第27話 二日目 七月二二日 一三時三四分(08:22:26)

 万戸まんど総合病院に到着しバイクを下りる。あやの後ろに乗っててもさほど楽しくはなかったので、次は是が非でも後ろに乗って貰おうとオレは心に決めた。


 病院を見上げる。外観は白を基調にした五階建てで、三階部分に渡り廊下があり隣の建物と繋がっていた。入口の自動ドアは、内側から長椅子や机などでバリケードを作られていて、外からでは様子が伺えなかった。


生田いくたです。誰か居ませんか? ここを開けてください」


 賢治けんじがリズミカルにドアをノックすると、中で物音がした。


 バリケードが退けられドアが開かれると、四十代くらいの長身の女が顔を覗かせた。


「あら生田先生、まだ生きてらしたんですか?」

「ひどいですね鈴原すずはらさん……怒ってます?」


 鈴原と呼ばれた女の眉間に一瞬シワが寄る。怒っているな。


「…………早く入ってください。そちらの二人も」


 口調がとても冷たい。悪くないのにオレまで怒られているような気になった。いそいそと自動ドアの隙間を潜る賢治に続き、オレと綾も病院に入る。


「バリケードを閉じます」


 入ってすぐ側に、迷彩柄の服の男が二人待機しており、テキパキと退かしてあったバリケードを直す。


「自衛隊……? どうしてここに?」

「自衛隊と、あと警察に守ってもらっています。ここは拠点の一つですし、病院でもありますから」


 綾に鈴原が答える。


「鈴原さん、この二人は九弦くづる学園高校の生徒さんです。多島たじま院長に会わせたいのですが、今どちらに?」


「院長なら先程……ちょっと待ってください」


 鈴原がオレたち二人をジロジロと眺め、鼻に手をやる。


「あなた達……最後に入浴したのはいつ?」

「ふわあああっ!」


 突然奇声を上げた綾がオレの後ろに隠れる。


「シャ、シャワー室が使えなかったから! 使えなかったから仕方がないじゃないかぁっ!」


 この『試験』が始まったのが七月一七日で、今日が二二日だから……


「六日入ってないな」

「口に出さないでぇっ!」


 綾が涙目で赤面している。


「六日風呂に入ってないJK」

「ぬ、濡れタオルで体拭いてたもん! あ、近づくな! 匂いを嗅ぐな! 殴るぞ、ボクは本気だっ!」

「嗅がねーよ」


 一緒に過ごしていて臭いと思ったことは無かったが、悪ふざけで両拳を固く握りしめた綾に近づくのは蜂の巣に飛び込むようなものだ。オレは奴のパンチが届かない位置まで離れる。


