偶然は突然に⑦

「はぁ……」


 何とか無事に帰宅した私(来栖 湊)は、力尽きるようにソファに倒れ込んだ。


**


(回想シーン)遡ること3時間半前。


 久しぶりの休日でのんびり過ごしていたところ、急遽、映画の協賛会社の社長との会食が入り、仕方なく某ホテルに出向いたのが19時少し前。

 監督や脚本家も同席しての会食はおよそ2時間半ほど続き、その後にノベルティ用の打ち合わせをしたいというので別室に移動した。

 けれど、それが間違いだった。


 連れていかれた場所はミーティングルームではなく、宿泊用の客室。

 北欧風に誂えられた室内。ダウンライト越しに見える夜景はうっとりしてしまうほど魅力的だが、そんな雰囲気を帳消しにしてしまうほどの気持ち悪い視線を向けてくる人物が。

 50代半ばといったところだろうか?

 年の割には若々しく纏められたバンクアップの髪。高級腕時計が嫌味に輝き、むせ返るほどの香水の匂いを纏う協賛会社の社長・たつみ 紘一こういち

 会食の際は映画監督や脚本家もいたからあまり会話しなかったけれど、今思うとずっと視線を向けられていた。


 部屋に入るや否やネクタイを緩め、鼻歌交じりでワインクーラーからボトルを取り出し、グラスに注いだワインを差し出して来た。


「ヴィンテージだから、美味しいよ」

「すみません、早朝からCM撮影が入っているので、お酒は控えさせて下さい」


 当たり障りのない言い訳を連ねて、巽との距離を保つ。

 けれど、個室に二人きりとあって、男は上機嫌のようだ。

 会食の際にすでにビールを数杯飲んでいたはずだが、巽は注いだワインを一気に飲み干した。


 世の中には枕営業する女優もいるらしいが、私は違う。そこまでして仕事がしたいだなんて思ったことは一度もない。

 これまで色んな役どころに挑戦して来たが、常に真剣勝負で勝ち取って来た。


「打ち合わせが無いのでしたら、そろそろ失礼させて頂きます」


深々とお辞儀し、踵を返した。

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