第13話 愛情

「おーい、どこ行ったんだー、出ておいでー僕が悪かったから」


あれから、森の中をあるいているが精霊はどこにも見当たらない。

もしかしたら、結界の外にいったのかもしれない。


この周辺は、師匠の家を中心に魔獣よけの巨大な結界が張られている。その範囲なら僕は自由行動を許されているのだが、こうもいないとなると外に逃げた可能性がある。


気がつけば夜になっていた。

そろそろ戻らないとタマモさんに叱られる。


「あー、本当に嫌われたのかな」


二度と姿をみせない可能性もある。

とてもショックだ。初めて友達ができたと期待していたのに。


屋敷にいる時も含めて、僕は友達が出来たことがない。部屋に引き籠って勉強をしていたら、家族と使用人だけで人間関係は完結した。


師匠達も、友達というより家族という感覚だ。


唯一友達と言えたのは、野良犬のリエルくらいか。すぐに引き離されてしまったけど。


「でも気持ちは分かるよ。僕も、僕が友達だったら付き合いづらいかも。調子乗りだし」


師匠には腹黒とも言われたな。

まああの人に、性格をとやかく言われたくはないが……


「はあ、帰るか。もし駄目だったら、その時は諦めて師匠に謝ろう」


気乗りしない気持ちで踵を返す。



そして、


ゾワっと背筋が震える。

心臓が破裂しそうなほど早鐘をうつ。


黒い漆黒の衣を纏った巨大な狼。


「GRRRRRRRRRAA!」

「あ……ああ」


僕の体高の五倍以上ある巨体。

巨大な牙が生えそろった口からは、よだれが滴れおちている。

獲物を見つけとばかりに、狼は舌なめずりをした。



「わああああああああ!」


全力で逃げる。

いや駄目だ。

すぐに思いとどまる。

雪の積もった足場の悪い地面で、この獣から逃げきれるのは不可能だ。


背後から襲われたら終わりだ。活路は前にしかない。


なぜ結界内なのに、こんなやつがいるのか。師匠のやつ、ちゃんと仕事してくれよ。


ジリジリと距離を詰めてくる。

僕も覚悟を決める。


まだ大丈夫、距離はある。

狼が一歩進む。

まだだ。不可避の距離まで近づいて、魔術を叩きこむ。それしか僕に勝ち目はない。

また、一歩進んでくる。


まだだ。もっと引きつけて……

その瞬間、狼が視界から消えた。


「っつ!?」


咄嗟に横っ飛びで回避する。

僕がいた場所に狼が走り抜けた雪の轍が刻まれる。勢いよく飛び出した狼は、森の木に衝突していた。


狼の闇の衣に触れた木が瘴気にあてられて腐りおちる。


「おいおい、卑怯だろそれは」


あんなのに触れたらひとたまりもないぞ。


次は避けられない。距離はあるがここで決めなければ。

長い詠唱は間に合わない。中階位の魔術に大量の魔力を込めて、威力を底上げする。


『荒ぶる激流の主よ、その鋭き刃を我が水の魔力で発現せよ水性魔術第四・水刃ブルー・エスパーダ


水の刃が狼に飛翔する。鋼鉄でも切り裂ける必殺の威力だ。

だが、狼は、ニッコリと醜悪な笑みをうかべて。


闇のブレスを放った。

水刃がブレスの威力に負けて消滅する。

その威力は弱まることなく、僕の眼前まで迫り……


「……しまっ」


視界が真っ黒に染まった。

意識が……とびそうだ……


(くそぉ、ブレスはドラゴンの専門だろーが)


ブレスが直撃した地面がジュクジュクと溶けて腐っていく。

それが、僕の見た最後の景色だった。





―――





―――――――





――――――――――――



「嫌だよ、リエルは僕の友達なんだ」

「だめよ、もう会っちゃいけないの」

「どうして?」


ああ、これは走馬灯というやつか?

