外話1

 訓練場に魔法の光が瞬き、空気が震えていた。


 場内の一角に佇むリリアの周りには、次々と朱色の魔法陣が展開される。焔の矢が雨のように降り注ぎ、ファーンに襲いかかる。


 一撃一撃に凄まじい威力が込められている。名門の魔導家に生まれ育ったファーンとて、この猛攻の前には後退を余儀なくされた。


「ウォーターシールド!」


 ファーンが詠唱を放つ。


 水属性の障壁が立ち上がるが、リリアの純度異常な炎魔法の前では、まるで紙細工のように脆く、一瞬で蒸発していく。


 その時、リリアの攻撃に明らかな隙が生まれた。ファーンはその機会を見逃さない。身体強化の魔法を纏い、矢のように距離を詰める。


「リリアお嬢様、近接戦になったら不利ですよ」

 ファーンが余裕げな笑みを浮かべる。勝利を確信したかのような表情だった。


 だが、リリアの唇が嘲るように歪む。


「そう思って、わざと仕掛けた罠に飛び込んできたわけ?」


 ファーンの表情が凍りつく。


(まずい...)


 巨大な魔力に照準を定められていることを悟った時には、もう遅かった。

 リリアの前方で魔力が渦を巻き、眩い光となって収束していく。その手が前方へ突き出される。

 そして──轟音と共に、恐ろしい魔力の奔流が解き放たれた!


 しかし、必殺の一撃が虚を突いていた。ホッと息を吐く間もなく、ファーンの視界の端に一筋の光が走る。


 気付けば、リリアの手には淡い金色を帯びた短剣が握られていた。


 その姿は瞬きの間に消え、まるで夜陰に潜む妖精のように、ファーンの死角から襲いかかる。


 刃は陽光に煌めき、美しい弧を描きながら、死の優雅さを携えていた。


「な、なんだって...!?」


 驚愕の声を漏らすファーンの目の前で、リリアの姿が鮮やかに浮かび上がる。

 学園の標準制服──純白のブラウスに薄灰色のプリーツスカート、そして深紅のブレザー。黒のタイツに包まれた細い脚が、しなやかな動きを見せる。


 本来ならどこにでもある制服なのに、彼女が着こなすとまるで特別な衣装のように輝いていた。


 漆黒の髪が風に揺れ、陽光を浴びて綺麗な光沢を放つ。


(こんな時まで見惚れてどうしたんだ、俺は...)


 ファーンは自分の思考に驚く。確かにリリアは、人形のように整った顔立ちをしている。

 だが今、そのかわいい瞳には鋭い殺気が宿っていた。清楚な佇まいとは真逆の、冷徹な戦士の眼差し。

 その極端な二面性に、ファーンは思わず心を奪われる。


 閃光が走る。

 リリアの動きは白鷺の舞のように しなやか で、短剣が描く軌跡は芸術的ですらあった。

 ファーンは必死で受け止めるものの、その度に伝わる衝撃に腕が痺れる。


(こんな華奢な腕から...まさかこれほどの力が...!)


「これが望んでいた近接戦...ということですかね、殿下?」


 リリアの唇に浮かぶ艶やかな微笑み。つま先で軽やかに地を蹴り、まるで蝶のように優美に舞い上がる。


 スカートが風を孕んで広がり、彼女の完璧なシルエットを月光のように浮かび上がらせる。


(美しい...)


 ファーンは思わず見とれてしまう。リリアの一挙手一投足が息を呑むほどの美しさを放っている。


 まるで優雅な舞踏のように──しかし、その舞踏の中には確実な殺意が秘められ、一つ一つの回転が死神の鎌となって襲いかかってくる。

 必死に応戦するファーンだったが、目の前の少女の本質が掴めない。

 まるで手の中の砂のように、確かな実体を感じながらも、すり抜けていってしまう。


「...降参です」

 ファーンは両手を上げ、苦笑を浮かべる。


 だが、その視線はリリアから離れない。

 少し上気した息遣い、運動で薄紅色に染まった頬、そして鬢の生え際に光る細かな汗粒──その全てが、彼の心拍を加速させていく。


 リリアは短剣を収めると、乱れた髪と制服を軽く整えた。

 彼女は優雅にお辞儀をする。耳元の髪を手で掻き上げる仕草には、貴族の令嬢としての気品と優美さが滲み出ていた。


 去っていくリリアの後ろ姿。風に揺れる薄灰色のスカート、黒タイツに包まれた繊細な脚線美、そして凛として真っ直ぐな背筋。その全てがファーンの視界を占めていく。


「本当に...魅惑的で捉えどころのない子だな...」


 ファーンは生唾を飲み込みながら、惚れ惚れとした眼差しで呟いた。その瞳には、もう隠しようのない憧憬の色が満ちていた。


 …


 午後の陽光がガラス窓から廊下へと差し込み、二人の少女の影が長く伸びていた。


「あの...リリア」

 エリスはリリアの後ろをそっと歩いていた。


 入学当初に比べれば随分と打ち解けてはいたものの、田舎娘特有の遠慮がちな仕草は相変わらずだ。彼女は声をひそめ、少し探るような調子で続けた。


「最近ね...ファーン殿下が、リリアを呼び出す機会、すごく増えてるみたいだけど...」


 言いながら、エリスの顔にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。それは、リリアの前でしか見せない特別な表情だった。


「まったく...第三王子だからって、適当に手合わせしてあげる程度よ。それ以上は御免だわ」


 リリアは足を止め、肩を軽くすくめた。翠玉のような瞳には、どこか超然とした色が宿っている。


「どう思われようと勝手よ。私には興味ないもの」


「えへへ~」


 エリスは自分の大胆な発言に照れくさそうにしながらも、その目には悪戯な光が宿っていた。


「さすがリリアだよ...第三王子すら眼中にないなんて」


 彼女はさらに身を寄せ、声を潜めた。


「カリスさん、最近すっごく焦ってるみたいだよ?」


「はぁ...」

 リリアは小さく溜め息をつく。


「彼らの恋愛ゲームに、どうして私を巻き込もうとするのかしら」


「だってリリアは、リリアだもん!」


 エリスは思わず声を弾ませ、すぐに恥ずかしそうに俯いた。けれど、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。


 二人は笑い合いながら廊下を歩いていく。差し込む陽光が制服に温かな色合いを添えていた。

 エドワーズ魔法学院に入学してから、性格の正反対なこの二人は、切っても切れない親友となっていた。


(最初は人と目も合わせられなかったのに...)

 リリアは思い返す。初めて出会った頃のエリスは、いつも一人ぼっちで、誰かと話す時も目を合わせられないほど緊張していた。

 それが今では、こうして冗談も言えるようになって...本当に嬉しい変化だった。


「リリア...」


 突然、エリスの表情が真剣になる。少し躊躇いながらも、彼女は静かに続けた。


「その...髪の毛、またもう少し白くなってきてない...?」


 その声には深い心配が滲んでいた。


「大丈夫よ」


 リリアは優しく微笑んで、エリスの髪を軽く撫でる。


「先生も言ってたでしょう?ただの魔力の影響だって。何も心配することないわ」


 そう言いながら、エリスの血色の良い頬をつついた。


「それより、田舎から来た時なんて、日焼けして黄色っぽかったのに。今じゃ魔力のおかげで陶器のお人形みたいな肌になって...羨ましいくらいよ」


 エリスは照れくさそうに頬を撫で、入学したての頃を思い出す。窓の外に目を向けながら、柔らかな声でつぶやいた。


「そうだね...魔力って、本当に人を変えちゃうんだね...」

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