第15話 二日目 七月一八日 一九時三六分(01:16:24)

「機嫌直せよ、なあ…………」

「……………………」


 自転車を漕ぐあやの背にオレは声をかけるが、返答は無かった。怒って口を聞いてくれなかった。


 重傷を負った女生徒はポーションによって回復した。が、綾と追いかけっこをしていたのを理乃りの義円ぎえんに見つかり、大目玉を食らった。


 非常時に走り回ったこと、助けを待たず虐殺蜂ぎゃくさつばちと戦ったこと、何より勝手に鵺鳴ぬえなきを持ち出したこと。これに二人の大人は口を酸っぱくして叱責した。


 これは綾にはとばっちりもいいとこで、走り回ったのも、虐殺蜂と戦ったのも、鵺鳴を持ち出したのも、全部オレが原因だった。ところがなぜか綾は何も言い返さなかったので、オレが言い返した。


 結果的に、獲得したポイントで買ったポーションで怪我人は治療できたし、危険だったとはいえ全員無傷で計三一体もの虐殺蜂を倒し大量のポイントを得られた。そもそも鵺鳴の雑な保管は大人の責任であって綾の責任ではない。そう抗弁したら大人たちはぐうの音も出なくなり口を閉ざした。


 そうしてお叱りの時間は終わったのだが、綾はずっと不機嫌なままで一言も口を聞いてはくれないのだった。オレが綾の言いたいことを言ってしまったのがフラストレーションになっているのかもしれない。


「おっと」


 綾が自転車を停止させたので、オレもそれに倣い自転車を止める。


 虐殺蜂は夜になると二晩連続で姿を消した。九弦学園高校の体育館に張り付いていた蜂もいなくなっていた。おそらく帰巣したのだと判断し、その隙を利用してオレたちは食料を確保するために、近辺のコンビニやスーパーへと赴いていた。


 到着してみれば虐殺蜂に襲われることもなく、車も走っていないので安全な道中だった。


 綾が無言のまま一軒のコンビニを指差す。煌々こうこうと照明が焚かれ、駐車場には数台の車。遠目では判断できないが、人がいるかもしれない。


 【黒のスマホ】のストレージから鵺鳴を取り出す。戦闘になる危険性があった。


 綾がジッと鵺鳴を見ていることに気づく。このような事態になってしまったことから、一時的に義円より鵺鳴という銘の刀を所持する許可が下りた。綾は何か言いたそうだが黙ったままだ。


「返さんぞ」


 プイッと綾が顔を反らす。弓を取り出し、目で合図してくる。オレに先に行けということか。


 先行する。どうせ鵺鳴の不快な音のせいで近くにはいられない。オレは足音を殺し車の影に隠れた。が、そんなことは無駄だった。


 立ち上がり綾を手招きする。


 不審げな綾を横目に、オレはコンビニの入口に向かう。スキル・【危険感知】にも反応は無かった。


「あ……」


 そばに来た綾が、ようやく声を発した。


 コンビニの一面ガラス張りの外壁は、クリスマスの内装のように赤で染まっていた。その一部分が割れている。ちょうど虐殺蜂が通りやすそうな大きさだ。


 自動ドアに無数の手形があり、入口には血痕。近づくと自動ドアが反応するが、中から何かが飛び出してくることもなく、店内に入店のBGMが流れるだけだった。


 オレは割れたガラスの破片を投げ入れてみるが、反応は無し。中を覗いてみても誰も居らず、虐殺蜂の姿も無い。安全だと確信する。


 店内は商品が散乱し、そこかしこに血が飛び散っているが、遺体は一つとして無かった。おそらく虐殺蜂が持ち去ってしまったのだろう。


 もしも人が立て籠もり、コンビニの食料を独占していたら一悶着ひともんちゃくあっただろうが、その手間が省けた――などと口にしようものなら、隣で悲痛な表情を浮かべている綾に軽蔑の目を向けられるので黙っておく。


「電話」

「え?」

「電話、しなくて良いのか?」

「あ……うん」


 不機嫌でいられなくなった綾は、オレとは絶対喋らないモードを解除し、【黒のスマホ】で理乃と通話する。


 このコンビニの惨状はともかく、食料はたんまりあった。綾が電話で、ここまでの道路が乗り捨てられた車などで塞がっていないことを伝える。やがて大人が車でやって来るだろう。


「あー……うまー」


 オレは袋から出したアイスに齧り付き、頭をキーンとさせる。入口の脇にある冷凍庫はきちんと稼働していて、アイスはキンキンに冷えていた。ソーダ味の棒アイスをペロリと完食する。