母上が僕と野良犬のリエルを引き裂こうとしている。


「リエルは病気なの。だから一緒にいちゃいけないの」


そういって母上は僕からリエルを遠ざける。

そういえば、リエルの肌はところどころただれていたっけ。

腐ったようなにおいもしてた気がする。

野良犬だから、くさい臭いがするもんだと思っていた。

いま思えば、あれは病気だったのか。


「アジュールに病気がうつったら大変でしょ? 可哀想だけれど、お別れをしなさい」

「う、ううう……ごめんね、リエル」





「不能者だと!? ふざけやがって。貴様は我が家の恥さらしだ」


父上の怒鳴る声が聞こえる。

これは……たしか、僕が不能者だと発覚した日だ。


母に手をひかれて、僕は狭い部屋に閉じ込められる。


「いい、アジュール。あなはここで魔法の勉強をしなさい。休む時間も、寝る暇もないと思いなさい」

「どうして? 嫌だよ。寂しいよ」


ドアの隙間から妹が心配そうに僕をみていた。手を伸ばすと、母に掴まれてしまう。


「妹に構ってる暇なんてないの! 魔法を、意地でも魔法をみにつけなさい!」

「無理だよ……だって僕には魔法がつかえないんでしょ?」


弱音を吐くと、母は僕の頬をひっぱたいた。彼女は泣いていた。




―――





―――――――





――――――――――――



目を覚ます。

狼のブレスを直撃したのに、どうして生きているのか。


「いてて」


僕の体は緑色の光に包まれていた。

まるで、黒い瘴気から僕を守るように。


「っつ!」


目の前に、あの子がいた。

この一年、いつも一緒にいてくれた風の小精霊。


木々が揺らぐ。

突風が狼の吐くブレスを散らし、僕を守っていた。


「な、なんで君がいるんだ」


この風は精霊の力だ。

なんで、どうして。僕は君を怖がらせてしまったのに。


「逃げろ、あれには勝てない!」


精霊は強い。

だが、あの獣の強さは常軌を逸してる。

精霊の魔力は尽きかけているのか、次第に光は弱くなり消滅しかかっている。


「お願いだから逃げてくれ、もう大切なものを失いたくないんだ」


いまにもきえかかりそうな精霊が、ふわふわと近づいてくる。


(わたしがまもるよ)


「……え?」


(わたしがまもるから、アジュールはにげて)


「君しゃべれたのかい」


(わからない、でもたすけたいとおもったら、つたわった)


その言葉に熱い涙が溢れてくる。

僕はいつもそうだ。大切なことを見落としてしまう。


この子に嫌われたと思っていた。

心のどこかで、好かれてないと感じていた。

魔力持ちの僕への好奇心で近づいてきたんだって。

でも、そんな子だったら命をはってまで僕を守ろうとしない。


ずっとお母さんに嫌っていると思っていた。

でも違った。彼女は僕を守ろとしていたんだ。


リエルから病気がうつらないように、魔法が使えなくて追放されないように。


僕は知っていたんだ。

無償の愛を。ずっと昔から。


そしていま、目の前にまた僕を救おうとしてくれる人がいる。


もう、間違えたりしない。


指先に魔力を込める。


「優しく、母が赤子をなでるように、愛をもって」


タマモさんの声が聞こえた気がする。


そっと精霊に触れる。

僕に母さんがそうしたように

優しく僕をなでてくれた、あの頃の母さんのぬくもりを思い出して



唱える。


『精霊よ我が魔力を糧に契約を』

(我が主の願いにこたえる)




風が激しさを増す。

破壊の限りを尽くす、荒れ狂う暴風が顕現する。


「好きなだけ僕の魔力を持っていけ」

(うん!)


消えかかっていた光が、何倍にも膨れ上がる。

風の小精霊の生命力が満ちていく。


闇の狼は後ずさって、逃げようとしている。

逃がすものか。


「僕に合わせてくれ」

(わかった)


『荒ぶる激流の主よ、その鋭き刃を我が水の魔力で発現せよ水性魔術第四・水刃ブルー・エスパーダ!』


水の刃が、精霊の巻き起こした竜巻に吸い込まれていく。

狼がブレスを吐き散らすが、そのすべてを弾き返す。

水と風。二つの力を魔力で繋ぐ。


『複合魔術・水刃旋風ブルー・ストーム!』


破壊をもたらす竜巻は、背中をみせた闇の狼をたちまちに巻き込み、バラバラに打ち砕いた。竜巻の通過したあとには、細かく切り刻まれた狼の残骸が残っていた。


(勝った、勝ったよ、アジュール!)


「ああ、君のおかげだよ」


指先でふれると、精霊は嬉しそうに震える。


「そうだ、まだ君に名前をつけてなかったね。僕がつけてもいいかい?」

(うん、いいよ)


「……君の名前は、アリエルだ」


僕の初めての友達リエルと、僕の頭文字をひとつとって、アリエル。


(ありがとう)


こうして、僕は精霊との契約に成功した。






精霊との契約を遠くから見守る二人の姿。


「お前にしては随分と手荒な真似をしたね」


ミロクはアジュールを眺めならそうつぶやく。


「時に厳しくしなければ、子は成長しませんから」


ほっと胸をなでおろし、タマモを息をつく。

普段溺愛してるくせに、よくそんなことができるなと、ミロクは呆れてしまう。


「黒の樹海の魔獣を強引に引っ張ってくるなんて、やりすぎだぞ。まだ、アジュールでは勝てない可能性もあった」

「その時は、ほどよいタイミングで助けに入りましたよ。まさか、倒すとは想定外でしたけれど」

「まあな、とっさの判断で複合魔術とは恐れ入った。知識でしか知らなかったろうに、成功させてしまうとは。やはりやつには才能がある。いや、それでは失礼か。必死に何年も勉強してきたあいつの努力の成果だ。いずれ、黒の樹海に棲む魔獣全てを倒せる魔術師になるだろう」

「……それは、絶壁の向こうも含めてですか?」


その質問をしたタマモを、ミロクはじっと睨みつける。


「馬鹿なこというな。あそこに、あの子をいかせるつもりもない」


そういって、ミロクは不貞腐れたように立ち去っていった。

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