カグヤ龍塔物語
竹取おきな
序章
序章一 落下から始まる英雄譚
天の古き星々より、赤と青の龍墜落す。
双龍【斑ら星】争奪し
その闘諍、世の理を曲げる。
赤龍此れを手中とし、【白星】へ青龍追放す。
青龍涙を海と成し沈み、種と魔を生む。
此れが青天大地の興りなり。
【蒼天伝-失われた石片より】
◆◆◆
青年の目覚めは突然だった。
ごうごうと強い風が耳を撫でていく。両手両足が制御を失ってバタバタと動き続け、身体のバランスをとることができない。
「……?」
彼は何が起こっているのか理解できず、「何だ?」と呟こうとした。しかし、呼吸がままならず掠れた音として吐き出されていった。
白く靄がかかった視界が突如開ける。そこには遠く地平線まで広がる青色、つまり海があった。
ここで彼は気づく。
自分は今雲を突っ切って──遥か上空から海に向かって落下しているのだと。
今度こそ、腹の底からの絶叫。
「は、あ!?!?」
時間が加速する。
彼の赤い両目が驚愕で見開かれ、ぼんやりとしていた視界と思考がクリアになる。同時に全身にかかる空気抵抗が途端に強くなった。これは夢なんかじゃないのだと、冷酷に訴えかけるかのように。
スカイダイビングなんてテレビの中でしか見たことがなかった彼は、パニックになりながら身を捩る。
めちゃくちゃに暴れる服が彼の首を締め上げ、自らの黒髪が視界を忙しなく行き来するも、落下を続ける彼にはどうすることもできなかった。
(やばい。死ぬ。落ちてる? くるしい。何がどうなってる。死ぬ。このままじゃ死ぬ。俺、どうして──)
千々に乱れる思考の中、彼は身を捩ることしかできない。
青い空と海の間で身体が幾度も回転し、それでも絶望的に長い滞空時間によって彼は周囲を目視することとなる。
すぐそばに、白い絶壁があった。
それはどうやら巨大な縦型の建造物だ。落下し続けている彼の横で、多くの窓を開いてこちらを見下ろしていた。
残念ながら、手は届きそうにない。
「なんで、だ! 死にたく、ない!!」
伸ばした手は空を掻き、二度目の絶叫と共に身体が一回転。
そして次に見えたのは──青い空に浮かぶ、見覚えのない天体。
「赤い……」
赤い月のようだ。彼はそう思った。自分の記憶の中にある月より何倍も大きいそれが、落ちていく彼をじいっと見ていた。
しかし意識が空に逸れたのも束の間、海面は彼の背後に迫っていた。
いくらぶつかるのが水で地面ではないと言えど、無事で済むはずがない。
「や、やばッ。うわああああああ!!」
呆けている暇は無かった。数千メートルを数十秒で使い切った彼は、せめてもの抵抗として頭を腕で覆い、目を閉じ歯を食いしばって着水に備える。
走馬灯さえ追いつかない速度で、
落ちて落ちて落ちて──。
ちゃぷん。
そんな音がした。
「……。……ごぽぽ?」
「はーっ、間に合った!」
水越しに可愛らしい声が聞こえた。
水泡を吐き出して彼は驚く。どうやら着水したらしいが、想像していた強い衝撃が来なかった。
「お、お兄さん! 降ろしますからもう少し我慢してください!」
水越しにゆらゆらとした白っぽい人影が見えた。
ああ。もう誰でもいい。助かるなら何でもいい。彼がぶんぶんと必死に首肯すれば、「サファ、いくよ」「ピィ」と外から再び声がした。
バシャリと彼を覆っていた水が散り、今度こそ固い何かに着地する。
「ぷはっ! げほ、げほげほ……」
「大丈夫ですか?」
滲む視界で視認できるのは、大きな甲羅のようなもの。四メートルほどの亀のような巨大生物が浮かんでいて、彼と声の主を乗せていた。
甲羅の上で四つん這いになり、声の主に背中をさすってもらいながら彼はなんとか口や鼻に入った水を吐き出す。
「はあ、はあ、助かった……ありがとう……」
「どういたしまして、です。間に合って本当によかった……すごい、生きてますね!」
必死に呼吸を整えた彼が顔を上げれば、先程からの声の主と相見えた。
