第25話 絶壁
樹海の夜の空気が好きだ。
強大な魔獣がうじゃうじゃいる危険な場所だけれど、澄んだ空気を肺に取り込むと自然と落ち着いた気分になれる。
思えば、屋敷に住んでいた時間より、こっちで暮らした時間の方がずっと長い。僕にとって、黒の樹海は歩きなれた庭であり、心安らぐ故郷だ。
だが、そんな中でも、ここはどこか異質だ。
絶壁と呼ばれる森の至る所に存在する亀裂。
不思議と森に住む魔獣達はここに近寄らない。
「不思議な場所だ」
亀裂の向こうにも森は広がっている。遠目には連なった山がうっすらと見える。
「さあ、どうやってここを渡るかだけど」
空を飛ぶ方法なんて僕にはない。
だから力業で渡るしかないだろう。
『大地の祝福を求める。汝が力で我を守りたまえ土性魔術第三・《ストーン・ウォール》』
本来の使い方は壁を立てて身を守るものだが、今回はそれをアレンジする。
こちらと向こう側を繋ぐように、壁を水平に立ててそれを伸ばしていく。簡易的な橋の完成だ。
一応、壊れないか踵で叩いてみる。
大丈夫だ。よほどのことがない限り崩れはしないだろう。
ゆっくりしている時間はない。
思い切って、橋の上に乗り足をすすめる。
「ううう、またがきゅんとします」
チラっとしたを見たら、底の見えない崖が口をひろげて待ち構えている。
最悪だ。
見なければ良かった。
落ちてしまったことを想像しちゃったじゃないか。
ぶるぶると足が震える。
ヒューンと風が吹く。
「ぎゃあ!」
なんだ、ただのそよ風か。
おどかしやがって。
横幅は余裕をもって作ったが、怖いものは怖いんだ。
さっさと渡った方が精神的に楽そうだ。
恐怖心を押し殺して駆けるように先へすすんだ。
◇
橋を渡り森の奥へ進む。
特に変わった雰囲気はないが、ひたすら歩いて行く。
一人だと心細いが、アリエルもクラウも一緒に来たがらなかったので、一人ぼっちだ。
「そういえば、こうして一人になるのは久しぶりですね」
魔術の訓練はいつも誰かが一緒にいてくれた。
家にいるときもだいたい誰かがいたし、アリエルと契約してからは一人で行動することもなくなった。
暗い場所で一人でいると、屋敷で魔法の勉強をしていた頃を自然と思い浮かんでしまう。いまおもえば、あの頃の勉強も役にたった。
魔法の知識は魔術と基本は同じだ。
特に、魔法文字の知識は対魔法使い戦において必須ともいうべき知識だ。
そう考えると、僕の経験したあるゆる出来事が繋がっている。
不能者であったこと、そのせいでイジメられたこと。
そのおかげで師匠達にあうことができた。
そんな風に考えると、あの頃の日々もどこか愛おしく感じてしまうから不思議だ。
しばらく、つらつらと考えことをしながら歩いていると、開けた場所にたどり着いた。
開けた場所、というよりは無理矢理森をこじあけたような感じだ。
整地されている訳ではなく、木々が無造作になぎ倒されている。
「どういうことでしょう。なぜこんなに荒れているのか……」
この先に進めばなにか分かるかもしれない。
その時だった。
「……っ!?」
地面がぐらぐらと揺れた。
初めての経験だった。
ドンっと、地面が縦に震えて、ガタガタと転がっている木の残骸が崩れ落ちる。
生えている木々も、ゆさゆさと激しい音を立てて葉を揺らす。
立っているのもやっとだ。
経験はしたことないけれど、知識では知っている。
地震だ。
どの程度続くか分からないけれど、安全そうな場所に批難した方がよさそうだ。
とりあえず、僕は周囲に木が生えていない場所にめがけてゆっくりと移動する。
そして、違和感に気がついた。
地面のそこかしこがくぼんでいる。
それも、木々が倒されている場所だけ。
そして、それが何かわかった時に戦慄した。
「……な、なんだこれは!?」
それは、巨大な足跡だ。
半端な大きさではない。
ギランさんでも余裕ですっぽり収まるほどの、巨大な大きさ。
まさか。
「くっ! これは地震なんかじゃないッ。でも、そんなことがあり得るのか!?」
バキっと、巨樹が雑草のように踏み倒される音が聞こえる。
振り返ると、そいつがいた。
黒く染まった岩のような肌。
二本の足で大地を踏みしめる。
両腕には樹海の木よりも大きい爪が生えそろっていた。
慌てて視線をあげると、赤い眼光と目が合う。
「……っ」
すべてを狩り尽くす圧倒的捕食者の眼光。
「な、なんて大きさだよ」
目測で100メートル近いサイズだった。
ドラゴンとはまた違う、爬虫類のような顔つきをしている。
口からはみ出した牙を見るだけで背筋が凍る。
魔獣や霊獣の存在感など比じゃない圧倒的プレッシャー。
「GRAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
化け物の咆哮があがる。
ビリビリと空気が歪む。
ドスンッと、地面が揺れる。
化け物が一歩踏み込んで体を動かした。
それが戦いの合図だった。
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