「ここは病院ですよ。そんな不潔な方は入れられません」

「ふ、不潔…………」


 ショックを受けた綾が戦意を喪失していた。たった六日風呂に入らなかったくらいで大袈裟なことだ。


「まあまあ鈴原さん。お二人には先に体を綺麗にしてもらうということで。私が浴場に案内しますから」

「え……お風呂があるんですかっ!?」


 綾が光の速さで賢治の懐に飛び込む。が、自分の匂いを気にしてか、スススッと離れる。 


「え、ええ……隣は入院病棟ですから」

「行きます行きます、今すぐにっ! ほらセンパイくんも!」

「へいへい」


 意識してみると体が痒くなってきた。オレもさっぱりしたい。


「生田先生もですよ」

「え? ああ、はい」


 賢治の服も、虐殺蜂ぎゃくさつばちの体液や何やらで汚れていた。


 鼻歌でも歌い出しそうな綾が賢治を急かす。階段を上がり、三階の渡り廊下を通って隣の病棟へ。


 浴場のプレートを発見するが、ここで問題発生。


「男女で別れてないの?」

「使用は許可制になっています」


 浴場は一ヶ所のみ。ホテルや旅館のように男女別々ではなかった。入院患者が百人もいるわけではないから当然か。


 しょんぼりとした綾が、こちらを見てくる。


「先に入れ」

「…………ありがと!」


 パッと笑顔を咲かせ、綾が浴場へ消える。


「脱衣所に、洗濯機と乾燥機があるから使って下さーい」

「はーい。ありがとうございまーす」


 賢治の声に綾が明るく答える。


「素敵な彼女ですね」

「彼女じゃない」


 賢治は何か勘違いしているようだ。


「そうなんですか? 仲が良さそうに見えましたけれど」

「オレに全く遠慮してないのは確かだ」


 遠慮なくバカスカ叩かれている。拳をコミュニケーションの道具にするのは辞めてほしいものだ。


 賢治の勧めで休憩スペースへ行き、椅子に座る。自販機にあった瓶のフルーツ牛乳を奢ってくれた。賢治、いい奴だな。


「そうだ。連絡先を交換して貰ってもいいですか?」

「ああ」


 賢治と【黒のスマホ】の番号を交換する。番号は以前のスマホと同じままだ。


「生田先生!」

「おや、本田さん」

「なぜ勝手にここを出たのですかっ!」


 険しい剣幕で賢治を怒鳴ってきたのは、三〇くらいの迷彩服を着た鋭い目つきの男だ。


「いやあ、忙しそうだったので。あ、奴らの拠点は破壊してきましたよ」

「くっ」


 本田とかいう男のこめかみに血管が浮く。かなり頭に血が上っている様子だ。


「誰?」

「彼は本田忠伸ほんだただのぶさん。嵐野駐屯地あらしのちゅうとんち所属の自衛隊員です。本田さん、彼は九弦学園高校の生徒で当真仁とうまじんくん」


「自衛隊……」

 オレは忠伸ただのぶを観察する。身長も体格も並だが、鍛えられた体つきをしていた。


「嵐野駐屯地第一空挺団だいいちくうていだん、本田忠伸一尉いちいだ。先生、この状況下で医療技術と経験を持つあなたは貴重です。勝手な判断で行動するのは控えていただきたい」

「何で怒られてるんだ?」

「いやあ……この第二次試験が始まってすぐに、こちら側の拠点が二つ破壊されたでしょう?」


 オレは寝ていたので知らないが、一〇ある中の二つが破壊されたのは、始まってすぐのことだったのか。


「破壊された二つの拠点は、既に虐殺蜂に占拠されていたか、最初から人がいなかったかのどちらかだと思ったのですよ。そしてそれは私たち人間側だけでなく、虐殺蜂側も同様なのではないかと」

「ああ……それでお前は、あの岩山の拠点は虐殺蜂に守られていないと踏んだわけか」


 実際それは正解で、後からやってきた虐殺蜂と遭遇したものの、拠点のクリスタルの破壊は容易だった。


「それは結果論だッ!」


 忠伸が机を叩き、置いてあった瓶が跳ねる。


「民間人があのような化け物と戦闘を行うなど自殺行為だ! 調査と人員を集める時間さえあれば、あの敵拠点は我ら自衛隊が破壊していた!」

「それはあんたの妄想だ」


 オレの声にはあざけりが含まれていた。それを察した忠伸が頬をヒクつかせる。


「何だと小僧?」


 忠伸のあからさまな怒気を、オレは右から左へ流した。


「第一位、権藤源造ごんどうげんぞう。第二位、当真仁。第三位、深森みもりビアンカ。第四位…………」


 オレは【黒のスマホ】に表示されたランキングを読み上げていく。それに忠伸が訝しげな顔をする。


「これは第一次試験での虐殺蜂討伐数ランキングだ。十位まで読み上げたが、あんたの名前は無いな、本田忠伸さん?」

「そ、それは……」


 綾、騎士、誠也の名前もランクインしていた。一位が高校を襲撃してきた権藤源造なのは不可解だが、三位がビアンカなのは車での移動中に虐殺蜂を大量に轢き殺したせいだろう。重ね重ね撮影し損ねてポイントを得られなかったのが残念だ。


