第5話 一日目 七月一七日 一四時〇三分(02:21:57)①

「こ、こっちです……」


 子どもの案内で彼女たちの自宅へ向かう。着くのに五分も掛からなかった。虐殺蜂ぎゃくさつばち遭遇そうぐうせずに済んだのはラッキーだった。


 木造二階建てのボロアパート。階段の手摺てすりが錆びついていた。それに懐かしさを覚える。


 部屋は二〇三号室。母親のバッグから鍵を出した子供がドアを開く。狭いキッチンの奥に六帖間があった。


「あー、おもっ!」


 オレは子どもが敷いた布団に母親を降ろす。少女が母親の怪我の具合を確認していたが、特に問題は無いようで、肩までタオルケットをかけた。


 オレは疲労した肩を回しながらキッチンへ行き、蛇口を捻って水を飲んだ。


「ちゃんとコップを使う」


 少女の注意を聞き流し、汚れた手や傷を洗う。血はほとんど固まっていた。


「ど、どうぞ……」


 子どもがタオルを差し出してくる。


 子どもの瞳は青く、髪は銀色。外国人らしいが日本語の発音に違和感は無かった。見られるのを嫌がってか、走って少女の影に隠れてしまう。


「水道も電気も……使えるんだね」 


 天井の照明を見上げ、少女が不審そうに言う。


「当たり前だろ?」

「あんな大地震があったら、どれかは止まるものでしょ?」


 言われてみれば確かに。オレは床に寝そべる。


「お母さんは特に怪我はしてないね……。お母さんに持病……何か病気をしているとかはある?」


 少女が聞くと子どもは首を振る。


「病気は無いです……お母さん、虫が苦手で……それで……」


「…………は? まさか、あの蜂にビビって気絶したとかじゃないだろうな!?」


 オレは思わず大声を出す。まさかそんなしょうもない理由で倒れてたのか。ここまで運んでくるの大変だったのに。


「ご、ごめ……ごめんなさい……」

「あ、ちがっ、っつ……」


 子どもが涙ぐんだので、また頭痛が始まる。


「大丈夫だよー。怖かったねー。……センパイくん、子どもに大きな声を出さない」

「……悪かったよ」


 子どもを庇う少女に手をヒラヒラさせ、オレは三人に背を向けて寝転ぶ。 


 遠くでサイレンが聞こえた。パトカーか救急車か、あるいはその両方か。


 誰も口を開こうとしない室内で、時計の秒針の音だけがカチカチと響く。一四時〇八分。あんなことがあったのに、まだ二時間しか経っていなかった。


「ん……」

「お母さん!」


 眠っていた母親の瞼が開き、子どもが抱きつく。


「アン……ジェ?」


 目覚めた母親は子どもの背を擦るが、オレたちを目に止めると体を起こし、子どもを抱きしめ警戒心を露にする。


 金色の髪は乱れ、青い瞳には怯えが浮かんでいた。しかし母親は、子どもがいるとは思えないほどの美人だった。


「ビックリしますよね。いきなり知らない人がいたら」


 少女は優しげな笑顔を作り、胸に手を当てる。


「ボクは九弦綾くづるあや。私立・九弦くづる学園高校がくえんこうこうの一年生です。こっちの彼は……」


 少女――あやは、オレを見て言葉に詰まる。名前を聞かなかったのはお前だぞ。


当真仁とうまじん。こいつと同じ高校の二年生になる……はずだった」

「はずだった?」


 綾が首を傾げる。


「今日、編入の書類を出すはずだったんだが、これじゃあな」


 その書類もタクシーに置いてきた。もう、どうでもいいことだが。


「そっか、それでボクが知らないのか……」


 まるで高校にいる人間を全て把握しているかのように、綾は呟く。


「お兄さんとお姉さんが、助けてくれたの」


 子どもを抱きしめていた母親だったが、状況を理解できたのか強張っていた表情が緩む。そして床に手をつくと、深々と頭を下げた。


「ありがと、マシタ」


 母親の方は子どもと違い、日本語がたどたどしかった


「や、やめてください、そんなこと!」


 綾が母親を慌てて起こす。オレも一〇〇パーセントの善意で助けたわけではないから、感謝されても居心地が悪い。


深森みもりビアンカ、デス」

「アンジェリカ、です」


 母親がビアンカで、子どもがアンジェリカという名らしい。アンジェリカは長いので、アンジェと呼ばれているそうだ。


 父親が日本人でウクライナから避難してきたが、戦争に参加していた父親とは音信不通となり、日本で二人で暮らしている。国からの支援は少なく、こんなボロアパートで暮らしているらしい。ひどい境遇だが、同情している余裕はなかった。


