02
◇
「この鈴木くんの嘘にはびっくりした!」
「そ、そう? あ、これはミスリードって言ってね――――」
僕は小川さんからA4のノートを借りて、翌日に返すといった日々を送っていた。
返す時には、必ずノートを読んだ感想も添えるようになっていった。
そのノートには彼女のオリジナル小説が書き綴られていて、僕が返却すると、その次の日には彼女がまた更新し、僕に貸してくれる。
そういったサイクルで、僕と小川さんの間でノートのやり取りが行われていった。
「小川さんの書く話、とっても引き込まれるよ。もう一気に読みたいくらいだ」
「だめだめ。ちゃんと決まったペースで書くから、大湊くんも決まったペースで読んで?」
「うん」
小川さんの顔を見て、改めて最近思うことがあった。
それは、小川さんが以前よりも明るくなった気がするってこと。
表情も、口数も。少しずつだけど、確実に豊かになった気がする。
たまにだけど笑うように、些細なことも話すように、それが彼女本来の姿なのかもしれないと思えて僕は嬉しかった。
僕はその、小川さんの微妙な変化をしっかりと感じ取っていた。
昨日までなかったはずの芽を翌朝のプランターで見つけた時とか、五秒後にもう一度振り返ってみると少しだけ膨れていた積乱雲の形とかみたいに、それは本当に些細なことだった。
でも、だからこそ、もっと彼女のことを知りたいと思うようになっていて。
こうして僕が、より小川さんのことを知りたいと思うようになっていった頃、学校は三学期に突入していた。
◇
教室内で他の同級生達が「最近寒いね~」「ね~」なんて会話をしている時も、やっぱり僕と小川さんは彼女の書いた小説について話していた。
「次回あたりで、そろそろ告白するの?」
「内緒。……もう大体予想ついてるでしょ?」
「あはは、まあそうだけど」
意外に思われるかもしれないけど、小川さんは学園ものの恋愛小説を書いていた。
ホラー小説を好んで読むわりに、小川さんの書き味は不思議と恋愛小説らしくちゃんと仕上がっていて、違和感なく第一読者の僕をドキドキさせたりキュンキュンさせたりしてくる。
上手じゃない。なんて謙遜でしかなくて、僕は小川さんの書いた小説の、もっと言うと小川さんの選んだ言葉の言い回しややり取りの、虜になっていた。
ずっと心拍数の
作中の鈴木くんが、もういい加減ヒロインから告白を受けそうだったので、僕は牽制とばかりに彼女に次回の内容を予想して言ってみせたり、登場人物の気持ちを推し量ってみたりしていた。
僕が予想を口にすると、小川さんは決まって「もうわかってるでしょ」と、こちらの推理力を買い被ってみせたりする。
それでも「いや、わからないねぇ」とか「あはは! あはははは!」とか、どうにか僕はごまかしてみるけれど、実際は小川さんの言う通りで、大体は展開が見えてしまっていることが多かった。
「ねぇ大湊くん、話は変わるんだけど……そろそろバレンタインだよね?」
「え? ああ、そういえば」
確かにそろそろ、作中の季節が二月を迎え、バレンタインイベントも間近という頃合いだった。
僕は小川さんの言うバレンタインが、彼女の書いていた小説のことだと思っていた。
「大湊くんは、チョコとか好き?」
「僕自身は普通くらいだけど、ほとんどの男子は好きだと思う」
小川さんはそれからちょっとだけ黙り込んで。
「……別にチョコである必要もないよね」
「?」
僕はそこで、黒板の脇に掲示されているカレンダーが、もう二月のページに入っていることに気が付いてハッとした。
そうだ。もう現実でも二月なんだ。
「小川さん、その……」
僕は一度ためらってから、結局訊きたかったことを声に出していた。
「小川さんはバレンタインにチョコとか作るの?」
「……作ったことないよ、今までは」
そう言って、彼女は両手の指先を合わせてもじもじとしていた。
「……」
こちらから訊いておいてなんだけど、小川さんの反応があまりにも初々しいというか、恥じらいに満ちていたから、僕はこれ以上彼女を直視しないでおこうと思った。
見ていたらこっちまで頭から湯気が出てしまう。
それに、どういうつもりで恥じらっているのか、わからない。
高校生にもなって、片想いの一つすらしたことのない自分に恥じらっていたのか。
お菓子を作ったことがないから、その点に恥じらいを感じたのか。
僕には読めなかった。
僕達は、まだそんな距離感だった。
◇
バレンタインの話が出た翌週のある日。
僕は小川さんから預かったノートを自宅で読んでいた。
一人でのんびりと小川さんのオリジナル小説を読む時間が、僕にとっては至福のひと時になりつつあった。
「あ、これって……」
