第10話 強欲な父上と兄上
ロータス伯爵家当主、ガゼル・ロータスは、遥か上空のドラゴンを眺めて、拳を震わせていた。
「あ、ありえない」
信じられないことが起きている。
死んだと思っていた息子が生きていた。
黒死紋とは不死の病。
それを克服したのは、史上初めての紛れもない偉業であった。
(あのドラゴンも凄まじい)
人生で二度、ガゼルはドラゴンをみたことがあったが、あのドラゴンはそれらを遥かに上回る格を有していた。
だが、驚くべきはそこではない。
ドラゴンとは人間を圧倒する存在だ。いってしまえば、そういうものだ。
もしあれを本当に従えているのだとしたら、凄まじいことだが、ガゼルを興奮させたのはそこじゃなかった。
「奴は杖を持っていなかった」
あの、不能者だったアジュールが魔法をつかった。
それも、杖を所持せずにだ。
(そんなことが可能なのか!? いや、奴は黒死紋すら克服したのだ、あり得ないと断定するのは愚か者のすることだ)
さらに特質すべき点はアジュールの細やかな魔法の技術だ。
おそろしく早い発動速度だった。
長兄のセグレイを打ち抜いたあの熱線。
間違いなく、一流の魔法使いと遜色のない技術。
いや、並みの一流などとうに追い越しているだろう。それくらい、あの魔法は優れていた。
しかも……それだけではない。
(この大魔法の威力は何だ⁉)
夏だというのに、肌を凍らすような冷気。
屋敷だけにとどまらず、視界一面に雪が降り、銀色に染め上げられていた。
すると、確認のために高台に行かせていた兵士が息を切らしてやってくる。
「はあはあはあ、ご当主様っ。確認したところ、見渡す限りに魔法の影響が発現しております。街だけではなく、その周囲一帯の地にすらも……信じられません、こんなことが可能なのでしょうか?」
「……っふっふっふ」
間違いない。これは水性魔術第八・
それも、ただ
一瞬で広範囲の環境すらも塗り替えてみせた、超特級の威力を秘めた大魔法だ。
これほどの魔力をためるには、卓越した魔素操作が要求される。
それを、あの僅かな時間で?
不能者だったアジュールが?
拳が震える。これは恐怖か?
いやちがう、興奮だ。
「くっくっく、はっはっはぁーーー!」
(馬鹿らしくて笑いがこみあげてくるぞ、アジュール!)
ガゼルが第八魔法を取得したのは、30歳を過ぎたころだ。
それを、あの息子はやってのけた。たかだか10歳そこらの少年がだ。
「欲しい、あの才能が! なんてもったいないことをしたのだ!」
いますぐにでも取り返さないといけない。
我が家から稀代の大魔法使いが誕生したのだ!
なんとしてでも、手元におく必要がある。
「セグレイ!」
セグレイに視線をおくると、無様に股間を抑えて叫んでいた。
「イタイッ、助けて父上。しょんべんが凍って、皮とくっついてしまった! 痛いよお」
(なんて情けない奴なんだ)
アジュールを見た後だと、とくに情けなく見えてしまう。
「ふざけるものいい加減にしろ!」
「はうっ!?」
ベリっと、無理矢理ズボンを引っ張ると、セグレイは情けない叫び声をあげた。
(これでも昔は才気あふれる自慢の息子だったのだがな)
必死に勉強をし、魔法の腕を磨いていた。
だというのに、アジュールが去ってからというもの、完全に腑抜けに成り下がってしまった。
この才能で努力を続けていたら、いまごろ第七魔法を会得できたかもしれない。競う相手がいなくなった途端に、期待外れになってしまった。
毎日のように平民に権力を自慢して遊んでいるのは知っている。
メイドにセクハラして、遊び惚けていることも。
「セグレイ、命令だ。なんとしてでもアジュールを探し出して、連れ戻してこい」
股間を抑えて眼尻に涙を浮かべるセグレイは、驚愕の表情をうかべる。
「な、なにを言ってるんですか父上!? あいつは我らを襲撃してきたクソ野郎ですよ!」
「だが、優れた魔法使いだ。お前よりもはるかにな」
「っは!? あれはドラゴンの力ですよ。あいつは、卑怯にもドラゴンの力を従える術を会得したのです。くそ、自分が強いわけでもないのに、調子に乗りやがって」
馬鹿はお前だ。
どう考えても、これはアジュールの力だ。
あの熱線で、どれだけの魔法使いか分かったはずだろうに。あの技量があれば、このくらい出来ても不思議じゃない。
「俺はやりませんよ! アジュールなんて必要ない。ロータス家には、俺さえいれば十分でしょう」
「……そうか、ならそうするがいい。その場合は、家督は妹に譲るがな」
「はっ!? 正気ですか!」
「ああ」
「家督は、男が継ぐのが慣例です。そんなのはありえない」
「あくまで慣例だ。例外はあるということ。それが嫌なら全力でアジュールをこの場につれてこい。話は以上だ」
(まあ、その場合はお前とアジュール、より優れた方に家督を譲ることになるがな)
◇
セグレイは、荒れ狂ったように叫んだ。
「あり得ない、あり得ないっ、ありえなーいっ!」
ガシャン、ガシャンと自室であるゆる物をひっくり返しながら、がむしゃらに暴れ回る。
「うっ!」
激しく動き回ったせいで、すこしはがれたアソコの皮がひりひりと痛み、情けない声をあげる。
その様子を、メイドと護衛の二人が呆れたように見ていた。
「なんで今になって、死んだはずのアジュールがでてくるのだ!」
絶対に死んだはずだった。
黒死紋は不死の病だ。
何年も前に追放したアイツは死んでなければおかしい。
だが、現実として目の前に現れてしまった。
「しかもあのクズめ、この俺に向かって魔法を撃ちやがった! この高貴たる俺様に! 絶対に許さないぞ、殺して火あぶりにしてやる、絶対にだ!」
弟が兄に逆らうなんて、あってはならない。
ましてや、こちらは次期当主。つまり、ロータス家に逆らったも同然だ。
「くそが、どうして俺があんなゴミを探し出さなければいけないんだ」
馬鹿な父上は、あいつが魔法を使えると知って、よろこんでいるらしい。
いったい、それがなんだというのだ。
たしかに、不能者が魔法を放ったのは驚愕すべき事実だ。
だが、ちょっと物珍しいくらいなもんだろう。
たかが第三魔法が出来たくらいでいい気になりやがって。
あの程度なら、アジュールが追放された頃の年齢には、すでにセグレイは取得していた。
(不能者だから、凄いのであって、才能あるロータス家の人間なら出来て当たり前すぎる魔法だ!)
