偶然は突然に⑩

 「お気に入りだったのに…」


 脱衣所のダストボックスに捨てられた水玉柄のシフォンブラウス。

 写真集の撮影で訪れたフランスで一目惚れで購入したもの。若手デザイナーによる1点ものだったのに……。


 湊は幼い頃の記憶がない。10代の頃は養護施設で暮らし、その後養子縁組により今の生活に繋がっている。

 何が原因で記憶を失ったのかすら分からない。

 憶えているのは、『桜色の傘』と『水玉柄のワンピース』が好きだったという事だけ。


 もしかしたら、母が手づくりしてくれたワンピースだったのかもしれない。

 雨の日に桜色の傘をさして、私を迎えに来てくれた記憶なのかもしれない。

 そんな風に思えて、水玉柄に愛着がある。

 勿論、桜色の傘と雨の日にも。


 今日は朝から小雨が降り続いてて、気分的にはいい日だったのに……。鏡に映る自分を見つめ、無意識にため息が漏れ出した。


***


「え?もう1回、今何て?」

「だから……」


 翌朝、自宅に迎えに来たマネージャーに昨夜の出来事を話す。

 こういうことはたまにある。

 事務所が売り込むために送り込んだわけではなく、協賛会社社長の傲慢な思考が暴走し、監督を捻じ伏せ、強制的に枕営業させるようなことを。だけど、一度たりとも枕営業に手を出したことはない。

 芸は売っても身は売るつもりないから。


 若手の監督ではあるが、作品が良かったため出演を決めたのに。

 過密スケジュールをやり繰りして、長期撮影にも挑む覚悟を決めていたのに。


「社長に報告しますね!辞めましょ、そんな映画。馬鹿にしてますって!」

「違約金云々言って来たら、これ使って」


 スマホに残されている証拠写真を見せると、マネージャーの山ちゃん(山本 栞)は絶句した。

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