序章二 欠けた記憶
大亀に乗せられながら、二人と一羽はゆっくりと海原を進んでいく。先程から、カグヤは彼女に自分の事情をざっくり説明していた。
「とても遠いところから来た、と。……お兄さんの不思議なところは、そのおかげなんでしょうか」
「俺、不思議か?」
「ここにいて、普通にわたしと話してくれる。それだけでとっても不思議なひとです。でもそれ以前に……ううん。難しいことは考えないようにしましょう。この出会いに感謝、です」
先ほどサファと呼んでいた鳥を撫でながら、落ち着いた声で少女は言う。少々要領を得ない内容だが、この穏やかな海のせせらぎと少女の可憐な横顔を見ていると割とどうでも良くなってくる。
別の言い方をすると、どこにも行けない、とも。カグヤは泳ぎが苦手だった。
また道中、彼らを乗せてくれている大亀はミドリさんという名前だと教えてもらった。
「俺自身、混乱してて何が何だか。ここが俺が暮らしてたところじゃないってのはなんとなくわかるんだけどさ」
一度周囲を見渡した。
まず見えるのは一面の青く煌めく海と、その中心に聳えている白い巨塔。塔は空遠く、雲の向こうまで伸びているようで最上階は見えそうにない。
進行方向に見えてきている街と、その上に浮遊している島々、その上に立つ城のようなもの、そして、空に浮かぶ赤い月。聞きたいことがたくさんだった。
「あの赤い月、なんなんだ?」
「
「沈んだりしないのか」
「沈む……? いいえ。あの星は落ちてきたりしませんし、動きません」
塔といい、今乗っている規格外の大きさの大亀・ミドリさんといい、少女の言うことが本当なら、ここがファンタジー世界のような場所なのだろうか。
「もうひとつ聞いていいか」
「もちろん」
「あそこに島とか城が浮いてるように見えるんだけど、あれって普通なのか?」
「うーん、上手い表現が見つかりませんけど、変なことではないと言えます。浮遊大地群は三千年はあそこから動いていませんよ」
「……そうか……」
カグヤはついに頭を抱えた。受け答えする少女の目が澄んでいて、本当のことだとしか思えないからだ。
ついでにカグヤは先ほどから気になっていたことがある。自らが身につけている服だ。昨日自室で眠りについた際の寝巻きではない。病院着のような簡素な白い服。右腕にはタグのようなものが輪になって巻かれており、書かれている長文の文字は掠れてほぼ読めない。かろうじて末尾のアルファベット『C-Tipe-K.H.』が読み取れたくらいである。
自分の服装をを訝しげに観察し始めたカグヤを見て少女がクスリと笑い、穏やかに話を切り出す。
「心配していたより、元気そうな方で安心しました」
「?」
「わたしはてっきり、その、世を儚んで身を投げたのかと」
言い辛そうに彼女は頬をかく。
カグヤはとんでもない誤解をされていたことに気づき、首を横に激しく振った。
「いやいや俺はまだ死にたくない! 気がついたらあんな状況だったんだ!」
「そうなんですか?」
「ああ、なんたって明日は……そうだ、明日、高校の卒業式だった。それで……」
カグヤは一度口をつぐむ。目の前の少女は「?」の顔で言葉の続きを待った。
「それで? どうされたんですか?」
「あーいや、ここで話すことでもないというか」
「変なところで切られたら、とっても気になっちゃいます! わたしは口が固いですよ。なんたって話す人がいませんから!」
友人がいないという類の自虐ネタだろうか。胸を張って言い切る少女に、ちょっと肩の力が抜ける。こうも可愛い子にじっと見つめられると、カグヤは弱かった。
カグヤは明日、絶対やり遂げたいことがあった。それは──。
「実は、こ、告ろうと思ってたんだ」
「ほほう。告る。それはいわゆる愛の告白ですか?」
「そ、そう! 正直三ヶ月くらい悩んだけど……やるなら明日しかねーと思ってさ」
揶揄うように首を傾げる少女に、照れくさくて声が裏返る。話してしまったことを少し後悔しているが、なんだか彼女の前ではなんでも話したくなってしまう。
「お相手はどんな方なんですか?」
決行は式が終わった直後の予定だった。カグヤの一世一代の大勝負。カグヤにとって『彼女』は大切な──大切な──?
