第48話 八日目 八月六日 一三時四〇分(――:――:――)①

 夏なのに寒気がした。


「…………すっげえな」


 空の色が、定規で線を引いたように変わっている。青空に黒いカーテンを引いたようなそれは、虐殺蜂ぎゃくさつばちの大群だ。


 数は五〇〇〇か一万か。時折混じる白いラインは虐殺蜂Lv2だろう。それが五〇以上。一対一でなら負ける気はしないが、それが複数との戦いとなると確信が持てない。


「怖い?」


「いいや」


 からかう様に言うあやにオレは首を振る。むしろ早くやりたくてウズウズしていた。


「俺は怖いです…………」


 誠也まさやが猫背になり、デカい体を震わせている。結局コイツは最終戦になっても肝が座らなかった。とはいえこの戦場に立っているのは誠也の意思だ。


「大丈夫、司賀しが先輩。ボクたちは勝てるよ――ね、みんな!」


「「「おおおっ!」」」


 綾が問うと、九弦学園高校・体育館側の校庭に陣取る精鋭たちがときの声を上げる。


 自衛隊、警察、生徒、保護者、避難者。その中から虐殺蜂の戦闘に名乗り出て、これまで生き残ってきた強者達だ。面構えに自信が漲っていた。


「……ちょっと安心した」


「良かった!」


 綾の笑顔に誠也が頬を赤らめていた。操るのが上手い。


「にしても、攻めてこねーな?」


「警戒しているようね」


 騎士ないとの呟きに理乃りのが答える。武器を携えた人間たちがズラリと待ち構えているのだ。虐殺蜂もバカではない。警戒されるのは当然だった。とはいえ上空にいられてもらちが明かない。


「こちらから仕掛けるか」


 オレはこの作戦の最高責任者である本田忠伸の元へ行く。言葉を交わし、許可を得る。


「許可がでた。頼む」


「お、俺か…………」


 誠也の肩を叩くと、そのシャツはじっとりと汗ばんでいた。不安を振り払うように誠也は何度も深呼吸を繰り返す。


「ダイジョブさ」騎士がカラカラと笑う。「ウチのエースは本番に強い」


 後ろから同じ野球部の者たちから応援の声がかかり、ふっと誠也の体から強張こわばりが抜ける。


 誠也は左手のグローブの中の物を握ると、両腕を天高く振り上げた。ミチミチと音がするほど体を捻り、大きく足を踏み出すと、全身で生み出したエネルギーを指先一点に集中し空へと投げ放った。


 司賀誠也しがまさや、高校二年生。九弦学園高校・野球部のエースピッチャー。身長一八六センチの長身から放たれるストレートは時速一六〇キロに達する。直撃すれば命の保証はない。ましてそれが野球のボールではなく、拳大の鉄球なら尚更だ。


 スキルによってゴリゴリに強化された肉体から発射された鉄球は、砲弾さながらに大気の壁を突き破り、接触した虐殺蜂を爆散させた。撃墜された死骸がバラバラと群れの中から零れ落ちていく。


 さらにこれで終わらない。


「【引き寄せのグローブ】」


 誠也が唱えると、グローブ周辺の空間が歪む。ゼノゾンで購入した【引き寄せのグローブ】は、登録した物体をグローブへと引き寄せる不思議パワーを有していた。何でもありのゼノゾンならではだ。


 この効果により、登録してあった鉄球が戻ってくる――投擲とうてきしたのと同じ速度で。


 リターンでさらに虐殺蜂に損害を与え、鉄球がグローブに収まる。そして再びの投擲。無限砲弾むげんほうだんマシーンと化した誠也が、無慈悲に虐殺蜂を端微塵ぱみじんにしていく。


 当然、虐殺蜂は動かざるえない。鉄球を避けた大群が九つに割れ、全く異なる方向から攻めてくる。


「――放水開始ッ!」


 忠伸の号令で高圧の放水が群れを叩く。放水車は一二台。水源は五〇メートルプールにたっぷりと満たされた水だ。消防士たちは激しく動く的へ的確に放水を当て続けている。


 水濡れを嫌気し進路を転回した群れに銃弾と矢の雨。校舎の屋上から自衛隊員と警察、そして弓道部員の弓射きゅうしゃだ。これに校舎内の消火栓からの放水も加わる。飛行状態を維持できず、虐殺蜂が多数落下する。


「出番だ!」


「「「おおおっ!」」」


 血に飢えた獣のようにオレたちは飛び出す。狙うはずぶ濡れになり、飛ぶことはおろか重くなった体のせいでろくに動けもしない憐れな虐殺蜂。芋虫のように這いずって逃げようとする奴や、ひっくり返り足をバタつかせている奴を、容赦なく斬り伏せる。


 最早、虐殺蜂の弱点は熟知している。刀を柔らかい箇所から奥深くへ突き込むのに一秒もかからなかった。


 ――【危険感知】


 スキルからの警告。一体の虐殺蜂Lv2がオレに敵意を向けていた。が、そいつは攻撃に移ろうとしていたのをキャンセルする。


 オレは足を踏み鳴らす。地面に敷き詰めらた鉄板がガァンガァンと音を響かせた。体育館前の一角だけだが、工事現場で使われる分厚い鉄板が三枚重ねられていた。車両を貫通させるほどの破壊力を持つLv2といえど、これに穴を穿うがつのは容易ではないはずだ。


 それが感覚で分かるのか、Lv2は迷っているように見えた。


 奴の攻撃方法は二種類。上空から掘削機のように飛来し、地面を抉り地中から飛び出してくる上下攻撃と、上空から滑空しながら超高速で突っ込んでくる弧状突撃の二つだ。一つが封じられたとなれば残る手は決まっていた。


