第13話 変化

「状況が変わったというのか」

 首相の口調はやや不機嫌になっていた。2度目の小惑星落下から、司令船では対策会議が夜を徹して続いていて、閣僚らの疲れの色は濃かった。しかし、首相の渋面を前に、流田教授は冷静な面持ちで頷いた。

「衝突後に生じたいくつかのファクターを追加して計算したところ、全く別の答えが得られております」

「悪い話は聞きたくないが、覚悟して聞くとしよう」

「悪い話ではございません。このまま、土石流が周囲を破壊しながら南下を続ければ、最初の爆発的な水圧は徐々に減衰します。海に到達する直前くらいで流れは穏やかになる可能性が強いと思われます」

「海に到達する直前だと」

「はい」

「直前とはどのくらいだ」

「計算では残り十数キロの地点で、氷を突き破るほどの水圧は失われます」

「それでは…」

 大澤首相は信じられないといった表情をした。

「津波は発生しません。さらに、残り十数キロでしたら、計画的に水を排出することもできるのではないかと…」

「そんなことが…そんな都合の良いことが起こるものなのか」


 流田教授のグループが国内最高の量子コンピュータで再計算したシミュレーションは、97%の精度で的中した。桜島インパクトで流出した土石流は、3日後、東シナ海まで12・5キロの地点でほぼ停止した。上空2000メートルからの映像だと、土石流が進んだ跡は巨大な三角州のようにみえた。

「この境界にダムをいくつか造って、徐々に計画的に放水すれば良いのだな」

 首相執務室で大澤は、動きを止めた土石流の映像に釘付けとなっていた。

「はい。それでもすべてを放出するには何年もの月日が必要となりますが…」

 首相補佐官の緑川が答えた。

「月日の長さは問題にはならん。日本がこの数十年間、熱望してきた国土を取り戻せる好機が到来したのだからな」

「おっしゃる通りです」

「この土石流は南下の過程で何百平方キロという広大な氷雪域を破壊した。この力を活用して南アジアの氷雪域の南下を止められるかもしれない。国際協力体制の構築が急務だ」

「すぐに関係各国に打診いたします」

「それと同時に日本国土の再構築にも着手せねばならん。専門家の人選を始めたまえ」

「承知致しました」

 緑川補佐官はそう言って、すぐに首相の前を辞した。


 桜島インパクトで旧九州の南の壁を突き破った土石流がもたらした膨大な「水たまり」は、結果的に旧日本列島の西日本を覆っていた大量の雪解け水の水位を大幅に下げた。近畿から九州に至る広大な地域では、山地など標高の高い地点ではかなりの陸地が姿を現した。

 日本政府は安定的に維持されるであろう陸地を何カ所かピックアップして、そこに復興の拠点を築くことにした。九州地域では、阿蘇山の巨大噴火がまだ続いていたため、拠点は中国地方の広島、岡山の県境付近と京都、奈良の県境近くの2カ所に定めた。


「坂井星也、入ります」

 星也は先ほど、総理らが乗船している船団司令船に呼び出された。来るように言われた部屋は、科学庁の長官室だった。この部屋にはアカデミー時代に一度だけ見学で入ったことがある。

「入り給え」

 室内から聞こえた声は直属の上司ではなかった。嫌な予感に胸を騒がせながら、星也はドアノブを回した。

「失礼致します」

 すべての部屋が小さなサイズでつくられた船内にあっても、さすがに長官室は広かった。自分たちの執務スペースと比べると、数倍の広さだ。長官は部屋の一番奥、重厚な机の向こう側に鎮座していた。

「こちらへ来てください」

 長官はそう言うと、星也を執務机の前に誘った。星也はゆっくりと歩を進め、机の前に立った。

「早速だが、今日来てもらったのは、君に異動の内示を言い渡すためだ」

 長官はまっすぐに星也の目を見て言った。

「異動…ですか…」

 予期せぬ長官の言葉に、星也は一瞬言葉を失った。

「そう、君には一週間後、京奈ベースに異動してもらう」

 京奈ベースは、これから京都と奈良の県境に設ける復興拠点だ。


「私が…ですか」

 長官は少しだけ頬を緩めた。

「そうだ、今回の2度のインパクトをいち早く発見、観測し、正確な情報を挙げてくれた。君たち天文観測班は偉大な功労者だ。この異動はその功績に応えるという意味もある。だが、もっと大きな役割を込めた人事でもある」

「大きな役割…」

「そうだ。我々船団国家・日本はこの数十年、生きること、国民が食べていくことに精一杯で、天文観測などの科学的な探査をおざなりにしてきた。日本が生き残ることが先決だった。それは分かるな」

「はい…」

「しかし、今回の事態を振り返ってみて、我々が後回しにせざるを得なかった科学的な探査システムが、我が国の行動を決める上で極めて重要だったし、結果としてその情報が国民を守ったことになる。その科学を軽視せざるを得なかったことは、国の在り方にとっての大きな反省点となった。国土の再建に着手する今、過ちは繰り返さない」

「…」

 まだ頭の中が混乱していた星也は返答することができなかった。

「君たちは船を下り、まずは天文台を造ってもらう。同時に外務省などと協力して、国際的な宇宙観測網の整備に当たってもらう。小惑星はこの後も飛来するかもしれないから、監視の目は強化せねばならぬ。これは我が国だけでなく、世界全体の課題でもある。それを我が国が先導するのだ。価値のある挑戦だとは思わんかね」

「はい、やりがいのある仕事です」

 長官は大きく頷いた。


「もちろん、この仕事は我が国一国でなし遂げられる種類のミッションではない。世界中から優秀な頭脳と腕利きの技術者を集める。今、地球上には、京奈地域ほどの高緯度に陸地は存在していない。すべてが分厚い氷雪の下だ。それだけに、あの場所に築く天文台には大きな価値がある」

「あの地域といえば、ポイントは高野山ですね」

 星也の言葉に長官は一瞬目を見開き、そして静かに微笑んだ。

「さすがだ、よく勉強しているな。最新の調査によると、あの一帯の水位は平野部でも平均で20メートルほどに下がっている。高野山はすっぽりと水の上にそびえたっているよ。量子コンピュータの予想では、降り続いていた雨もあと数週間で上がる」

「天文台は良いとして、衛星を使った観測網については…」

 星也は覚悟を決めて話し始めた。

「現在運用されている衛星の数が余りにも不足しています。世界中の衛星を全部かき集めたとしても全然足りていません」

「その通りだ」

 長官は表情を引き締めた。

「その件についても手は打つ。坂井君は28歳だったな」

「はい」

「では、地球のスノーボール化が始まってから生まれた世代だな」

「そうです」

「では日本の国土というものを肌では知らぬ訳だ。高野山のある紀伊半島の東海岸では半世紀以上前、ロケット発射場を建設したことがある」

 星也は驚いた。紀伊半島東海岸は山地が海岸近くまでせり出していて、射場に必要な広大な土地は存在しない。

「紀伊半島にですか」

「驚いたかな。だが、あそこは東側に海が広がっている。射場としては好都合なのだ。幸い、当時の射場に関する基礎データが全て残っている。一から調査せず前段の作業を飛ばせるなら、建設の最短コースと言えるはずだ。今はまだ水の底だが、まもなく水は引く、そうなればすぐにでも建設に着手できるだろう」

「大きなプロジェクトですね」

「そうだ。だが、君たちが携わるプロジェクトだけでなく、その何倍も大きなプロジェクトが同時進行する。国土の再建は生易しいものではない」

 星也は頷いた。

「全てのプロジェクトを成功に導かねばならない。そのために全力を尽くしてほしい、坂井君」


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