銀の鈴に赤いリボンを巻き付けた髪飾り。左右に二つに結えた、薄水色の長髪。至近距離でこちらを覗く真っ青な宝石のような瞳。白いクラシックなワンピースの右肩には、青い鳥が留まっている。現実味のない可憐な少女だった。
あまりに非現実で破壊的な美しさに、彼は目が離せず、一瞬呼吸が止まる。
彼女はじっと見つめたまま動かない彼を見て、わたわたと両手を動かしながら叱られる子供のように不安げな声で喋り出す。
「……」
「お、驚かせてしまってごめんなさい! 塔の魔女が人間を食べるというのはただの悪い噂なんです! わたしは無害です!」
「……」
「お願い逃げないで……って、えっ!?」
「……」
「逃げるどころか泣くほど痛むところが!? わーっどうしようサファ、【水の手】の力加減間違えちゃったかな!?」
「ピィ」
慌て始める彼女の言葉を受けて始めて、膝立ちになっていた彼は目元を拭う。海水とは違う温かい雫が手に伝った。
「なんだこれ……」
「無理しないでください、さっきまで死ぬ直前だったんですから! 息は苦しくないですか? どこか不調は?」
目元をゴシゴシ擦りながら彼自身困惑する。心当たりがなかったからだ。なんだかまずい。落ち着け、落ち着け、これは海水だと自分に言い聞かせる。
「いや待て違うから! 大丈夫、だから」
「本当ですか?」
彼女は先程自分を助けてくれた恩人である。心配をかけるのは良くない。この涙はきっと、さっきまで危機的状況にあったせいで、感情の制御がおかしくなっているだけだ。時間差でドッと涙腺にくるアレである。
「——怖い思いをしましたね」
「!」
温かい少女の両手が、彼の涙に濡れた手を包んだ。手つきはまるで幼子を安心させるそれで、彼はなんだか複雑な気持ちになった。
実際、彼は目が覚めてからずっと混乱していた。だけどきっと、怖かったのも本当だ。実際、先ほどの状況で失神しなかったのは奇跡と言える。
滲む涙をぐっと拭い、彼は言った。
「ありがとう。悪い、もう大丈夫だ」
「わたしの方こそごめんなさい。塔の魔女は人と触れ合っちゃいけないのに、泣いているあなたを見ていたら何だか放っておけなくて。でも、うう……わたしもこうやって話せる人に会えて浮かれてたかも……」
パッと手を離し、恥じ入りつつ反省モードに入り始める少女。思考が全部口から出るタイプなのか、それとも言葉から察するに人とほぼ話したことがないのか。
真実がどうであれ、彼はフォローすべく正直に答える。
「俺は別に嫌じゃなかった。塔のナントカとやらに俺は聞き覚えがないし、お前も別に怖くない」
「──本当に?」
信じられないという表情で目を見開く少女。真意は分からなかったが、彼は「ああ、本当だ」と頷き返した。嘘は嫌いなので。
彼女は青い瞳を煌めかせ、感激したように両手を胸の前で合わせて言葉を返す。
「不思議な人。本当にわたしが怖くないなんて。それに、嘘をつかない。とっても優しいんですね」
「?」
嘘をつかないと断言され、彼は首を傾げる。不思議な言い回しだった。しかし彼女はそんなカグヤの様子は気にせず、こう続けた。
「あえて事情は聞きませんけど、きっとご家族が心配してますよ。よければお家までお送りします。ルシフェラード王国の方角で合ってますか?」
安堵、そしてちょっぴりの寂しさを織り交ぜた表情になった少女は、どうやら親切にも彼を陸地へ送り届けてくれるようだった。
やっぱり俺を子供扱いしていないか? カグヤは頭の淵でそう思ったが、口に出すのは野暮だった。
さて。それよりも、彼は思い出したことが一つあった。言い忘れというべきか。
「あ、えっと」
人間、一度泣くと冷静になれる。これ自体は皆経験するところだろう。
今度こそ冷静になった彼には、目覚めてから本当に発するべき第一声があった。
「聞きたいんだけど……ここは一体、どこなんだ?」
彼の名は
高校三年生、十八歳。
現代日本の記憶を持った、正真正銘の迷い人である。
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