第59話 八月八日 一一時四八分
【レンの呪い】が消えた。
ゼノンに理由を問うと、『レンは死亡したとき、一歳にもなっていませんでした。そんな赤子が人を憎んだり呪ったりはできません。【レンの呪い】は、あなたの心的外傷による症状です。あなたは自らの心の傷を克服したのです』と答えた。
耳障りのいいゼノンの言葉は、とても残酷だった。
子供の泣き声を聞くたびに起こる耐え難い頭痛は
生まれて一年も経たずに実の両親に育児放棄され餓死した。それが連の人生だった。連は一体何のために生まれたのか? 何かを成すにはあまりにも短い人生だった。
連の人生が無意味だったとは思いたくない。だがそんな事なかったかのように回るこの世界が悲しく、また心の傷を克服という聞こえのいい言葉で、連の死を過去にしてしまう自分自身も悲しかった。
「また泣いてるの? センパイくん?」
驚き振り返ると綾がいた。いつも良いタイミングでいるなコイツは、と思ったが、単に気づいていなかっただけか。気配を消すのが綾は抜群に上手い。
「……泣いてなんかいない」
「そ?」
それ以上、綾は追求してこなかった。
オレは校舎の屋上にいた。微かな風に綾の高く結った髪がそよいだ。陽の光を浴びる白い頬、ツンと尖った鼻筋、長い睫毛。美しい、と心から思う。
昨晩、綾にはオレの汚い面を全て話した。弟を見殺しにしたこと、オレ自身も虐待を受けていたこと全てを。それを知った上で綾は、オレを尊敬していると言ってくれた。オレの過去を引っくるめて肯定してくれたことに、どれほど心が救われたか。
綾だけでなく、誠也、騎士、理乃。そしてビアンカとアンジェリカとの出会いは、一ヶ月弱の短い期間にも関わらず、オレに大きな変化を与えた。それによって一二年苦しんできた連の死を過去にしてしまうほどに。
「ひどいねー……」
否定されたのかと思ったが違った。綾の視線はフェンスの遥か先に注がれていた。
「ああ……」
試験終了は昨晩の二〇時。それはここ千葉県だけでなく、他の都道府県でも同様だった。おそらく地球上あらゆる都市でも。
「ゼノン、現状を教えてくれ」
『承知しました。昨日、八月七日午後八時に地球のアップデートに伴う適格者選定試験が終了しました。日本国のみの試験結果を報告します。北海道は敗北しました。青森県は敗北しました。岩手県は敗北しました。秋田県は…………』
【黒のスマホ】から流れる試験結果は敗北、敗北、敗北の連続。四七都道府県のうち、勝利したのは千葉を含めわずかに一二。三五の都道府県が敗れ、消滅した。
屋上から埼玉方面を見れば、そこは砂漠だった。茨城を見れば、そこは火山地帯だった。東京を見れば、そこは闇に包まれていた。東京、埼玉、茨城、神奈川は敗北し、千葉は孤立していた。
「どうなるんだろう、これから……?」
「……分からん」
不安を感じている綾に安心させられることなど言えなかった。ろくでもない状況になることは分かりきっていたからだ。
しかしこれだけは決めていた。綾を絶対に死なせないと。
この残酷な世界では簡単に人は死ぬ。連が死んだように。
才能に溢れ、並の男とは比べ物にならないほど強い綾であっても例外ではない。綾が死ぬことを想像すると絶望で脚が震える。しかし起こり得ることなのだ。より危険で残酷になったこの世界では。
連と同じ間違いは繰り返さない。オレの全てで綾を守ろう。そう心に誓った。
『八月八日、一二時になりました。これより地球のアップデートは、フェイズ2に移行します』
【黒のスマホ】からゼノンの音声が流れ、オレと綾は目を合わせる。この悪夢のような状況はまだ終わらないようだ。
「負けねえよ」
思わず口をついて出た。オレの内にある衝動はこの一言で表せる。この世界がどんなに理不尽で不公平であっても負けない。負けてなどやるものか。
「負けない……そうだね。ボクも負けないよ」
苦しそうな表情だった綾がパッと笑顔になる。それだけで心が軽くなった。
『アップデート・フェイズ2における人類への試験内容は……』
新たな『試験』が始まる。何が起ころうと絶対に生き残る。オレは、オレたちはこんなクソみたいな世界に絶対に負けたりなんかしない。
地球新生〜地球はアップデートします。消滅か存続か、人類を試験します〜 橘直輝 @tatibananaoki
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