第15話 父からの認め

 突如、レインは右手の剣を放す。

 落下する剣を左手で受け取りながら、体を一転。


 この予期せぬ持ち替えによって、受け止められたはずの斜めの一撃が、水平に薙ぎ払う一閃となり、チャールズの腰を狙う。


 チャールズは驚きを隠せなかったものの、身体が本能的に半歩後退し、辛うじてその一撃をかわす。

 だがその半歩の譲歩に、十分だと思う。


 息つく暇も与えず、レインの攻めが潮のように押し寄せる。

 一つ一つの技に全身全霊が込められ、教えられた基礎に、彼なりの解釈と革新が織り交ぜられていた。


 しかし突如、チャールズの気配が一変する。

 鋭利な動きで、レインの繰り出す全ての攻撃を軽々と受け流し、続く一撃でレインの剣を弾き飛ばした。


 気付いた時には、レインは既に地面に転がっていた。

 喉元にチャールズの剣先が突きつけられている。


「申し訳ありません、父上。私は...」

 レインは落胆した様子で呟いた。


「いや、十分だ」

 チャールズは さりげなく剣を収めながら、レインの手を取って立ち上がらせた。


 ....


 星の消えた夜。


 コンコンコン。


「俺だ」


 チャールズの落ち着いた声が戸口から聞こえてきた。


「書斎まで来てくれないか。話がある」


 足音が遠ざかっていく。レインは能力表示から意識を戻し、素早く上着に着替えると、そっと部屋を出た。


 廊下には魔法の灯が幾つか掛けられ、深夜の闇に柔らかな光の輪を描いていた。馴染んだ道筋を辿って、レインは書斎へと向かう。


 重厚な木戸を開けると、温かな明かりが漏れ出してきた。


 そこで目にしたのは、父上だけではなく、いつもなら早くに休むはずの母上、カロリンの姿もあった。書斎には紅茶の香りが静かに漂っている。


 普段は父の執務スペースとして使われるこの場所が、今夜は何か特別な空気を纏っているように感じられた。


 テーブルの上には、湯気の立つ紅茶が三つ用意されている。


 チャールズに促され、レインは向かいの柔らかな椅子に腰を下ろした。


 揺らめく燭の光に照らされた父の表情には、いつにない厳かさが浮かんでいた。


「お前は、私の予想をはるかに超えてくれた」


 チャールズの声には、抑えきれない誇りが滲んでいた。


「少なくとも今なら、お前のやりたいことを任せられる。危険な目に遭っても、身を守れるだけの力はついた」


 傍らでカロリン夫人が、茶杯の縁に優しく指を這わせながら、寂しさの滲む柔らかな声で呟いた。


「レインちゃんまでこんな遠くへ行ってしまうなんて、ママ、寂しくなってしまうよ」


 両親の言葉に、レインは思わず拳を握りしめた。胸の内に込み上げる感情を抑えながら、言葉を紡ぐ。


「この一ヶ月、父上の訓練、本当にありがとうございました」

「最初は、自分の置かれた状況も理解せず、無謀で的外れな決断をしてしまいました」

「でも、父上の訓練のおかげで、希望が見えてきました」


 チャールズは茶杯を手に取り、一口啜ってから静かに尋ねた。


「では、いつ出発するつもりだ?」


「明日でいいか?」


 レインは切迫した様子で尋ねた。


 リリアとの約束から一年...あれから一ヶ月が経とうとしていた。もう、これ以上の遅れは望まなかった。


「本当にリリアのことが気になるんだな」


 チャールズは目尾に笑みを浮かべ、からかうように言った。


 灯りに照らされたレインの顔が、一瞬にして朱に染まる。

 彼は恥ずかしさを隠すように俯いたが、その口端には思わず温かな微笑みが浮かんでいた。


「では、召使いたちに荷物の準備をさせて、明朝には見送りができるようにしましょう」


 カロリン夫人の優雅な声音には、かすかな名残惜しさが混じっていた。


 チャールズは妻を一瞥し、小さく溜め息をつくと、書斎の引き出しから一通の手紙を取り出した。


「これを大切に持っておけ」


 彼は手紙をレインに手渡した。


「冒険者として登録する時に、大いに役立つはずだ」


「冒険者ギルド...ですか?」


 レインは手紙を受け取りながら、少し戸惑った様子を見せた。

 その言葉は彼にとって馴染み深いものであったが、この世界では初めて耳にする言葉だった。


 燭光がチャールズの凛とした横顔を照らす。


「外の世界には数えきれないほどの物事がある。一度に全てを説明するのは難しい。冒険者ギルドに加入することが、外の世界を知る最良の方法だ」


「はい、父上。承知いたしました」


「もう用は済んだ。部屋に戻って準備をするといい」


「かしこまりました」


 レインは両親に礼をして、静かに書斎の扉を閉めた。


 廊下の向こうでレインの足音が完全に消えるまで待って、チャールズはカロリンの方を振り向いた。

 その目には深い謝意が浮かんでいた。


「すまない...レインとリリアには普通の生活を送らせると約束したのに」


 カロリンは静かに首を振った。窓から差し込む月光が、彼女に柔らかな銀色の輝きを纏わせている。


「あなたのせいではありません。二人の未来は、私たちには決められないものなのです」


 突然、カロリン夫人のいつもの穏やかな雰囲気が消え失せ、代わりに神秘的な威圧感が漂い始めた。

 彼女の瞳から不思議な紫の光が放たれ、その声は俗世を超越した予言のような響きを帯びていた。


「二人の未来は...彼ら自身にさえ、決められないものなのです...」

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