「自己紹介はこれくらいに。……【黒のスマホ】、ある?」


 険しい綾の声にオレたちは頷き、【黒のスマホ】を取り出す。全員が同型同色の、黒いスマートフォンだ。


「見て」


 綾が自分の【黒のスマホ】を、顔に入れる。頬の中にズブズブと、スマホが沈んでいく。


 本体全てが顔に吸い込まれた後、綾は左手の甲からスマホをニョキッと生やしてみせる。


「【黒のスマホ】は、体の中に入れておくことができるんだ」

「うへっ、気持わる」


 オレはスマホを手の平に出し入れしてみる。痛みも何もないが、絵面が気味悪かった。


「他人のでこれはできないから、必要のないときは体の中に――ちょっと?」

「確認」


 綾にオレの【黒のスマホ】を押し付けても入っていかない。


「ふーん、なる――いたっ」

「確認は、大事だね!」


 綾がオレの顔面にスマホをグリグリと捻り込んでくる。そんなに怒るなよ。


「ふざけないで真面目に聞く!」

「ふふっ……あ、ゴメンナサイ……」


 深森親子に笑われる。二人とも、少しは馴染んできたようだ。


「説明を続けるよ――ゼノン」

『はい、綾』


 綾の【黒のスマホ】から、ボーカロイドのような音声が発せられる。


「ゼノン、ボクたちの勝利条件を教えて」

『はい。綾、並びに仁、ビアンカ、アンジェリカに、』


「オレをじんと呼ぶな」


 視線が集まるが、そんなことなどどうでもいい。


「オレを、仁と呼ぶな」

『……失礼しました。では当真とうま、綾、ビアンカ、アンジェリカに、改めて地球のアップデートにおける千葉県内の人類の適格者てきかくしゃ選定試験せんていしけんの内容と、その勝利条件を伝えます』


 全員の緊張が高まるのが伝わってくる。


『試験内容は、虐殺蜂ぎゃくさつばちとの生存闘争せいぞんとうそうです。三戦し、二勝した側の勝利です。現在、ここ千葉県内で行われている第一次試験は殺戮戦さつりくせん。より多くの対戦者を倒してください。期間は三日間。七月二〇日日の正午までとなります』

「二敗したらどうなる?」

『敗北した側には消滅していただきます』


 オレの問いに、ゼノンは淡々と答えた。


 消滅。もし負けたら、【黒のスマホ】に表示されている六二八万を超える千葉の人間を皆殺しにすると言っているのか? 信じられない話だが、笑い飛ばせないほどの非現実的な事態が次々と起こっていた。


「ゼノン。次はプロフィールとストアの使い方を教えて」

『承知しました』


 綾が頼むと、【黒のスマホ】の画面が切り替わる。そこにはオレの顔と名前、年齢などの他に、『ギフト』、『スキル』などの項目があった。


『プロフィールに個人情報と、先天的な才能のギフト。後天的に獲得した技能のスキルが表示されます』


 自分のプロフィールを確認してみる。


 当真仁とうまじん 一七才。身長一七五センチ 体重七一キロ……とよく知った情報をスワイプし、ギフトとスキルの欄へ。


ギフト 【やいば祝福しゅくふく

スキル 【俊足LV8】【頑健LV4】【剛力LV2】【悪運LV5】【危険感知LV9】【熱耐性LV6】【寒耐性LV4】【電耐性LV2】【飢餓耐性LV9】【苦痛耐性LV9】【痛覚無視LVMAX】


 ギフトの【刃の祝福】は、刃物を持つと身体能力が増強され精神が安定する才能と説明があった。殺人鬼の持っていそうな才能だった。カッターを持つと頭痛が軽くなるのはこのせいか。スキルにやたら耐性系が多いが、後天的に獲得したというなら納得だ。


