黄色くなったカエル
真っ赤なカエルを革靴に乗せたまま、弘樹は自宅マンションへと向かった。靴の上にカエルが乗っているので、それが気になり歩きづらく、足がつりそうだった。
マンションの部屋に入ってから、カエルを手のひらに載せてみた。近づけてじっくり見ると、カエルはガリガリに痩せていて赤い皮膚はカサカサに乾いていた。
「あたしの体を水で濡らしてほしいの」
カエルは訴えた。
弘樹は洗面器に水を入れてカエルをそこに入れた。
「ありがとう」
洗面器に入れたカエルは気持ちよさそうに浮かんでいた。
「どうだい?」
「気持ちいい。生き返ったわー」
カエルは水の中で仰向けでプカプカと浮かんでいる。
「よかった」
弘樹の顔から久しぶりに笑みが溢れた。
「ねえ、お腹すいたわ」
床に横たわりテレビを観ていた弘樹の顔の前にカエルが現れた。
「水浴びは終わったのか」
「ええ、気持ちよかったわ。ありがとう。でも、あたしお腹がペコペコなの」
「食べ物なんてほんとに何もないよ」
「この部屋についた瞬間からそんなに期待はしてないわ。ていうかあなたを見た瞬間から期待してないわ」
「俺を見た瞬間から期待してないって、失礼な言い方だな」
「だって、本当のことじゃない」
カエルは水に浸かり体力が回復したせいか、態度が横柄になってきた。
「あんまり偉そうにしてると、元の場所に連れて行くぞ」
弘樹は腹が立ってカエルに向かって声を荒げた。
「あなたはそんなことできない性格だわ」
カエルはニコリと笑みを浮かべた。
「なんで俺の性格がお前にわかるんだよ」
「フフフ、それより、たくさん食べ物があるじゃない。今日の朝のパンは食べ残してるし、サラダもレタスの切れ端が残ってるわ。食べ物を粗末にしちゃダメよ」
カエルがテーブルの上を指差した。
テーブルの上を見ると、今日の朝、食べたパンやサラダの残飯が散乱している。昨日の夜にコンビニで買ったものだ。
「こんなのでいいのか」
「だから、あなたに会った時から、そんなに期待してないって言ってるでしょ」
「なんか気に障るな」
「気に障るなら、あたしのためにちゃんとした食べ物準備してみなさいよ」
「そんな余裕はないよ」
「でしょ。だから期待してないの」
少しイライラした。
「わかった。でも、最初に言ったけど、お前を育てるのは体が緑色になるまでだからな」
「それは約束するわ。あたしもいつまでもこんな汚いところにいたくないもん。体力がついたら隣町の田んぼに行って、新しい仲間と一緒に暮らすつもりなの。そこでかっこいい男子見つけて子供を生むわ」
「そこがまたコインパーキングにならなきゃいいけどな」
弘樹は嫌みを口にした。
「そんな嫌なこと言わないでよ。それすごく傷つく」
カエルは涙を浮かべた。
「あっ、ごめん」
弘樹はさすがにまずいことを言ったと頭を下げた。
「あなた、やっぱり優しいわ。人間にしとくのがもったいない」
カエルはニコリと笑った。
今日も課長から散々嫌みを言われ、傷つき暗鬱な気持ちのままマンションに帰った。
鍵を開けて部屋に入ると、いつもは真っ暗な部屋に明かりがついている。カエルを育てるようになってから、蛍光灯はつけたまま部屋を出るようにしている。電気代が心配だ。
「おかえりなさい」
カエルはテーブルの上でムシャムシャと残飯をあさっていた。
よく見ると、カエルの色が少し変わっている。手足の先が少し黄色くなっていた。
「お前、体力は回復したのか」
「そうね、だいぶよくなったわ」
「それじゃあ、隣町の田んぼに行けるんじゃないのか」
弘樹はカエルを早く追い出したかった。カエルがいると電気代もバカにならないし、マンションに帰っても落ち着かない。
「まだダメよ。体全身が緑色になるまで、あなたに育ててもらうのよ」
「体全身が緑色になるのってどれくらいかかるんだ」
「あたしにもわかんないわ。あなたの育て方次第よ。こんな残飯ばかりじゃなくて、栄養のあるものを食べさせてくれたら早くなるかもしれないわ。あたしを早く追い出したいなら、もっといいもの食べさせてよ」
「俺だってギリギリの生活なんだ。お前に金をかける余裕なんてないよ」
「仕方ないわね。あなたが貧乏でどうしようもない人間だってことは最初からわかってたんだから」
弘樹は苛立ちを拳を握りグッと堪えた。
「ハァー、疲れたー」
弘樹は部屋に入るとカバンを投げ出し、ベッドに伏せた。今日も課長からクズ扱いされた。あんな会社はすぐにでも辞めたい。
