第11話

「カオルちゃん、遅いわねぇ。電話もつながらないし……。今日、お店に行ったことまだ怒ってるのかしらねえ、あなた……」

カオルの自宅では、母のフレイアが一人で仏壇に向かって話をしている。仏壇には家族三人が笑顔で並ぶ写真があり、そこには今は亡きカオルの父親がいた。

フレイアはカオルが事故にあったことはまだ知らない――。


「でも、あの星川さんっていう女の子、カオルちゃんのお友達かしら。中学ではいつも一人で、よくいじめられて泣いて帰ってきて……バイトするって言いだしたときは心配だったけど。あの子も少しずつ成長してるのね……」

 そのとき、玄関の扉が開き誰かが入ってくる音がした。フレイアはカオルが帰ってきたと思い笑顔で出迎えるが、リビングに入ってきたのは見た目が二十代前半に見える女の子だった。蒼く長い髪を持ち、キトンと呼ばれる古代ギリシャ人の衣服をまとっている――。


「久しぶりね。フレイア」

「あら、アトリア様じゃありませんか! どうされたんですか?!」

 フレイアはその女性を知っていたようだが、突然の訪問に驚いている。

「お前のことは上からたまに見てはいたが、元気そうでよかった」

「アトリア様こそ、お元気そうで……。前にお会いしてから、どれくらい経ちますか」

「お前が、この世界に降りたときだからな……百年ほど経つか」

 アトリアという女性は冗談ではなく、真面目な顔でそう答える。

「もうそんなになりますか……。お姉様は相変わらずお綺麗で」

「こんな人間の見た目の容姿など、何とでもなる……」

 そこでは大人の女性二人がするとは思えない会話が続いていた。

そう、この二人は人間ではない……。


アトリアはソファーに座り、テーブルの上の雑誌をパラパラとめくった。フレイアは湯をわかし、お茶を入れている。

「あの……もしかして今日お姉様が来られたのは、さきほどの時間の逆戻りと関係あるのですか……」

「やっぱり気づいていたか。そうだ……私がやった」

「そうでしたか……。前にこの世界で逆戻りがあったのは十年前、私の夫が神に召されたときでしたね。あのときはハマル様が来られました」

「お前の夫が……そうだったか。それじゃあ、私がここに来た理由もわかる……だろう」

 それを聞いて、フレイアは何かを察し、ピタリと手が止まる。そして立っていることができず膝をついて崩れ落ちた。


「……まさか」


「そうだ……お前の息子も神に召された」

「そんな……カオルが……!」

「神に召されるため、私が逆戻りを起こしたのだ」

「そんな……嘘です!」

「嘘ではない。私がそんな冗談を言わないことは知っているだろう」

「そんなこと……うっうぅ……」

 その後フレイアはしばらくの間泣き崩れ、話をすることができなかった。

すると突然、家の電話が鳴る――。


「えぇ……そうです。カオルはうちの子です。……ええ……はい……うっ……うぅ……」

 フレイアは涙を流し嗚咽しながらも、何かを必死にメモしている。

「……わかりました……すぐに向かいます」

 フレイアは受話器を置いた後、うつむいて顔を上げることができない。

「警察からか?」

「はい……。これから病院に向かいます。スリップしたトラックの事故ということでした」

「ああ、そうだ。残念だが……」


「やはり、あの『ミラ』という子も、眷属けんぞくだったのですね」


「……お前はミラに会っていたのか」

「実は今日会ったばかりで。私と同じ眷属であるとはすぐにわかりましたが、まさかこんな突然に……まだ信じられません……」

「トラックは最初、ミラをはねた。人間なら即死だったよ。そして蘇生したところを運悪く息子が見てしまった。私たち眷属の能力に気づいた人間は強制的に神に召される……。天国に行くことが保証されてはいるが、地上に残されたお前が辛いということは私にもわかる。それも夫に続いて息子まで……」

「夫のときも事故でした……。二人で車に乗っているときに、他の事故に巻き込まれたんです。そして、私が不死だと気づいてしまって」

「お前はなぜ眷属となったんだ?」

「百年前、私がまだ天界で女神とされていたとき、ハミル様の衣を踏んでしまったのです。そしてお怒りになって、しばらく地上に降りろと」

「そ、それだけのことで……」

「それは一つのきっかけで、理由は他にもいっぱいあったと思います。私は失敗ばかり繰り返していて女神としての自信を無くしているときでした。今は、眷属として地上に降りてよかったと思ってますよ。でも、これから一人でどうしていけばいいのか……。カオルがいない世界など……。か、考えられません……」

 フレイアはまた目から涙が溢れ、またしばらく動けなくなってしまった――。

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