まるでリボンが本体みたいな女

尾八原ジュージ

まるでリボンが本体みたいな女

 りこさんと言えば蝶々みたいなでっかいリボンだ。ぼくたちが出会ったのは二十四歳の春、肌寒い日にうっかり入ったビアホールだった。たまたま出くわした友人に紹介され、やけにうまがあって話が弾み、ふたりで笑いながらビールを飲んで、夜風の冷たさにガタガタ震えた。

 当時りこさんは大学院生、ぼくはサラリーマン二年目の、日曜の夜になると憂鬱でたまらなくなる、ごくありふれた若者だった。

 で、とにかくりこさんと言えばリボンだ。黒くてつやつやのストレートロングをハーフアップにした頭の後ろに、いつも黄色い大きなリボンの髪飾りをつけていた。りこさん自身は背が高くてクール系の顔立ちで、そういう可愛いものが似合うようなコーディネートを好む雰囲気でもなく、だから黄色いリボンは彼女の全身からなんとなく浮いていて、本当にその辺を飛んでた蝶々がふらふらっと髪に止まったように見えた。それでもなんでも毎日つけてくるものだから、もう黄色いリボンが見えたら「あっ、りこさんだ」と思うようになってしまった。どうしていつも同じリボンをつけてるのって尋ねると、りこさんはニヤッと笑って「おまもり」と答える。だからきっと深い意味があるんだろうなと思いながら、ぼくはあえて聞かずにいた。曖昧にしておいた方が面白いと思ったのだ。

 初対面の夜、ビアガーデンを出るとすぐ近くにホテル街があった。その辺りで「寒い寒い」と言いあったところまでは覚えているのだが、気がつくとぼくはラブホのでかいベッドに素っ裸で寝ていて、隣には同じく素っ裸のりこさんがすやすや眠っていた。そんな出会いだったけれど、それ以降ぼくたちの交際はとても平和で、波風ひとつ立たなかったと記憶している。ぼくたちはいつも笑っていたし、りこさんと一緒なら極寒のビアガーデンだって何だって楽しかったのだ。

 りこさんとは二十六歳の夏、突然連絡がとれなくなった。共通の友人を介してもどこにいったかわからない。ぼくはりこさんを捜した。色んな街へ行って人混みの中を歩き、黄色いリボンをつけた背の高い女性を捜して捜して捜した。そうしているうちに、黄色いリボンを見ると「あっ、りこさんだ」と思う癖は、まったく抜けないどころかどんどん悪化していった。

 ある日駅ビルの中に入っている、安価なアクセサリーをたくさん売ってる店で、りこさんがつけていたのとそっくり同じリボンを見つけたぼくは、思わずそれを購入してしまった。こんなもの買ったってりこさんが帰ってくるわけじゃないのに、それでもレジに持っていくときには胸が躍った。

 背の高いロングヘアの女の子は、姿勢の悪さとか顔立ちの好みとか、そういった細かいところを除外すれば案外その辺にいくらでもいた。その中から一人を見繕って家に連れ帰り、黄色いリボンをつけてもらうとそれは確かに一瞬、りこさん本人に見えた。でも、魔法は残酷なくらいすぐに解ける。りこさんは消えてしまって、あとには愛着も何もない、よく知りもしない女の子が残る。あまりに儚い魔法で、ぼくはとても悲しい。急に拉致されてがたがた震えている女の子からリボンを外すと今度こそ魔法は完全に解け、そこにいるのは完全に知らない別人で、決してりこさんではない。でもつけた一瞬だけは確かにりこさんに見えたんだけどなぁ、と、動かなくなった女の子の死体を細かく切り刻みながら、ぼくは未練がましく黄色いリボンの幻を追った。

 それから背の高い黒髪ロングの女性を見つけると家に連れ帰ってリボンをつけて取り去って、悲しみのあまり消えてもらうというのが習慣になった。悪いことをしてるなぁという自覚はあるのだけれど、だいたい三か月から半年に一回、どうしても今日はりこさんが必要だっていう衝動に駆られて、そういうことをしてしまう。もはやぼくではなく、りこさんというか黄色いリボンそのものがこういうことを企んでいるのではないか? あの事情がよくわからないリボンはそのためのものだったんじゃないだろうか――なんてくだらないことまで考えてしまう。ぼくは黄色いリボンに操られていて、本当に殺人を犯しているのは黄色いリボンであり、そしてりこさんなのだ。そう考えると、一度は失ってしまったはずのりこさんとの繋がりが復活したように思えて、涙が出るほど嬉しくなった。黄色いリボンに殺された死体が増えるにつれ、「そろそろこんなことも止めないと、庭に埋める場所がなくなって片付けが追いつかなくなるぞ」と焦る自分も出てきたが、結局止めることはできないままに年月が経った。

 ある日、ぼくに声をかけてきた女性は、とびきりりこさんに似ていた。これはすごい偶然だと思ったらりこさんの妹で、行方不明になった姉を捜すために各地を彷徨っているのだという。ぼくがりこさんを知っているというと、「あなたに会えて幸運でした」などと言いながら、なんの抵抗もなく家までついてきた。

「昔、姉が病気で入院していた頃に、私が黄色いリボンの髪飾りをプレゼントしたんです。そしたらそれからというもの、なぜか病状がぐんぐんよくなって、退院して普通の生活が送れるまでになったんです。だから姉はそれ以来、ずっと御守りとして、あの黄色いリボンをつけていました」

 そんな話をされたとき、湧いてきたのは怒りだった。そんな普通にいい話が由来のリボンだったなんて聞いてねえよ、という気持ちがマグマみたいにこみ上げてきて、気がついたらぼくは彼女の首を絞めていた。とっさに「しまった」と思ったけれど、手を離してみると首の骨が折れていた。完全に手遅れだった。

 りこさんの妹の死体を細かくしながら、もうこんなにりこさんに似てる女はいないだろうな、とがっくりした。がっくりしながら一仕事終えて浴室を出ると、リビングの中央に何か細長い、黒いものが立っているのが見えた。

 それは人間のようだった。表面がうぞうぞと動いており、よく見るとそれは無数の蠅だった。いつの間にか周囲に、悍ましい腐臭が立ち込めていた。

 黒いものは頭に黄色いものをつけている。蠅に埋まりかけているそれは、どう見てもりこさんの黄色いリボンだった。

 りこさん?

 声をかけると、黒いものはぞわっと口を開けた。そして真っ黒な穴のような口から腐臭と蠅を吐きだしながら、げらげらと高く笑い始めた。

 そのときぼくの脳裏に、彼女と始めて出会った夜のことが、まるで映画のワンシーンのように映し出された。春のビアガーデンで震えながらビールを飲んだ、あの寒さと可笑しさが鮮やかに蘇った。なんともいえない安らぎを覚えて、ぼくも一緒に笑った。

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