第5話 嘘ついたら針千本飲ます!

 月明かりが薄絹うすぎぬのように、手入れされた屋敷やしきの庭園を優しく包み込んでいた。

 夜風が そよぐたび、金木犀キンモクセイの香りが漂ってくる。


 リリアは自室には戻らず、庭園の石の椅子に一人腰を下ろしていた。

 星空を見上げる瞳には、数えきれないほどの想いが映っている。


「教会のことを考えてるの?」


 突然の声に、リリアは小さく肩を震わせた。

 振り向くと、レインが湯気の立つ茶を両手に持って、こちらへ歩いてくるところだった。


「うん....ありがとう」

 リリアは小さな声で答え、レインから差し出された茶碗を受け取った。


 レインはリリアの隣に腰を下ろし、同じように星空へと視線を向けた。

 二人は何も語らず、ただ茶を啜りすすりながら、この静かなひとときを共有していた。


 長い沈黙の後、レインがそっと口を開いた。


「メル様が何を言ったのかは分からないけど。今、話したいことが沢山あるんじゃないかな」


 リリアは俯いたまま、黙り続けていた。


 レインは優しく妹の頭を撫でながら、柔らかな声で言った。


「これから何が起きても、僕はずっとリリアの側にいるよ」


 その言葉に、リリアの瞳に涙が滲んだ。


 茶碗に映る自分の姿を見つめながら、リリアは一瞬躊躇ちゅうちょった後、震える声で言った。


「レインと離れたくない...怖いの...」


 レインは眉を少し上げた。


「どうしたんだ?」


「あの...」

 リリアは唇を噛んで、言葉を繋いだ。


「メル様が、エドワーズに行って欲しいって...」


「魔法を学ぶのは、ずっとの夢だったけど...」


 リリアの声が震えた。


「でも、あそこは遠すぎる...レインに会えなくなっちゃう...お父さんもお母さんも....」


「それに、メル様から言われたの。卒業するまでエドワーズから出ちゃダメだって」


「覚えてる?小さい頃に読んだ小説。あの、旅する魔法少女のお話」

 レインは優しく尋ねた。


 リリアは唇を引き結びながら、小さく頷いた。


 大好きだった物語の一つ。

 あの頃、毎晩のように「もう一回読んで」とレインにせがんでいたっけ。


「本の中でね、偉大な魔法使いは皆、別れと孤独を経験するって書いてあった」


 レインは妹の髪を優しく撫でながら言った。


「でも、それは終わりじゃない。新しい始まりなんだ」


 そっと微笑んで続ける。


「リリアはずっと、すごい魔法使いになりたいって言ってたよね?」


「でも...」


 リリアは唇を噛みしめ、震える声で言葉をつむいだ。


「せめて...お兄様だけでも...ずっと側にいて欲しかった...」

 その言葉には、想いが痛いほど込められていた。


 レインは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 一瞬の沈黙の後、柔らかな笑みを浮かべて言った。


「いいよ。リリアが側にいて欲しいなら、一緒に行くさ。家でぶらぶらしてるより、リリアと一緒に外の世界を見てみるのも悪くないだろう?」


「えええ...!?」

 リリアは驚きの声を上げ、目を丸くした。


「レインってば、本当にバカ!エドワーズがどこにあるか、分かってるの?」


 その表情には、呆れと喜びが入り混じっていた。


「どこにあるんだ?」レインが首を傾げた。


「ぷっ...」


 リリアは兄の反応に思わず吹き出した。

 涙を浮かべていた目が、笑みに変わる。


「レインってば、場所も知らないのに付いて行くなんて言って。エドワーズ学院はフレッド王国の南部よ」


「アンダーソンからフレッドまで馬車で最低四ヶ月もかかるの。しかも、途中オースティン王国を通らないといけないのよ?」


 レインはきっと冗談を言ってるだけだと思った。

 でも、そう言ってくれただけでも嬉しくて、心が少し軽くなった。


「そんなに遠いのか...」


「でもね」

 リリアは急に得意げな表情を浮かべた。


「メル様が言うには、私が承諾すれば空間魔法で送ってくれるんですって。たった一日で着けちゃうの」


「じゃあ、僕も一緒に送ってもらえないかな?」


「そんな都合のいい話あるわけないでしょ」リリアは肩をすくめた。


「メイル大魔導師様が送れるのは、私とエリスだけよ。そんな遠距離の空間魔法って、すっごく魔力を使うんだから」


「エリス?」


「あの子よ。光の魔力を持つ女の子」


 そう言えば、レインは思い出した。

 もしリリアがいなければ、彼女が一番印象的な少女だったはずだ。


「じゃあ、約束だよ。一年後に会おう!フレッドまで会いに行くから」


「本気...なの?」


「本気さ」


 レインは穏やかな表情で、しかし揺るぎない決意を込めて答えた。


 リリアの表情が、驚きから疑い、そして喜びへ変わっていく。

 そして、小指を立ててレインの前に差し出した。


「言葉だけじゃダメよ。指切りげんまんしましょう!」


 レインは一瞬戸惑ったが、すぐに懐かしい笑みがこぼれた。

 幼い頃から、大切な約束をする時はいつもこうだった。

 二人だけの、変わらない誓いの形。


「リリアに誓うよ」


 レインは真摯な声で言った。


「必ず一年以内にフレッドまで会いに行く。」


「どうして一年なんて...まあいい」


 リリアの目が潤んできた。

 でも今度は、嬉しさの涙だった。


「私も誓う。しっかり魔法を学んで、みんなの期待を裏切らない」


「指切り拘束、嘘ついたら針千本飲ます!」


 幼い頃から何度も唱えた誓いの言葉が、二人の口から自然と重なって流れ出た。


 そして、互いを見つめ合って、笑顔がこぼれた。


「そうだ」

 何かを思い出したように、レインはポケットから小さな布袋を取り出した。


「はい、これ」


 リリアが受け取って開けてみると、手のひらサイズの木彫りきぼりが入っていた。


 よく見ると、どうにか人型だと分かる程度の、なんとも微妙な木彫りだった。


「一緒に工作の授業を受けた時に作った木彫りなんだ。自分をモデルに作ったんだけど、ちょっと失敗作で...」


 レインは照れくさそうに頭を掻いた。


「初めての遠出だから、何か贈りたくて。この小さなレインに、僕の代わりにリリアの傍にいてもらおうと思って」


「ちょっとだけ、似てるかも」


 リリアは木彫りをじっと見つめ、やっとの思いで肯定的な感想を口にした。

 そしてゆっくりと顔を上げ、レインを見つめながら心からの言葉を紡いだ。


「最高のプレゼントよ!」


 月の光が二人を優しく包み、この温かな瞬間を銀色ぎんいろに染め上げていた。

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