第二次試験『拠点制圧戦』

第19話 一日目 七月二〇日 一五時三六分(09:18:24)

 目覚めは最悪だった。レンの夢だ。無力感に苛まれながらオレは目覚める。


「センパイくん起きた? …………大丈夫そう?」


「大丈夫だ……」


 オレは額から落ちたタオルで目元を拭う。誰にも会いたくない気分だったが、そうも言っていられない。


 ここはどこだ? 体育館じゃない。オレが寝ているのは清潔な白いベッドだった。


 鼻に詰められたティッシュを抜く。鼻血は止まっていた。


「ここはどこだ? オレはどのくらい眠っていた? あのクズどもは?」


「ここは保健室だよ。寝ていたのは三時間くらいかな。あの男の人達は追い出したよ」


 銃を奪ったら、あや義円ぎえん理乃りので簡単に制圧できたらしい。拘束されるか出ていくかを選ばせたら、スゴスゴと退散したそうだ。


「あの権藤源造ごんどうげんぞうとかいうヤツもか?」


「うん。全然抵抗しなかったよ」


 意外だな。まあ済んだなら、クズのことなどどうでもいい。


「……アンジェは?」


 第一次試験の敗北のペナルティとして人間側は三分の一が氷漬けにされていた。その中にアンジェリカも含まれていた。


「……体育館行こっか。歩ける?」


 立ち上がってみたが頭痛や目眩めまいはない。体は問題なく動いた。


 保健室から出ると、「これは」と思わぬ光景にオレは声を上げた。


 窓側に沿って椅子と机が重ねされ、紐で縛られ窓のバリケードに使われていた。それが廊下に一列に並んでいる。


虐殺蜂ぎゃくさつばち対策。これなら校舎に入ってこれないでしょ? みんなでやったんだ」


 綾は嬉しそうに微笑む。


「みんな?」


「三三〇人中、凍結を免れたのは二二〇人。その全員で、だよ」


 オレは怪しむ。あれほどいがみ合っていた人間たちが、急に協力的になったのか?


 渡り廊下に出ると、廊下の左右には何台もワンボックスカーが止められていて、隙間にはパイプ椅子が詰め込まれ壁になっていた。これなら校舎と体育館を、誰でも安全に行き来できる。


「校舎の一部、特にトイレと食堂が使えるようになったのは大きいね」


 先を行く綾が体育館の鉄扉てっぴを開く。


 体育館に入ると、夏なのにヒンヤリとした冷気を足元に感じた。その原因はおそらく、一角に並べられた氷像の一群のせいだ。


 氷漬けになった人々は一箇所に移動させられていた。触れると冷たい。だがずっと触れていても溶ける気配はなかった。気温は三〇度を超えているのに、ここは肌寒いほどだ。


 凍結されたのは三三〇人中の一一〇人。ここ千葉県内で生き残った総数ではどれほどになるだろうか? 


 唐突に始まったこの『試験』は三回行われる。第二次試験に敗北すれば、次の試験を待たずして人間側は不適格となり消滅させられると説明された。ゼノンは容赦なくオレたちを消し去るだろう。そのことをこの氷像群が証明していた。


 第一次試験に破れたオレたちは、人数が激減したハンデを背負いながら第二次試験に臨まなければならない。


 負ける、勝てない。ここで終わりだ。ただの非力な高校生にすぎないオレに、何かが出来るとは思えなかった。


 暗澹たる気分で綾の後ろを歩いていくと、目に入ってきた光景に足が止まる。老女が、一体の氷像の前に跪き、祈っていた。とても真摯で、圧倒されるほどの迫力のある祈りだった。


 老女の前にある氷像はアンジェリカ。助けを求める泣き顔で凍っている姿に、脳の奥が痛む。彼女の親族だろうか? だが彼女らは戦争で日本に逃げてきて、二人っきりだという話だったが。


 老女が祈りを終え、オレに気づく。


「おうあうん」


 聞き取れなかった。だが分かった。綾も理解して驚愕し、口元を押さえている。


「あ、か、」脳から唇に上手く命令が伝わらない。「び、ビアンカ……か?」


 彼女は海の色を思わせる青い瞳を緩ませ、ゆっくりと頷いた。


「ど、どう、なん、なんで?」


 オレは、彼女を老人だと思った。波打つ長い金髪はその頭に一本も無く、口元は不自然に窪み皺が寄っていたからだ。おそらく歯が無くなっている。あれほどの美貌を持つビアンカがこんな姿になるなんて、彼女に何が起こったのか。


 ビアンカは【黒のスマホ】を取り出すが、落としてしまう。拾うその手の五つの指全てに、爪が無かった。


 ヒュポッ、と音がしたのでオレは自分の【黒のスマホ】を開く。メッセージが届いていた。


『驚かせてゴメンナサイ。私はビアンカです』


 ビアンカは日本語に不自由していたが、【黒のスマホ】で打った文章は、送った相手の母国語に変換されるらしい。


『綾さんにお願いがあります。私が行ったことを説明したいので、九弦くづる校長と葉ヶ丘はがおか先生を呼んできてはくれませんか?』


「分かりました」


 スマホのメッセージを見せると、綾は駆け足で二人を探しに行く。


 ビアンカと二人っきりにされて気まずい。


当真とうまくんにもお願いがあるんだけど、聞いてくれる?』


「イヤだ。聞きたくない」


 オレは首を何度も振って拒否するが……分かってる、こんなことは無駄だ。


『お願いします』


 ビアンカが懇願するように腕に触れてくる。その両手の指には一本の爪もなく、根本に血が固まっていた。


「ああ、クソっ」


 頭が痛い。【レンの呪い】が悪化したせいで、オレは子供だけじゃなく母親にも弱くなってしまっていた。だからこのビアンカに逆らうことは、きっとできない。


『当真くんは、とても優しい子』


「お前には見る目がないよ」


 憎まれ口を叩いても、ビアンカはクスクスと微笑むだけだった。

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