第16話 二日目 七月一九日 一一時四九分(01:00:11)

「――だから、知らないと言ってるでしょう!」


 髪を振り乱し、野山英里のやまえりとかいうオバさんが叫んだ。


 体育館の中央で、義円ぎえん英里えりが向かい合っていた。昨晩の事件で、九弦くづる学園高校の人間関係は険悪なものになっていた。


 食料集めに向ったのは高校の生徒とその保護者がほとんどで、高校とは無関係の避難者は非協力的だった。にも関わらず危険を冒して運んできた食料を強奪され、生徒と保護者は大激怒。返還を求めても、「知らない」「全部食べた」などと言い訳し、話に応じようとしない。


 周辺のコンビニやスーパーから食料を満載してきた車は十台以上。一晩で食い尽くせる量ではない。盗んだ奴らは【黒のスマホ】のストレージに隠していると考えられた。


 生徒と保護者を代表する義円らと、避難者を代表する英里らとで、朝からずっと互いを貶し合っていた。


「だから言うとるでしょう。食料集めに協力してくれたら、優先的に必要なものを配布すると。まだ他の施設には物資が潤沢に残っとる。人手が足らんだけなのです」


「女の私にあんな化け物がいる外に出させる気!? 信じられない! 警察はいつになったらくるのぉっ!」


 英里は膝をつき、おいおいと泣き出してしまう。それに「ひどい!」「謝罪しろ!」とつばを飛ばし非難する避難者たち。義円は顔をしかめて閉口する。


「……バカばっかだな」


 醜態に呆れ果て、オレは外に出た。


 体育館の外壁に張り付いている虐殺蜂に見つからないよう身を隠しながら、渡り廊下を通り校舎へ。


 高校の校舎はガラス窓から虐殺蜂が侵入してくるため立入禁止だ。だがそんなことオレの知ったことではない。二階の奥に図書室を発見し、ここに巣を張ることにした。


「漫画は無いか」


 退屈しのぎになりそうなものが見つからず、適当に図鑑などを物色する。画集があったのでそれを手に取る。


 机の上に寝転がり、ストレージからコンソメ味のポテトチップスを出す。昨日、理乃の目を盗んで入れておいたのだ。ストレージは重量依存なので、中身がほぼ空気のポテチなど幾らでも入った。


 コンソメが一番好きだ。一枚食べる。ストレージの中に入れても味に変化はなかった。食べても問題ないだろう。


 コーラを取り出し呷る。ポテチ&コーラのコンボに手が止められなかった。


「どうしてここに居るのかな、センパイくん?」


 指についた粉を舐めていると、入口に綾がいた。


「校舎に入っちゃダメって言われたでしょ? 聞いてなかったの?」


「どこで何をしていようとオレの自由だろ」


 あんな居心地の悪い体育館になどいられるか。それに抜け出しているのはオレだけではなかった。


「自由ね……それが?」


 冷たい視線がオレの周辺に集まる。菓子やペットボトルの空容器がゴロゴロしていた。


「後で片付ける」

「いま片付けなさい」


 綾が拾ったペットボトルで頭をグリグリしてきたので、ストレージの中へゴミを突っ込んでいく。


「ん」

「あ?」


 何かを要求するように、綾が手を伸ばしてくる。


「のり塩、あるんでしょ?」

「厚かましい……」


 しぶしぶのり塩味のポテチを渡すと、綾は綺麗になった机に座りパリパリと食べ始める。


「はぁ〜〜……」


 綾が食べる手を止め、大きなため息を付く。そしてクルリとこちらを向くと、また冷たい視線。


「ここは、『どうした? オレで良ければ力になるぞ』って言う場面だよ、センパイくん」

「ウッッザッ」

「もう大変なんだよ」

「勝手に話し出すし……」


 コイツ、愚痴を言うためにオレのところに来たな。グチグチ言いながら綾は、ポテチを口に運んでいる。


 一通り愚痴を漏らしポテチを完食すると、綾は袋を丁寧にたたみ【黒のスマホ】のストレージに入れた。


「ということで、大人たちの話し合いは決裂しました。今晩は食料集めには行きません。だから、はい」


 綾が小さな箱と水のペットボトルを差し出してくる。


「これが今日のお昼ご飯と晩ご飯です」

「一箱しかないが?」

「中に二袋入ってるって」


 栄養補助食品一箱で今日を過ごせと? こちとら育ち盛りの一七歳だぞ。


「料理できる人たちも目を吊り上げてストライキだよ。ねえ、センパイくん……もしかして、食べ物持ってなーい?」


 コイツ、本当の目的はオレの食料か。目をパチパチさせて下手くそなこびを売ってくる綾に、開いた口が塞がらなかった。


「お前ののり塩で最後だ」

「嘘だ。理乃ちゃんに隠れてゴソゴソしてたの知ってるんだからな!」

「ほれ」


 オレは【黒のスマホ】のストレージの内容を見せる。『ポテトチップス(空)』『チョコチップクッキー(空)』などが並ぶ。


「ええ〜……」

「残念だったな」


 取ってきたのは全部食ってしまった。綾はしょんぼりしてる。


「じゃあセンパイくん……ボクのメープル味と、キミのチョコ味、半分こしよ?」

「……いいぞ」


 可哀想になり、綾と味の違う栄養補助食品を一袋交換した。袋を開け、もそもそとクッキーを棒状に固めたような食べ物を咀嚼する。


「メープル味、美味いな」

「チョコ味も美味しいよ」


 一袋をすぐに食べ終えてしまった。とても哀しい。指についたメープルの残り香を舐める。


「それ食べたら、夜の分なくなるよ」

「分かってるんだが……」


 足りない。食いたい。オレは残りの一袋を睨む。


「あ……っ」


 綾ではない幼い声に目を向けると、アンジェリカが入口のドアから顔を覗かせていた。シルバーブロンドの髪色の少女は空色の瞳を気まずそうに伏せ、「ご、ごめんなさいです、お邪魔でした……」とドアを閉めた。