急に思考にノイズが走る。
「それは、……?」
ゆるんだ表情、浮き足だった雰囲気から一転。カグヤはその顔を両手で覆い、その表情は愕然としたものへと変わる。
「どうかしましたか?」
「……思い出せない。あいつのこと」
おかしい。
顔も──思い出せない。
声も──思い出せない。
思い出も──何もかも。
大きすぎる感情だけを残して、そこにはぽっかりと大きな穴が空いていた。
なぜ? どうして? 底知れない喪失感と恐怖が思考を覆い隠す。
何より、こんな自分が信じられない。
もしかして自分は自覚がないだけで、たくさんのことを忘れている──?
「──さん、お兄さん!」
「!」
「呼吸が乱れています。深呼吸です」
「……おう」
潮の香りをいっぱいに吸い込み、吐き出す。
気が動転していたようだ。
ここで目を覚ましてから、醜態の連続である。カグヤは少女に申し訳ない気持ちになった。
「いろいろお話を聞いて、お兄さんに複雑な事情があるのは分かりました。おまけに精神状態も心配です。ますます街へ行く必要があると思います。……わたしは治療魔法は苦手で、この海に医者はいませんから」
少女の瞳に一瞬寂しさが映り込んだ気がして、カグヤは言葉に詰まった。
「……」
「ご安心ください! わたし、陸地に近づくのは初めてですけど、知識はバッチリ、です!」
「初めて?」
「ちょっと生まれが特殊なので……それよりどうですか? 街に着くまで、軽く自己紹介とか」
「そう、だな、賛成」
なんだか話を逸らされた気がするが、ここまで言葉を交わしておいて、まだお互いの名前も知らないのもおかしな話だ。気を紛らわせるのにも悪くないだろう。
「俺は緋守カグヤ。カグヤでいい」
「カグヤ……カグヤくんですね。ご趣味は?」
「え」
さらに切り込んでくる。名前だけでは不十分だったらしい。お見合いかとツッコみたくなるところを抑え、カグヤは休日の記憶を掘り起こした。
「料理かな。頼まれて作り始めてから、なんか好きになった」
「わあ……! 憧れます」
「そうなのか」
「わたしは細かい作業苦手で。さっきの【水の手】もサファの力を借りて恐る恐るでした」
「サファってその肩の鳥だよな。それに【水の手】って……もしかして魔法ってやつか?」
「そう、わたしの魔法です。そしてこの子、サファは友達なんです」
「ピ!」
サファは誇らしげな声音で鳴く。なんだかその様子が面白くて、二人は声を合わせて笑った。
「すみません。つい楽しくて長々と聞いてしまいました。わたしの番、ですね」
「そうだな。良かったら聞かせてくれよ」
陸地も近づいてきている。そろそろ次の話題に移ってもいい頃だ。
不思議で、可憐で、命の恩人な少女。カグヤが彼女のことを知りたいと思うのは、ごく当然のことだった。
唯一残念なのは、彼らの穏やかな時間は、もう時間切れということだった。
「わたしの名前は、」
──バシャァァァァン!!
大きな衝撃音と共に、目の前の水面が大きな音を立てて捲れ上がる。
揺れと共に大量の海水を頭から被るも、足元のミドリさんは懸命にバランスを保ってくれた。
「きゃあ!」とよろめく少女を咄嗟に腕で支えながら、カグヤは突如頭上に現れた『それ』を見る。
唖然。
「龍、か……?」
赤い角を持つ巨大な龍が、そこに現れた。
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