 しかしもう一つ下にも別の項目があった。


「ギフトとスキルの下に、何かあるか?」

「無いけど……どうして?」


 綾もビアンカもアンジェリカも首を振る。


「無いならいい」


 話を終わらせる。


 オレのギフトとスキルの下にあった項目は『カーズ』……【レンの呪い】。内容は子供の哀しんでいる姿や声に耐え難い頭痛が生じるというものだった。


 呪い。あの頭痛は呪いによるものなのか。どうりで薬も効かないはずだ。


(レン……お前のせいか)


 疑問が解け、腑に落ちる。


『ストアの説明をしてもよろしいですか?』


 ゼノンにオレは頷く。次に切り替わった画面には、飲料、食料、衣類などの画像が並んでいた。


『このストアは『ゼノゾン』です。あらゆる物の購入と売却。さらにスキルの取得や強化が可能です』

「パクったな」


 オレは指摘する。


『何がでしょうか?』

「これ、ア◯ゾンだろうが?」


 作りが、あのアメリカのネットショッピングサイトにそっくりだった。


『いいえ、これはゼノゾンです』

「認めろよ」

『これはゼノゾンです』

「喧嘩しない!」


 綾に止められる。なおも口を開こうとしたら、キッと睨まれた。


「じゃ、実際に使ってみようか。やり方はア◯ゾンと同じだから」

『いいえ、これはゼノゾンです』

「ゼノンは黙ってて」


 ゼノンが沈黙するのを愉快に思いながらペットボトルをカートに入れ、購入ボタンを押す。が、『ポイントが足りません』と警告がでる。


「使えないが?」

「アマ……ゼノゾンで商品を購入するには、ポイントが必要なの。上に売却ってメニューがあるでしょ?」


 綾が隣に来て指を差す。顔が近い。


 売却をタップするとストレージ内に画像が一点あった。オレが倒して撮影した虐殺蜂のものだ。


「売って」

「へいへい」


 なんとなくシステムが分かってきた。写真を選択すると、『売却額は三万ポイントです。よろしいですか?』と表示されたので、『はい』のボタンを押す。そしてカートに戻り、ペットボトルを購入する。


 【黒のスマホ】からポンッとペットボトルが現れ、空中でクルクルと回る。それを手に取り蓋を開けて飲むと、本物のコーラの味がした。


「ボク達は虐殺蜂を倒し、撮影してゼノゾンで売ってポイントを得る。そのポイントで商品を買ったり自分を強化したりすることができるんだ。この弓もゼノゾンで買ったの」


 綾は使っていた弓を【黒のスマホ】から取り出す。


「ゲームだな」

「ゲームだね」


 綾が苦笑する。


『地球人類はゲームが好きですので、採用いたしました。説明は以上になります』


「あの……蜂と戦うの? わたしたちが?」


 アンジェリカの顔色は青く、震えていた。


「ムリだよ……戦えない……こわい……こわいよ……」


 ビアンカに抱き寄せられたアンジェリカは、母親の膝で泣き出す。


 ゼノンの言う『試験』の内容はまさにゲームだ。虐殺蜂と戦い勝つ。ただそれだけのこと。だが、日頃くちにする豚も牛も鶏も殺したことのない日本人が、あんな巨大な蜂と戦い勝てるのか? たまたま一匹倒せたが、もうやりたくはなかった。


「……………………」


 皆が口を閉ざした。アンジェリカのすすり泣く声が響き、オレは頭痛でこめかみを揉む。


 何か行動を起こすべきだろう。だが何をしたらいいのか分からなかった。移動するにもアンジェリカとビアンカが足手まといだ。ひとまずは安全なこの建物から動きたくなかった。


 【黒のスマホ】の画面には、02:21:32 6267699(99.5%):29333(99.9%)との数字。左が第一次試験の残り時間で、右が人間と虐殺蜂の残り人数だろう。


 数字をタップし上に遡ると、開始時は6280955:29348。人間側がこの二時間と少しで一万三〇〇〇以上の減少に対し、虐殺蜂はわずか一五。元々の数が違うとはいえ、個体能力の差は圧倒的だ。勝負にならない。


(誰かなんとかしてくれねぇかな)


 ため息をつき、肩をボリボリと掻く。


 ――【危険感知】

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