「じゃ、邪魔じゃないよ! 待ってアンジェちゃん!」


 綾が慌てて追いかける。


「どうしてここに? 体育館から出ちゃダメって言われたよね?」


 自分のことは棚に上げて、綾がアンジェリカの肩を掴みに説教する。討伐経験のあるオレや綾ならまだしも、子供が一人で外に出たら、虐殺蜂の餌食になっていてもおかしくはなかった。


「ご、ごめんな…………っふくっ……」

「え、あ、ちょっと待って……」


 ボロボロと大粒の涙を零しだしたアンジェリカに、綾が困惑する。


「泣かせて、るんじゃ……ねーよ」


 オレはこめかみを押さえる。【レンの呪い】のせいで、子供が泣くとひどい頭痛が起こる。子供はいつ泣くか分からないから嫌いだ。


「こ、これを飲んで泣き止め……」


 ストレージからコーラのペットボトルを取り出す。最後のコーラだ。コーラの甘さと炭酸が悲しいことを押し流してくれることを願う。


「これ、飲んだことないです……」

「なに? コーラを飲んだことないなんて、人生損してるぞ」

「そうかな?」


 綾が余計なことを言うが無視だ。


「飲んでみろ」

「は、はい」


 一口飲むと、「く、口の中がパチパチしますっ」とアンジェリカは目を白黒させる。


「もっと飲め」


 アンジェリカは我慢しながらペットボトルの半分ほどを飲み干す。


「な、なんかお腹が……ゲッフゥ」


 大きなゲップが出た。


「はははっ」

「笑うのひどくない?」

「は、はずかしい……です」


 アンジェリカは赤面する。


「泣き止んだな」

「あ……はい」


 泣き止んだなら良し。頭痛も消えた。


「ごめんね。ちょっと強く言い過ぎちゃったかな?」

「…………違う、違うんです」


 アンジェリカは押し黙る。小さな体を震わせ、唇を白くなるほど噛み締めていた。


「わたしは……わたしは汚い…………ですか?」


 こういう話か、とオレは何となく察する。


「誰かに言われたのか」


 アンジェリカは俯いて頷く。


「お母さんは、夜のお仕事をしてて……男の人と汚いことをしてるから、その子どものお前も汚いって……だから」


 イジメられてると。詳しく話を聞けば、ここに居るのも避難者に同級生がいて体育館を追い出されたらしい。死ぬ危険もあったというのに、イジメる側にとってはどうでもいいことなのだろう。残酷なことだ。


「ひどい!」綾は憤慨し、アンジェリカを抱きしめる。「大丈夫、ボクが守ってあげるから!」


「いや、もっと手っ取り早い方法がある。同じことをやり返せば良い」


 オレが提案すると、二人が揃って首を傾げた。


「お前は体育館の外に追い出された。なら、そのイジメっ子も外に追い出してやればいいんじゃないか?」


 そうすれば、後は虐殺蜂が処分してくれる。


「それは……」

「お前がやられたことをやり返すだけだ。なんならオレも手伝ってやるぞ?」


 アンジェリカの瞳に迷いが生まれる。その瞳の内に今までやられたことへの怒りと憎悪が渦巻き、復讐の叫びを上げているのが見て取れた。


「そんなことしちゃダメだ!」

「黙ってろ」


 アンジェリカの憎しみを押し留めようとする綾を手で制する。


「どうする、深森みもりアンジェリカ? イジメっ子はまたお前のことをイジメてくるぞ。こんなことになった憂さ晴らしのためにな。お前は自分の身を守るために、行動しなければならないんじゃないか?」


 アンジェリカは流れるほどの汗をかき、拳を強く握りしめている。が拳を開くと、力が抜けたように笑った。


「ダメだぁ……ムリ〜」

「無理か」

「はい……それはいけないことです」


 アンジェリカはハッキリと断言する。


 イジメっ子など全員死ねばいいと思うが、本人にその気がないなら仕方がない。オレが口を出すことではないだろう。イジメっ子は命拾いしたな。


「偉い! キミはとっても強い子だアンジェ!」

「わあ!」


 綾はアンジェリカを抱き上げ、クルクルと回る。アンジェリカの表情からは、付き纏っていた影のような暗さが消えていた。何らかの踏ん切りがついたのかもしれない。


(ま、後でちと脅しとくか)


 オレは子どもだろうが、弱い者イジメをする奴が反吐が出るほど嫌いなのだ。


 しばらく三人で話をしたり本を読んだりして、七月一九日は終了した。

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