第8話 新たな予告
「いつになったら雨が止むのだろうか。もう3カ月は降り続いている」
長時間に及んだ対策会議を終え、大澤武首相は補佐官の緑川哲に語り掛けた。日本船団は雨の地帯を避け、現在は南方海上に停泊している。小惑星群が衝突した日本列島付近の地域では、土砂降りが今も続いていた。
「楠木博士の見立てですと、あと1カ月程度で収束に向かうだろうと」
「総雨量はどのくらいなのだ」
「6万ミリを超えています。最終的には8万ミリを超えるのではないかと思われます」
「恐ろしい豪雨だな。それが全て、小惑星が溶かしたあのエリアに湖のように溜まっている訳だな」
緑川は無言で頷いた。
「この水をどうにかしなければ、やがて再び凍ってしまう。そうなると小惑星がもたらした僥倖は失われ、国土の再建は絵空事となる」
「その懸念は博士も指摘されておりました」
「あの水を海に流すことはできないのか」
「その可能性については、鋭意検討中であります。最も可能性のあるのは、氷が最も薄く、海への距離が短い場所に水路を築くことです」
「流田博士の案だな」
「その通りです。しかし、現在、衝突によって生じた陸地エリアから海までは最短でも500キロ以上あります。いくぶん融氷が進んだとは言え、厚さは50メートルはあるでしょう。ここに長大水路を築くのは我が国だけの力ではどうにも…。大量の水が海洋に放出されますので、周辺国の了解を取る必要もございます」
大澤は小さく唸って、腕を組んだ。
「しかし何とかせねばなるまい。流浪の旅を終わらせるためには…」
大澤首相が秘書と呻吟している頃、天文船の坂井星也の通信装置が鳴った。
「はい、坂井」
「俺だ」
声の主は通信船の野田和明だった。
「来たぞ」
ささやくような野田の声色は切迫していた。小声で話しているのは周囲に知られぬよう、秘かに通信しているからだと、星也は即座に理解した。
「来たって、何が」
野田は間髪入れずに言った。
「例の通信だ。また、数字の羅列だ。今、送る」
すぐに通信端末にショートメールが届いた。
<2 31 37 130 38>
「発信源は同じ。アステロイドベルトからだ。また忙しくなるぞ」
それだけ言うと、野田は一方的に通信を切った。
前回の通信パターンだと、最初の数字は小惑星の数、そしてその後に落下地点の緯度、経度が続く。
星也はすぐに緯度、経度を調べた。それは鹿児島県の桜島のあった場所を示していた。前回、阿蘇山付近の落下地点からそれほど遠くない。
「桜島に2発落ちるってことなのか…」
しかし、考え込んでいる暇はなかった。
星也はすぐに同僚の篠田かおりを呼び出した。そして、上部からの命令を待たずに、2基の天体観測衛星を火星と木星の間にある小惑星帯の方角に向ける作業に取り掛かった。いずれそのような命令が下りてくるのは明らかだったからだ。
地球に向かってくる2つの小惑星の存在を日本の衛星が捉えたのは、翌日のことだった。
「直径はともに100メートル前後。最初の群よりはやや大型ですが、スペクトル解析の結果からみて、岩石を主体とした組成と推定できます」
星也は政府の対策会議にオンラインで参加し、新たな小惑星について報告していた。
「小惑星の軌道から計算された衝突予想地点は、先に通信班が傍受した電文にあった緯度経度とほぼ合致します。旧鹿児島県の桜島周辺です。衝突は3日後の午前10時5分と推定されます」
政府の対策会議は重い空気に包まれていた。
「落下による影響を推定できますか、流田教授」
星也の報告を一通り聞いた大澤首相が重い口を開いた。学識経験者として出席していた流田遥は静かに立ち上がり、語り始めた。彼の専門は地質学だ。
「小惑星は岩石タイプとのことですので、小惑星の表層部分は大気圏で大半が燃え尽きるでしょう。残った核の部分も地表到達前に爆発、消滅すると想定できます。地表への直接到達はないと思われます。しかし、爆発する高度にもよりますが、周囲数十平方キロの範囲内は爆発の際に高温の衝撃波にさらされます。それが2つ来る訳です。それぞれがどこでどのくらいの規模で爆発するかによって影響範囲は大きく変わってきます」
「船団はこの場所にとどまっていて大丈夫かね」
「それは問題ないかと思います。インパクトエリアは全て氷雪域の上ですから。ただ…」
「ただ?」
流田は言い淀んだ。しかし、意を決したように再び説明を始めた。
「この衝突によって、ある事態が発生する可能性は小さくありません。それへの対処は必要となります」
「ある事態とは何だね」
大澤は先を急がせた。会議室全体が流田の説明に集中していた。
「氷の壁が破れて、水路が開かれるかもしれないということです」
会議室は出席者の溜息ともうめき声とも取れる微妙な空気で満たされた。流田は続けた。
「小惑星の衝突で融けた氷雪とその後の猛烈な降雨ーこれらが合わさった莫大な量の水が今、その氷の壁の中に海のように溜まっています。一方、そのプールの縁から480キロ南に行くと、氷雪域の最前線があります」
「というと…」
「次のインパクトはそのプールの縁の部分を直撃するかもしれないということです」
「つまり水を溜めている氷の壁が破れて、インパクトエリアを満たしている大量の水が流れ出るかもしれないというのか」
流田は頷いた。
「九州から中国・四国地方に溜まっている水量は莫大で、その水圧は半端なものではありません。出口を見つけたら、そちらに向かって一気に流れだすのは自然の道理です。そして、動き出した水の圧力が氷を次々と破壊していくでしょう」
「ダムが決壊するように…ということですか」
「ある意味、そのように捉えていただいて結構かと。しかも、それは史上最大のダムです。海が決壊するようなものです。かつて見たことのない規模の土石流が一気に海までの水路を開く可能性は少なくありません」
流田は着席した。
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