第9話 一日目 七月一七日 一五時五六分(02:20:04)

 虐殺蜂ぎゃくさつばちによる負傷者は一四名。


 扉のところで倒れていた男はやはり死んでいた。校庭から体育館までの間に複数の血溜まりがあることから他に家族がいたのかもしれないが、遺体は無かった。


 負傷者のうち五人は重症。素人目にも今すぐ病院に運ばなければならないことは明らかだったが、救急と連絡がとれないため助けることができない。


 仮に体育館にいる人間で病院に運ぶとしても、外に出ればマットの上で包帯を血に染めている重傷者たちの二の舞いだ。第一、電話も繋がらない状態だというのに病院がちゃんと機能しているのか、誰にも分からなかった。


「お兄さん……」


 オレが体育館の端で成り行きを眺めていると、アンジェリカが怖ず怖ずと話しかけてきて、【黒のスマホ】の画面を見せる。


「……ポーション?」


 そこには『ポーション』という品名が表示されていた。あらゆる物品を売買すると謳う【黒のスマホ】のゼノゾン。効果は、『骨折や縫合が必要な傷を治癒』とあった。


「本当……なのかな?」


 横から覗き込んだ綾が胡散臭そうな顔をする。


『ゼノゾンに不正商品はありません』


 【黒のスマホ】から音声が流れる。


「効果が無かったら、返品できるのか?」

『効果はありますので、返品はできません』


 ゼノンは頑なだった。


 綾とアンジェリカの三人で、顔を突き合わせて悩む。


「一つ買ってみようか……うわ、高っ!」


 一本、一〇万ポイントだった。虐殺蜂一体で得られるポイントが三万だから四体分だ。


 綾が「うー、うー」と唸りながら、指をスマホの上で彷徨わせている。高校に来るまでに虐殺蜂を轢き殺しているので、一〇万くらいなら余裕で払えた。


「ええいっ! 買っちゃえ!」


 綾が購入ボタンをタップ。スマホから光と共に液体の入った瓶が現れる。手の平に納まるほどの小瓶だ。


 早速使ってみようと綾が走る。が、出血で包帯を濡らし、苦痛で呻く負傷者を前に足が止まる。


「貸せ」

「あっ」


 オレは綾からポーションを引ったくる。


「どう使う?」

『飲むか、患部に直接かけてください』


 ゼノンが答える。


 マットの上で苦しそうに喘ぐのは五十代くらいの男。自分で飲むのは無理そうだ。傷を押さえる手をどけて包帯を剥ぎ取り、傷口に小瓶の中身を振りかける。


「うう〜〜〜〜っっ!」


「何してるの、あなた達!」


 男が呻いたので、理乃が血相を変えてこちらへ来る。だがそんなことよりも、ポーションの効果の方が気になった。


「傷が……っ!」


 腹部に空いた穴が、ブクブクと泡を立てて塞がっていく。一分もしないうちに傷口はピンクの肉で盛り上がり、荒かった男の呼吸と表情が和らいでいった。


「……何をしたの?」


 理乃がポーションをかけた男の傷の具合を確かめる。負傷した者の治療をしたのも彼女だ。いくらか手当ての心得があるらしかった。


「ゼノゾンでポーションを買って、それで……」

「あんな訳の分からないところの物を使ったの!?」


 モゴモゴと何か言おうとした綾だったが、しょんぼりと肩を落とし、「ごめんなさい……」と謝る。


『ゼノゾンで販売されている商品の効能は全て本物です』

「ちゃんと効果はあっただろ」


 ゼノンとほぼ同時に声を上げてしまった。


 理乃は渋面を作る。ポーションを使った負傷者を見れば、傷が治癒したのは明らかだからだ。


「そうね……ごめんなさい、大きな声をだして」

「ううん。いいよ、理乃ちゃん」


 理乃と綾が笑い合う。


「で、どうする? あと四人いるが?」


 重傷者はあと四人。ポーションで治すことができるなら、病院へ運ばずに済む。


「あと一本しか買えないよ……」


 綾が呟く。五人で五〇万ポイント。虐殺蜂に換算すると一七体分は無かったか。


「誰か、ポイントを持っていませんか! あと四人分、四〇万ポイントあれば負傷した人の命が助かります! どうかお願いします!」


 理乃が体育館に集う人々へ助けを求め、頭を下げる。


「お願いします! 助けてください!」


 綾もそれに続いた。


 しかし名乗り出る者はいなかった。ここにいるのは虐殺蜂から逃亡してきた人間ばかりだ。戦って倒した者などいないだろう。無駄な呼びかけだった。


「このポイントを……使ってください」


 と思っていたが、名乗り出る者があった。アンジェリカだ。


「あなたが? ……どうやって?」


 理乃が名乗り出た者の幼さに驚く。


「写真を……とりました」


 ポイントは虐殺蜂を倒し、死骸を撮影してゼノゾンで売却することによって得られる。アンジェリカは車で虐殺蜂を轢き殺した時に、死骸を撮っていたようだ。


「理乃ちゃん先生、これも使ってくれ!」

「先生、これも」


 騎士と誠也も、自らの【黒のスマホ】を差し出す。それぞれ体育館に侵入してきた虐殺蜂を、ポイントに変換したのだろう。


「ありがとう、みんな」


 理乃が笑顔で感謝する。


「…………」

「…………」


 なぜか複数の視線がオレに集まっていた。


「センパイくん」

「あ?」

「お兄さん……」

「うっ」


 綾に睨まれ、アンジェリカに悲しげに見上げられ、頭痛がしだす。


「出して」

「はい……」


 命じられるがままに、オレは全ポイントを差し出した。

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