鈴木くんに恋してる作中ヒロイン・阿賀野さんは、引っ込み思案で恥ずかしがり屋さん。何かをしゃべるより、何かを聞いて考えることの多い思慮深い女の子だった。
おしゃべり好きな子を、『口から生まれてきた子』なんて言い表すことがあるけれど、きっと阿賀野さんは『耳から生まれてきた子』なんだと思う。そんなヒロインだった。
阿賀野さんは鈴木くんに寄せる想いを、ずっと打ち明けられずにいたのだけれど、いよいよ迫ったバレンタインデー当日。
彼女は気持ちを込めて作ったパウンドケーキを、鈴木くんの下駄箱に入れていた。ただし、そこに手紙を添えたりはしていなかった。
そのケーキの送り主が誰かはわからなくても、あなたのことを好いてる女の子がいる。と、その一点の曇りなき事実だけを鈴木くんに伝えることにフォーカスしていた。
「なるほど。……阿賀野さんらしい決断」
僕は小川さんの生み出したヒロイン、阿賀野さんの性格ならではの行為に、ふむふむと関心した。
好きな人に好きな気持ちを伝えたい。でも恥ずかしさや怖さがあって、どうしても直接なんて伝えられない。
阿賀野さんのそういうデリケートな心理がとても上手に描かれていると思って、ここに一つ恋わずらいの学びを得たような気持ちになった。
たぶん、告白の言葉を留守電に入れたり、人づてにお知らせしたり、ラブレターを送ったりするのも全部違うんだ。
一番の理想的な形が、このやり方ってことなんだ。
僕はそう思いつつ。
「ふふっ。でも鈴木くんはちょっと困惑するんじゃ……?」
バレンタインデーに差出人不明のケーキをもらっても、嬉しい反面、戸惑いもあるんじゃないのかなと思い、僕は次のページをめくった。
すると、案の定鈴木くんは独り言をこぼしていた。
『一体誰がこんな甘いイタズラを!』
阿賀野さんの好意(行為)がイタズラ認定されていて、僕は噴き出してしまった。
◇
「小川さん、今回もすごく面白かったよ。特にラストの鈴木くんの反応が」
「よかった。そう言ってもらえて」
翌日、僕は小川さんにノートを返却した。
いつものように感想を添えて。
「甘いイタズラって表現も、ほどほどにロマンチックな感じでよかった」
「そ、そうっ」
コミカルとラヴの折り重なった小川さんのセンスに、僕は賞賛を送る。
小川さんは、作中の阿賀野さんほどではないけれど、世間一般の水準で言えばそこそこな照れ屋さんで、僕が感想を言うたびにちょっとだけ頬を赤くする。
お話の感想をもらうことに、まだ嬉しさよりも気恥ずかしさが勝ってしまうのかもしれない。
小川さんはやっぱり小川さんだと思った。
席替え当初よりも僕とよく話すようになったし、笑ったり、驚いたり、その顔にいろんな表情を浮かべるようになって、どんどん変化している気がしていた。
でも、やっぱり根っこにある彼女の性格はそのままなんだろう。
「続き……また書いてくるから」
「うん、楽しみに待ってる!」
それから小川さんは、気恥ずかしさに負けず、また次があることを宣言してくれた。
もう何度もノートのやり取りをしていて、この宣言もどこか形式的になりつつあったのだけれど、それでも僕は小川さんのこの宣言が好きだった。
友達と遊んだあとに、ちゃんと「またあしたね」と言い合ってる風だった。
その日も無事に学校を終えて、僕は生徒玄関から外へ出ようとしていた。
「……?」
見慣れた自分の下駄箱を開けると、綺麗に包装されたピンクの箱が出てきた。
意表を突かれた僕は、なんとなく周囲に誰もいないことを確認して、その包装を解いてみる。
すると、中には誰かの手作りと思われるパウンドケーキが入っていた。
僕は洋菓子の評論家でもなんでもないけれど、これがお店で売られていたものじゃないことは、なんとなく察することができる。
そのくらいこのケーキの出来栄えは普通だった。
形がいびつで、綺麗なピンクの商業然とした雰囲気の箱とは、ややギャップがあって。
「パウンドケーキ……。あ、これって」
どうして僕の下駄箱にこのお菓子が入っていたのか、その理由を言葉にすることは、きっと送り主の望むことじゃないのかもしれない。
だから例え僕がその送り主に心当たりがあったとしても、ここで口にすべき言葉は一つしかないと思った。
「……。一体誰がこんな甘いイタズラを!」
声に出してみると、僕は鈴木くんの気持ちが痛いほどわかった気がした。
(了)
※お読みいただきありがとうございました。
今作はこちらで終了となります。もしよければ、本作のフォローやレビュー、☆星の評価をいただけますと、今後の制作の励みになりますので、よろしくお願いします!
照れ屋なヒロインは告白なんてしない。 つきのはい @satoshi10261
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