなく、この観測所で起きてる別の問題でな。これでもきちんと務めを果たしてくれてるんだぜ」


 起き抜けから敵対的だったアルトに対し正直警戒心は抜けないが、カグヤは渋々その言葉に頷いた。


「それと、ほら。俺はこれを渡しにきたんだ」


「! それは」


「お前さんの手に握らされてた。服はダメになっちまってたけど、これは綺麗なままだったよ。マナ識別検査も問題無し……大切なモンなら、しっかり持っとけ」


 カグヤの手に渡されたのは、マリーンがつけていた銀鈴の髪飾りだった。


「ッありがとう、ございます!」


 カグヤはそれを握りしめ、これを託してくれたであろうマリーンのことを考えた。

 死の呪詛を引き継いでなお問題ないと言い放ち、カグヤと同じく片目を失ってしまった彼女は今、どうしているのだろうか。


「カグヤ、ちゃんと身体治せ。ガキは健康でいるのが仕事だからな」


 わしわし。ディオンはカグヤの頭をその大きい手で撫でた。

 ポカンとしてしまったカグヤのそんな表情を見届けてか、ディオンは笑って踵を返す。


「カカ。んじゃ俺は山積みの仕事に戻る。アルト、こいつのことは任せたぜ」


「承知いたしました」


 ヒラヒラと手を振って去っていく彼を見送ったあと、カグヤはアルトへ言った。


「あんたの名前、ちゃんと聞いてないんだけど」


「これは失礼。申し遅れました、僕はアルト・サリヴァン。二級長観測師です」


 アルトは出した時と同じようにして杖を消し、はっきりと名乗った。

 真剣な眼差しが交差する。

 少しだけ、本当に少しだけだが、カグヤは心を開いてもいいと思えてきた。




「……アルト。俺が知ってることを、話せばいいんだよな?」


「ええ。どうかご協力をお願いします」

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