「嫌だっ、俺はあんな奴を探すために動きたくなんかないっ!」
「……それだと、当主の座をあきらめることになりますが」
護衛の男が、冷や水をかけるようにそう言ってくる。
「貴様に言われずとも分かっているわ!」
近くに転がっていたグラスを投げつける。
グラスが男の額にあたると、血が流れた。
それでも、逆らうことなく、護衛は直立不動で動かない。
(当然だ。次期当主たる俺にさからう奴はいない)
「だ、大丈夫ですか!?」
メイドの少女が護衛の男にハンカチを渡す。
このメイドはセグレイが見初めて平民だったのを強引に連れてきてやった女だ。
(ゴミ溜めから連れてきてやったというのに、ロクに仕事も出来やしない。恩知らずめ、いっそ殺してやろうか。いや、そんなことをすればまた父上にどやされる)
「ちっ、仕方ない。命令ならばやるしかないだろう」
アジュールの捜索、本音でいえばまるでやる気が起きない。
だが、父ガゼルの目は本気だった。
拒否すれば間違いなく次期当主の座から落とされる。
妹を殺すことも考えたが、アジュールが生きてたら意味がない。
家督はあの
そこで、セグレイは天才的発想で、とあることを思いついた。
(そうだ、見つけ出して殺してしまえばいいんだ。アイツが強いのはドラゴンを従えてるからだ。だから、ドラゴンから引きはがせばいい)
不本意にもセグレイとアジュールは血の繋がった家族。
話があるとでもいって誘えばあのお人好しは断れない。そこを襲えばいい。
(どうせ魔法を覚えたての雑魚だ。自慢げに火性第三魔法を放ってきたのがその証拠だろ。一対一に持ち込めば、どうとでもなる)
「はっはっは! いいぞ完璧だ。最近は魔法の鍛錬はサボっていたが、あんな雑魚には負けやしない。なんたって俺は、火性第五魔法まで扱えるのだからな!」
アイツに、実力差というものを見せつけてやろう。
泣き叫び命乞いをするアジュールの顔を想像して、セグレイは笑う。
「くっくっく」
ついでにドラゴンを従える方法も聞き出してやる。
あいつから、あのドラゴンを奪えば、父上も逆らえなくなる。
そしたら、邪魔者は全員消す。
「おい、アジュールの目撃情報をあつめろ、どうせそこらの街で潜伏しているのだろう」
「は、はい、わかりました」
護衛は命令をうけて退室する。
(ドラゴンなんて派手なもんに乗っていたんだ。どうせすぐに見つかるさ)
しかし、それから半年、アジュールの行方はまったくつかめなかった。
◇
―――半年後
「どうなってやがる、なんで居場所がつかめない!」
半狂乱になりながらセグレイは叫ぶ。
あれから、近隣の街を探したがドラゴンの目撃情報はどこにもなかった。
「あんなデカブツだぞ!? 見つからないなんてあり得ないだろ!」
すると、息を切らした兵士が部屋に飛び込んでくる。
「アジュール様の居場所がようやくつかめました!」
「おお! そうかよくやった」
ようやくだ。
ついに、あいつを殺せる。
「それで、どこにいた!? 他領か、もしくは国外か!?」
「……黒の樹海でございます」
「…………は?」
(なに言ってんだこいつ)
「辺境の田舎農家から、黒の樹海よりドラゴンが行き来きするのを見たと。ちょうどアジュール様が現れた日と合致しました」
「……いやいや、ありえないだろ。だって黒の樹海だぞ?」
恐ろしい魔獣が蔓延る死の森だ。
人が生きていける環境じゃない。
「おそらく、間違いないかと」
「……じゃ、じゃあはやくつれてきてよ」
「当主様は、セグレイ様にいけと命じられました」
「……」
「セグレイ様?」
「……だぁ」
「はい?」
「………ぃ嫌だぁ。絶対にいきたくなぃ」
「………では、妹君に家督を譲るということでよろしいですか?」
嘘だろ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます