第18話 無人島
天文船が接岸地点まであと1日という時、大阪湾を目指していた通信船などの一団がひと足早く上陸を果たした。
<大洪水が鎮まって再上陸したノアの箱舟の乗員が見た光景は、このような感じだったのかもしれない。見渡す限り、文明の痕跡は全く感じられない。30余年に及ぶ氷結と、その後のインパクトの衝撃、そして大洪水による浸食、それらが全てを徹底的に破壊し押し流した。日本は一から造り直さなければならない。これは大事業だ>
通信船の野田和明は、上陸後すぐに坂井星也に短いメールと数枚の画像を送ってきた。
「これが大阪…ひどいな」
野田のメールに添付されていた画像は、星也がぼんやりと想像していた日本の風景とは全く異なっていた。土石流で散々削られ、浸食された大地には、家ほどもある巨石がごろごろ転がっていた。
「これじゃあ火星のほうがマシだな」
星也は誰に言うともなくつぶやいた。頭の中では、マーズプレスが伝えた火星の荒涼とした光景が浮かんでいたが、野田が送ってきたのはそれとは比較にならない荒々しく、徹底的な破壊の爪痕だった。
星也の隣で画像に目が釘付けになっていた篠田かおりがやっと口を開いた。
「まずは生活の拠点づくりからよね。これじゃあ月や火星にコロニーをつくるのと同じ」
「でも、地球には呼吸できる空気とすぐに手に入る水があります。それだけでも随分と好条件だと思いますが」
野田からのメールは次のような言葉で締めくくられていた。
<地形は劇的に変わった。昔の地図は当てにならない。どこに何を造るのか、まずは調査と測量から始まる。ここまでひどいとは思わなかった。天文台の建設は大変だぞ。高野山が原型を留めていることを祈る>
野田からメールが届いた翌日、天文船など8隻の艦船は紀伊半島に東側から接近していた。インパクト以前の鏡のような海面とは異なり、わずかながら波頭が立ち、それが船を上下させている。各船の甲板からは、水平線のかなたに島影が見え始めた。小惑星衝突後の豪雨が収まったとは言え、湿度は依然高い状態で視程はそれほどクリアではなかったが、それでも水平線付近に青い島影が姿を現した時、甲板に集合していた乗組員は歓声を上げた。
「いよいよなのね」
いつもは飄々としている篠田かおりも感激した面持ちだ。野田からのメールで、日本列島が昔とは全く違う姿で自分たちを迎えることは分かっている。頭で理解していても、星也は故国の土を踏むという瞬間を前に、厳しい現実を一瞬忘れ去った。
「何だか興奮してきましたよ」
「みんなそうだと思うわよ。顔つきが違うもの」
星也は周囲を見回してみた。篠田の言う通り、甲板に集まった乗組員は皆、頬を紅潮させ、目を輝かせながら遠く水平線に目を遣っている。
<接岸まであと1時間、各自上陸に備え最終準備に入れ>
船内放送が流れると、甲板からは1人、2人と姿が消えていった。
天文船などの一団は、かつて和歌山県新宮市のあった付近に接近した。この辺りにはかつて大小の港湾がたくさんあったはずだが、それらは跡形もなく流され、地形そのものが完全に変わっていた。結局船は沖合に停泊し、ヘリコプターやボートで上陸するしか手がなかった。
「無人島に上陸する心境ですね」
坂井星也たち天文船の乗員は、甲板に立ち、他の船からヘリやボートが出発する様子を眺めていた。天文船の上陸順は最後に回されたので、ボートに乗り込むまでには、3、4時間はかかりそうだ。
「だって今は無人島なんだから仕方ないわよ」
篠田が真顔で言った。確かにそうなのだ。今の日本列島は無人島なのだ。だからこそ自分たちが送り込まれ、再建に挑戦する。星也はふと我に返った。
「港の跡くらいはかすかに残っていると思ったのですが…」
「そうね、これは多分、インパクトの衝撃というより、その後の大洪水でやられたのよね」
船は海岸線から数百メートルの位置に停泊していた。甲板に立つ星也の目には、陸地がはっきりと見えていたが、野田からのメールにあったように、文明の痕跡は徹底的に破壊され尽くされていた。海岸は一面、泥と巨石で埋め尽くされ。どこが海岸線なのかすらはっきりしない。やや遠方の山々に目を転じると、見渡す限り樹木の類はなく、さまざまな色合いの岩石がむき出しになっている。もちろん海鳥などの生命の気配は全く感じられない。
船が停泊している海自体は、泥で混濁し透明度は低い。そもそもここはインパクト後の降雨でできた巨大な淡水湖の名残で、本来の意味の海ではない。桜島インパクトのおかげで海への水路が開かれたので、淡水は徐々に海に抜けており、これから何十年かを経て、本当の海に入れ替わっていくのだ。
上空を旋回していたヘリコプターが、ある地点に発煙筒を投下した。
「あそこが上陸地点ね」
篠田がつぶやいた。海上に停泊していたゴムボート数隻が煙のたなびく方向に舵を切った。波にもまれるボートの上では上陸第1陣の十数人が肩を寄せ合っていた。
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