蘇った記憶と対価⑪

「休憩にしますか?」

「……そうだな。濃い目の珈琲頼む」

「はい」


 指先で目頭を押さえている久我を心配し、検察事務官の井川いがわ 日葵ひまりが声をかけた。

 久我は担当する案件が多く、裁判準備が常に重複している。疲労が蓄積し、視界が霞み、文字が時折ぼやけて見えることがある。


「明後日使う陳述書はどこだっけ?」

「陳述書は机の左上、昨日の検視結果は緑のファイル、今日の送致者名簿は黄色いファイルです」

「……了解」


 久我は公判手続きに使う陳述書を探し出し、ざっと目を通す。続けて、証拠調べに使う資料に目を通していると、井川が淹れたての珈琲を机の端に置いた、その時。

デスクの上に置いてある井川のスマートフォンがブブブッと震えた。


 久我の執務室では、勤務中は音が鳴るようにしてはいけない。緊急な用事がある時は、直接執務室に電話をかけなくてはならない決まりになっている。

 仕事に対して一切の妥協をしない久我にとって、勤務時間内にプライベートを持ち込むのは以ての外なのだ。


「えっ?!」


 スマホを確認した井川は、無意識に声が漏れ出していた。


「あ、……すみません」


 じろりと鋭い視線を突き刺す久我に委縮しながら詫びる井川。


「何か問題でも?」


 稀に家族から緊急な用事でメールを受信することもあるし、仕事柄、依頼している案件の検査結果などの知らせを事前にメールが送られてくることもある。

 だから、絶対に携帯電話を見てはいけないというわけではない。

 何かあったのかと思い、久我は手元の資料に目を落としながら井川に声を掛けた。


「女優の来栖 湊が撮影中に大怪我したみたいで、病院に緊急搬送されたとトップニュースが」

「ッ?!」

「……すみません、私用でした。仕事します」


 井川の言葉に反応するように久我の手はピタリと止まり、目が大きく見開いた。

 井川はそんな久我に気付かずに、公判に使う判例の整理の続きに取り掛かる。

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