第4話 一日目 七月一七日 一三時三二分(02:22:28)

(クソ、クソクソクソ!)

 オレは付いてくる子どもに心の内で毒づく。


 子どもの泣き声で起きる耐え難い頭痛。子どもが死んだときにそれがどうなるか、自分の体で試す気にはなれなかった。


 頭痛はスッキリと消えていた。代わりに虐殺蜂ぎゃくさつばちが背後から迫る。さらに、


「二匹に増えてやがる……」


 子どもを助ける際に自転車を叩きつけたのだが致命打にはならず、別の一匹を呼び寄せてしまったようだ。


 抱えている母親は背が高く重い。走るのに邪魔だ。しかしそんなオレと子どもを虐殺蜂は攻撃してこない。疲れ切るのを待っているのか。


 真っ直ぐ走っていても埒が明かない。脇道に曲がる。


「うっ…………」


 失敗した。急ブレーキをかけ後ろを見る。子供に続き、虐殺蜂が二匹。


 数メートル後退りし、母親を降ろす。行き止まりだった。


 通り抜けできない住宅地の袋小路ふくろこうじだった。

追いついた子供が、不安そうな顔で見上げてくる。そんな顔をされても何も言えない。


 家のカーテンの隙間から覗いている奴と目が合う。が、慌ててカーテンを閉める。まあ、そうだろうな。


 虐殺蜂がゆっくりと近付いてくる。間近だと生えている毛まで見えて気味が悪い。何でこんなデカいのに空を飛べるんだ。ちゃんと守れ、地球の重力を。


 オレはポケットからカッターを取り出しロックをかける。体に力が漲る。安々と殺されてなるものか。


 二匹の虐殺蜂がダンスを踊るように左右に揺れながら上昇していく。どちらが先に来るのか、それとも同時に来るのか、どう来てもいいように意識を集中する。


 上昇が止まる。臀部でんぶが上がり、前傾姿勢になる。


(来る!)


 そう思った瞬間、一匹がバランスを崩し、回転しながら落下する。


「止め! 早く!」


 有無を言わさぬ声に導かれるように、オレは地面に墜落した虐殺蜂に走り寄る。


 蜂の羽に突き刺さっているのは矢か。この矢のせいで飛べなくなったのか。


「うおっ!」


 虐殺蜂は腕ほどもある針を突き出してくる。まだまだ元気一杯じゃねえか。


「こんの!」


 針のある臀部を引くタイミングに合わせ飛びかかる。チョークスリーパーするように背中から首を絞め、両足で腹を挟み込む。脚をバタつかせ大顎をガチガチと噛み合わせるが、こちらまでは届かない。


 カッターを細くなっている首関節に振り下ろすが、暴れまわるので簡単に刃が折れる。工夫された刃の切れ目が恨めしい。刃が折れないギリギリの強さで首に傷を作り深くしていく。


 数十回目に行ったそれで、暴れ回っていた虐殺蜂の抵抗が止む。


 死んだか? と思い離れると、ビクンと大きく動いたので思いっきり頭を蹴飛ばす。何度蹴っても反応しなくなったので、今度こそ死んだだろう。……死んだよな?


「あははっ、砂だらけだねー」


 明るい声に振り向き、息を呑む。


 同い年くらいの少女だ。猫のようなクリクリとした瞳に小さな顔。長く綺麗な髪をポニーテールにしていた。溌剌はつらつとしたその笑顔に目を奪われる。


「ッ!」


 ボケている場合じゃない。虐殺蜂は二匹いるのだ。


 しかし、もう一匹は探すまでもなかった。矢で家の塀に貼り付けにされ、頭部を射抜かれていた。これをやったのは、この少女か?


「ん〜……? やっぱり知らないなあ?」


 髪を揺らしながら近づいてきた少女は、ジロジロと下からオレのことを観察してくる。


「分かんないや。センパイくん、キミは誰?」

「センパイくん?」


 問うと、少女は自分の襟を指差す。


「ボク、九弦くづる学園高校がくえんこうこうの一年生。キミ、二年生。名前を知らないからセンパイくん、だよ」


 少女は猫のように笑う。


 九弦学園高校の制服は、襟に校章がついている。オレのは二年生、少女のは一年生を示すものだった。


「センパイくんじゃない。オレの名前は、」


 名乗ろうとしたら少女がいない。少女はいつの間にか子供のところにいた。


「大丈夫? 日本語通じるかな……あ、お母さん動けないんだ……」


 子供と気絶している母親の様子を見ていたかと思うと、少女はおもむろに周囲の家のチャイムを押し出す。


 しかし誰も応答しなかったので唇を尖らせると、「べ〜」と舌を出した。


「ダメかぁ……あ、センパイくん。写真撮って」

「写真?」

「【黒のスマホ】、持ってるでしょ?」


 自分の口から吐き出された黒いスマートフォン。何気なく【黒のスマホ】と呼んでいたが、この少女もそう呼んでいるらしかった。もしかしたらこれを持っている全員が【黒のスマホ】と呼んでいるのかもしれない。


 オレは言われるがままポケットから【黒のスマホ】を取り出し画面を確かめる。そこにカメラのアイコンがあったので起動する。操作方法は普通のスマホと同じようだ。シャッターをタップする。


「バカっ、ボクじゃない! 蜂を撮るの!」


 少女を撮ったら怒られた。撮れって言ったのに。というか、何で初対面の奴に怒鳴られてるんだオレは? と思いつつ虐殺蜂の死骸を撮影すると、蜂が消えた。


 カメラ越しではなく自分の肉眼でも確かめるが、熊ほどもある虐殺蜂の死骸が跡形もなく消えていた。


「移動するよ、センパイくん」


 子どもと手を繋いでいる少女が言う。塀に貼り付けになっていた虐殺蜂も消えていた。


「移動するよ、センパイくん」

「あ、ああ……」


 目を白黒させているオレに、少女が同じセリフを言う。


 スマホをポケットにしまう。だが少女は動こうとはしなかった。大きな瞳でオレを睨んだ後、気絶したままの母親に目を向けて再び言う。


「移動するよ、センパイくん」


 母親を運べということか? 口で言えよと思いつつ背負う。


「……おわ」


 背中に柔らかいものが当たる。この母親、胸がスゴイ。


 少女が振り返ったので、「何でもない」と首を振る。歩きづらいのはなぜだろうか。

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