 Lv2は回転を始める。回転速度がグングン増していき回転数が上がると、棒のように細くなっていく。


 オレは【危険感知】の上位スキル・【危険可視きけんかし】を発動する。


 【危険可視】は、対象がどのような危険をもたらすかを可視化するスキルだ。まだLv1なので一秒後の未来しか予見できないが、その効力は絶大。オレに攻撃が到達するまでのルートがはっきりと視界に表示される。


 大気を裂く音と共に超高速の弾丸と化したLv2が、曲線を描きながらオレに迫る。しかしその軌道は分かりきっていた。オレは僅かに軌道からズレ、すれ違いざま刀を振るう。


 通過したLv2は再び上昇しようとする。ができない。Lv2は攻撃の際、六枚の羽を体表のくぼみに収納するが、オレはその収納された羽のうち三枚を窪みに沿って斬り落としたのだ。


 満足に飛行できなくなったLv2は、フラフラと横方向へ流れていく。


 オレは疾走し、Lv2に追いつく。


 スキル・【縮地しゅくちLv1】で速度を、【剛力ごうりきLv6】で力を、【剣術Lv5】で刀捌かたなさばきを増強し、それに重量と鋭さを増した鵺鳴ぬえなきの切断力を虐殺蜂Lv2の首関節の一点に集中。強靭な外骨格で守られたそれを両断する。


(……やれる!)


 以前はあれほど苦労したLv2が、今や赤子の手を捻るかのようだ。ポイントによってレベルアップさせたスキルの力をまざまざと実感した。


「ヘイヘイヘーイっ! カマーンっ!」


 騎士がバットと尻をフリフリし、舐め腐った態度でLv2を挑発している。その周りには無数の虐殺蜂Lv1の死骸。激怒させるには余りある状況だった。


「ちょ、バ、」


 【危険可視】が一秒後に、Lv2の攻撃が騎士を直撃する軌道予測をオレの視界に表示。おそらくだが騎士は攻撃予測系のスキルを所持しておらず、一九〇センチで一〇〇キロを超えるその体躯から、速度上昇系のスキルレベルは低い。つまり回避は不可能。死ぬぞコイツ。


 超高速でLv2が騎士に突撃。オレは心の内で十字を切った。


「どらっっっしゃあああああ――――っっっ!」


 バッティングフォームのままグルンと体を回転させた騎士は、目にも止まらぬスピードのLv2を、あろうことか真正面からブッ叩いた。


 炸裂した音と光は凄まじく目が焼かれるほどだったが、この激突に敗北したのはLv2。体をひしゃげさせ、鉄板の上にグシャッと肉片を飛び散らせることになった。


「ムチャクチャだ……」


 騎士が軽々と振り回したのは、クソ硬くて重いタングステン製のバット。それにパワー系のスキルと視力上昇系のスキルが合わさったこその結果だろうか。真似できるともしたいとも思わない脳筋のうきんの所業だ。


「センパイくん、騎士先輩、そこ邪魔っ!」


 消防車の上にいた綾が、引き絞った矢を放つ。


「どわっ!」


「うわっちっ!」


 綾が射落としたLv2が降ってきて、オレと騎士はジャンプしてそれをやり過ごす。


「おしまいっ!」


 綾の剛弓ごうきゅうがLv2の頭部を鉄板ごと貫通させ止めを刺す。


 高速で突撃してくるLv2に、目にも止まらぬ三連続射撃。それも全て関節部へ命中させる精密さだった。パワー系と射撃の特殊スキルだろうか? 異次元すぎて理解できない。


「っ! 逃げてッ!」


 気が緩んでいた。綾の視線の先で消防車が宙を舞う。


「一台やられたか」


 Lv2が消防車を破壊した。消防士にも被害が出ているようで助けが入っている。


「……なあ、あれ理乃ちゃんじゃね?」


 騎士の声に耳を疑うが、上昇するLv2にしがみついているのは確かに理乃だった。オレもやったことがあるが、傍から見ると正気の沙汰ではない。あれは狂人の凶行だ。


「大丈夫なのかアレ…………え、嘘だろ?」


「すごいすごい! 理乃ちゃんカッコ良いっ!」


「ええー……」


 あれを褒める綾のセンスには共感できなかった。


 理乃は信じられないことに、さらに高く上昇しようと広げたLv2の羽を、一枚一枚素手すでで引き千切り始めたのだ。六枚すべてを引っこ抜いた後に起こるのは、重力によるフリーフォールだ。


 落下しているというのに理乃はLv2の体の上を自在に動き周り、体勢をコントロール。Lv2を下にし、地面に墜落したダメージを全て肩代わりさせた。最後に首を足で極め、全身のバネを使いこれを圧し折る。


(パワーだな。パワーでしかない)


 パワー系スキルに極振りしているのか、放水で濡れたYシャツに透ける理乃の背筋は仕上がっていた。


「ゴリラかな?」


「何ですって! 誰、いまゴリラって言ったのは!?」


「お、俺じゃないッス……葉ヶ丘はがおか先生……」


「騎士くん!? いつもは理乃ちゃん先生なのにっ!?」


 オレは騎士の背に隠れ、知らんぷりをする。


「怖いな、あの先生……」「美人なのに……」「怒らせんとこ……」


「え……ええ――!?」


 屈強な自衛隊員や警察官、消防士らまでも怯えさせてしまったことに、理乃は涙目になる。


(勝てる)


 オレは確信する。消防車を一台失ったものの、脅威だった虐殺蜂Lv2を苦も無く四体倒した。放水を妨害できるLv2はオレ達で対処できる。後は大量の虐殺蜂Lv1を水濡れにし無力化して処理すれば、勝利はこちらのものだ。


 地面の上で惨めに這うLv1を叩き斬りながら、オレは勝敗が決したと結論づける。

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