「おいコラ、なに勝手に食べてんのさ」


 腰に手を当て、綾は大袈裟にため息をつく。そんな綾に構うことなく、オレは二本目を選ぶ。


「だから勝手に――もがっ」

「どうせ全部は運べやしねぇよ」


 綾の口にマンゴーオレンジ味の棒アイスを突っ込み、オレも同じのを食う。


「……むー」


 不満そうな顔をしながらも、綾はアイスをすぐに平らげる。暑い中、自転車を漕いで来たんだ。甘く冷たい物はさぞ美味かろう。


 口にアイスを咥えながらポテトチップスの袋を開ける。アイスを右手に持ち、左手のポテチの袋を逆さにして中身を口へ流し込む。バリバリと音を立てて噛み砕き、アイスをシャクリ。甘いと塩っぱい、塩っぱいと甘い。無限に食える最強の組み合わせだ。


「この状況でよく食べれるね……」


 綾が呆れている。店内は荒れ、血の匂いが鼻についたが、そんなことでどうにかなるようなオレの食欲ではない。


 スパイシータコスとしあわせリッチバターのスナック、チョコチップクッキーを小脇に抱え、雑誌コーナーへ。


「もう何なの、この人……」


 顔を覆う綾に構うことなくオレは胡座をかき、菓子を片手に漫画雑誌のシールを剥がし中を読む。巻頭の一話を読んだところで、この漫画の作者は無事なのだろうか? もしかしてこの連載の続きは出ないのかと、当たり前にあった日常がまた一つ失われたことに気がつく。


(この作者、無事だといいなあ……)


 次回はとうとう主人公の秘密が明かされるのだが、それは永遠に秘密のままかもしれなかった。


「あなた達……何をしているのかな?」


 理乃がオレの周りにある菓子の袋を見、次に綾へ目をやる。


「ボ、ボクは何もしてないよ!」


 しかしその手には食された後のアイスの棒と『あたり』の三文字。運が良いのか悪いのか。


「仲間仲間」

「おま、」

「あんたたち――っっっ!」


 言い訳しようとする綾と揃って、勝手に食料を食ったことで理乃に拳骨を落とされる。


 なんだか連日殴られている。暴力的すぎないか、この学校の女たちは? 入学する高校を間違えたかもしれない。


 理乃にお説教を受けた後、バックヤードに積まれていた段ボールに弁当、パン、おにぎりなどの食料品を詰め車へ運び入れる。理乃の乗ってきたのはワンボックスカーだが、コンビニの商品すべては到底乗せきれないので、腐敗しやすそうなものを優先する。


 【黒のスマホ】にはストレージがあり、一〇キロ分の物品を収納できるが、食べ物を入れて安全かは不安があった。まだ電気は通っているので、日持ちしそうなのはまた取りにくればいいだろう。


 車が満杯になったので、理乃は高校へ運転して戻り、オレたちは自転車で帰る。綾の尻についていくだけの楽しい帰り道だ。


「…………ん?」


 何か騒がしかった。九弦学園高校の校舎が近づくにつれ音が大きくなってくる。誰かがいさかうような声が聞こえてきた。


 綾が停車したのでオレも止まる。フェンス越しに校庭を覗くと、騒音の原因が繰り広げられていた。


「タバコ、タバコはねえのかっ!」「なんで粉ミルクをとって来ないのっ! ここに赤ちゃんがいるのよっ!」「触んなっ! これは俺のもんだ! ぶっ殺すぞっ!」


 年齢や性別に関係なく何十人もの人間が車に群がり、我先にと調達してきた食料を奪い合っていた。


「み、皆さん、落ち着いてください! 食べ物は充分にあります! だから落ち着いて、あっ」


 いくら格闘技有段者の理乃といえど暴走する集団の力には敵わず、誰かに突き飛ばされる。段ボールが破られ、零れ出た中身に次々と手が伸びる。


 災害でも秩序を失わないと定評のある日本人でも、この非現実的な状況には耐えきれなかったのか、まるで発狂した猿のように欲望のまま振る舞っていた。


「……ははっ」


 醜い。実に醜くて人間らしいと、オレは笑いを抑えきれない。人間など、一皮剝けばこんなものだ。


「なにが可笑しいの」


 キッと睨んでくる綾の大きな瞳には、今にも涙があふれそうになっていた。


「可笑しいことなんて、なにも無いよ」


 怒りと悲しみ、それに悔しさだろうか? 様々な感情が渦巻いているその瞳にオレは気圧される。


「理乃ちゃん……っ」


 泥に汚れたスーツのままで呆然と座り込んでいる理乃の元へ、綾が自転車を走らせる。

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