「他の自衛隊員の名前は?」

「…………無い」


 オレは忠伸へ大きな溜め息をつく。この国の大人は、自分で行動しないくせに声ばかり大きい。コイツも同類らしかった。


「自衛隊は国民を守ってくれるんじゃなかったのか? 今の今まで、どこで何をしていた?」

当真とうまくん、ストップです」


 賢治が手を叩き、オレの侮蔑の言葉に待ったをかける。


「当真くん、自衛隊は知事の出動要請がないと動けないのです。その知事は現在消息不明。さらに千葉県はとても広い。人員の都合上、彼らは隊を重要施設に配備するので精一杯でした。その際に、少なからぬ犠牲を出しています。そのことだけでも理解してあげてください」


 オレはバカなので大人の事情はさっぱりだ。だが辛そうな表情をしている賢治に、感情のまま忠伸を罵ることは間違っていることは察した。


「いや、当真とかいったか……お前の言う通りだ」


 忠伸もまた辛そうな顔をしていた。


「国防を担う立場にありながらその職責を全うできず、多大な人命を失わせてしまった。詫びて許されることではないが…………済まない」


 地につくほどに忠伸は頭を垂れる。


 忠伸が罪の意識を感じているオレだけでは無いな、と思った。この『試験』で虐殺蜂に殺害された、もしかしたら守れたかもしれない数十万の命に対し謝罪しているのだ。そんな気がした。


 オレはバカなガキだが、真摯しんしに詫びる姿勢を崩さない忠伸に、さらに鞭を打つような真似をするほど恥知らずではないつもりだ。


「もういいかな? いいよね?」


 葬式のような陰鬱いんうつな空気を、春風のような声が払う。


「お風呂に入ってとっても清潔な綾ちゃんが、不潔なセンパイくんと汚れた生田先生は、さっさとお風呂に行くべきと申しております」


 真っ白な看護師の制服に身を包んだ綾が、ツヤツヤと血色の良くなった顔で言う。長身の女性看護師、鈴原渚すずはらなぎさに不衛生さを指摘されたことが、まだ尾を引いているらしい。


「その服は?」

なぎささんに貸してもらった。着てたのは洗濯して乾燥中」


 すでに先程の看護師、鈴原渚を下の名前で呼んでいる。コミュ力が高い。

 次いでオレは、綾の看護師着姿を眺める。


「なんか……ダボッとしてる」

「さ、サイズが無かったんだよ……」


 病院で働く看護師たちは制服をスラリと着こなしていたが、綾は体にフィットしてない感じがした。特に下半身が。


「尻がデカいからか」

「で、デッカくないよ! ボクのお尻は普通だ! 何度言わせるのさ!」


 頑なに綾は尻の大きさを否定する。自分の美点をどうしてそう否定するのか。


「当真くん。入浴を済ませてしまいましょう。本田さん、では」

「あ、ああ……」


 別に風呂になんて入らなくても平気だが、入れるうちに入っておくか。オレは賢治と共に浴場へ赴く。


 浴場の前室に脱衣所があり、洗濯機と乾燥機が数台設置されていた。


「当真くん、脱いだ服をこちらへ。一緒に洗濯してしまいます」


 賢治は虐殺蜂の解体でベトベトになった服を洗面所で水洗いし、洗濯機に放り込んでいる。


「…………どうしました? 恥ずかしがることなんてありませんよ?」


 オレが脱ぐのを躊躇ためらっていると、勘違いした賢治が柔和な笑みを向けてくる。


「……ちっ」


 オレは舌打ちし、服を脱ぐ。


「あっ」

「黙れ」


 賢治の上げた声に胸が掻き乱される。


「何も言うな――殺すぞ」


 オレは今、賢治に殺意を抱いていた。賢治の反応次第で、本当に殺してしまうかもしれない。


「そうか、九弦学園高校は…………いえ、すいませんでした…………」


 賢治は目を逸らした。オレは脱いだ服を洗濯機へ叩き込み、浴場に入ると頭からシャワーの冷水を浴びた。


 こんなことで心を掻き乱されてしまう自分が、心底情けなかった。

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