偶然は突然に⑨

 手にしているクラッチバッグから名刺を取り出し、まじまじと見る。


「本当なのね」


 名刺には彼が言っていたように検事の肩書が書かれている。

 映画で弁護士役をやったことがあり、その時に検事役の俳優の襟元に輝く検事バッジを見たことがある。

 まさか、撮影以外で目にするだなんて……。


 ちょっとぶっきらぼうな感じの口調だったけど、態度は終始紳士的だった。

 最悪の男との乱闘直後だったからか、彼が窮地を救ってくれる白馬に乗った王子様に見えたのもしかたない。


 不意に彼の横顔を思い出す。フフッ、あれこそドラマの世界だわ。

 俳優顔負けの美顔にモデルと見間違えそうなスタイル。更には、ぐうの音も出ないほど完膚なきまでに、拳一つ使わずして場を収めるスキル。


「どうやって返そうかな」


 彼が着ていたジャケット。手触りからして高級品だと分かる。


「あっ、やっぱりそうよね」


 ジャケットの内側にあるタグを目にして、有名なハイブランドのものだと判明。

 

 そもそも私のこと知らない感じだったし、普段テレビで見慣れているとか、好奇なものを見る視線では無かった。それが殊の外新鮮で。


 テレビをつければどこの放送局でも、ドラマやCMで見ない日は無いはずだし。

街を歩けば、至る所に広告塔として私がいるはず。駅構内やコンビニでも目にするはずなんだけど?


 あ、そうか。恐らく、顔が認識できないくらい酷かったんだわ。

 しっかりと纏め上げたはずの髪が跡形もなく垂れているのだから。


「シャワー浴びなきゃ……」


 男の唾液が首筋についてるかと思うだけで吐き気がぶり返す。

 全てを洗い流したくて浴室へと向かった。


**


 あちこちに擦り傷のようなものと、軽い鬱血痕がある。

 思い出したくもないのに。


 肌がヒリヒリするほど擦り洗いし、重い足取りで浴室を後にする。


 タオルドライした髪にヘアミルクを馴染ませ、毛先にオイルを重ね付けして。

 丁寧にドライヤーで乾かしながら、ジャケットの返却方法を悩みあぐねていた。

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