枕に顔を埋めた。涙が溢れ出て枕を濡らした。頭がモヤモヤする。目を閉じても課長の顔が浮かんでくる。他のことを考えろ。課長の顔が消えるまでじっと堪えた。
そうしていると、チョロチョロと水の流れる音が聞こえた。顔を上げて耳を澄ましてみる。確かに水の音がする。
そういえばカエルの姿がない。
水の音は風呂場から聞こえてくる。立ち上がり風呂場へ向かった。
風呂場の前に立ち、耳を澄ます。
やっぱり水の音はこの中から聞こえてくる。弘樹は勢いよく風呂場のドアを開けた。
「お疲れさまー」
カエルがバスタブの底で寝そべっていた。シャワーから出る水がカエルの体にチョロチョロとあたっている。
「何してんだ」
「見ればわかるでしょ。シャワーを浴びてるの」
「自分でシャワーを出したのか」
「そうよ。水の量の調整で手間取っちゃったけどね。強すぎると流されちゃうから難しかったわ。でも今はちょうどいい感じよ」
バスタブの底で横たわるカエルを見ると体が黄色くなっていた。
「自分でここに入ってシャワーが出せるくらい元気になったのか」
「そうね、だいぶ高くまで飛び跳ねれるようになったわ」
「よかったじゃないか。もうすぐここから出ていけるな」
「この調子なら、あと少しで隣町の田んぼに行けるわ」
カエルはシャワーから出るチョロチョロの水を気持ち良さそうに浴びている。弘樹はその様子をじっと見つめた。
カエルはどれくらいの時間こうしていたのだろうか。電気代だけじゃなく水道代も心配になった。
「あなたは元気なさそうね」
「ああ、いつものことだけど仕事がうまくいかなくてね。仕事というか、上司の性格が悪すぎなんだ。俺は一生懸命やっても、あいつがいる限り俺はダメだ。早く辞めたいよ」
「一生懸命やってもダメなのはあなたには能力がないんじゃない」
カエルはカチンとくることを言う。
「なんだとー」
「怒んないでよ」
「怒るに決まってんだろ。こっちの気も知らないで、俺がどれだけ苦しんでるのかわかんねえくせに」
「わからないけど、きっとあなたは贅沢なこと言ってるのよ」
「贅沢なことなんて言ってない。なんでそんなこと言うんだ」
「だって、あなたは中途半端な仕事をしてもお金はもらえてるし、お金があれば食べるものにも困らない。住むところだって急になくなることもないでしょ。それに家族を失うこともないわけじゃない」
「そりゃそうだけど、人間はいろいろ生きているだけで大変なんだよ」
「あなたを見てると大変そうには見えないわ」
「お前はここにいる時の俺のことしか知らないからだよ」
「外では大変なの」
「大変なんてもんじゃない。死んだ方がマシだ」
「死ぬならあたしが緑色になってからにしてね」
「うるせえ」
「ただいま」
「今日も元気ないわね」
「あの職場に行ったら元気なくなるよ」
「行く前から元気なかったけど」
「朝は仕事に行きたくないから元気が出ないんだよ」
「何が嫌なのよ」
「課長に嫌みばっかり言われることだな」
「それはあなたがちゃんと仕事してないからじゃないの」
「ちゃんとしてるよ」
「どんなことで嫌み言われるのよ」
「営業成績が上がらないとか、プレゼンの資料が間違いだらけで、取引先に恥をかいただとか、そんなことだ」
「それってあなたにも問題あるんじゃない。課長がどんな人か知らないけど、営業成績が悪かったら上げる努力をあなたはしてるの。それにプレゼンの資料はなぜ間違えたの。提出する前にちゃんとチェックはしたの」
「それを言われると耳が痛いけどさ」
「耳が痛いって、そんなこと言ってちゃダメでしょ。自分の悪いところは認めて改めないと」
「お前、育ててもらった命の恩人に偉そうだな」
「命の恩人だから言うのよ。あなたの暗い顔見たくないもん」
「俺のために言ってくれてるのか」
「もちろんよ。あなたは性格は優しいけど、ルーズだからそこは改めないと、これから生きていくのに損するわ」
「ルーズなのは認める」
「でしょ、だったら改めましょうよ。もしかしたらその課長も愛のムチのつもりであなたにきつくあたってるのかもしれないでしょ」
「それはどうかな。課長は俺のことが嫌いなだけのような気がする」
「あんたはやっぱりバカね」
「うるせえよ」
「まっ、とりあえずは自分の出来ていないところは認めてしっかり改めてみてよ」
「わかったよ」
「期待してるわ」
カエルがニコリと笑みをくれた。
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