第9話 季節外れの大魔術
二年が経過した。
十二歳になった。
いまだに僕は
「焔より生まれし白き水の巫女よ その権能は憂鬱たる死と恵 堕落の眠りより目を覚まして力を示せ 現世を白く染め上げ 凍える冬の到来を 音を消し去り静寂を 孤独な我が心象を現世に降ろせ―――水性魔術第八・
飽きるほど唱えてきた呪文を詠唱する。
されど、世界にはひらりとも変化は訪れない。
術式に集めた魔力が無慈悲に霧散する。
「はあ、はあ、はあ。なんでできないんだー」
「魔力が不安定だ。もっと均一に、淀みなく、供給しろ」
これまた、何度訂正されたか分からないギランさんの指摘。
それを踏まえて再度唱えてみる。
けれど、やっぱり上手く行かない。
「はあ、はあ、はあ」
正直焦っていた。
明確に僕の魔術は伸び悩んでいた。
規格外の魔力があると囃され、調子に乗っていた。
だが、結果はごらんの通りだ。
余裕だと吹かしていた過去の自分をぶん殴りたい。
「一日で魔力を使い過ぎだ。そろそろ戻るとしよう」
「待ってください! まだ余裕はあります。もう少し、やらせてください」
「……」
頭打ちの才能。
ここが終着地点なら、魔力持ちという特殊体質なだけの凡才な魔術師止まりだ。
それは、卑劣な父や兄に劣ることを意味する。
絶対に嫌だ。
父は、性格は悪いが偉大な魔法使いだ。
類まれなる魔素掌握で膨大な魔力を瞬く間に操る、火炎の魔術師。ロータス家当主には代々、一子相伝の火性魔術第八魔法が継承される。つまり、それは第八魔法が会得でない人であれば、ロータス家当主にはなれないということ。
あんな兄だが、あれでも優秀だった。魔法を学ぶ姿勢も勤勉だった。あのまま研鑽を積めば、いずれ当主の座を継ぐだろう。
昔、兄に自慢された。
「俺は父が子供の頃よりもはやく第五魔法を会得できたぞ」と。
それを知った時、歯がゆい想いだった。
性格最悪。
平気で他者をいたぶる性根。
自己中で、身勝手。
そんな奴等に、負けてる自分。
ありえない!
自分が魔力持ちだと知った時に、この力があれば彼らを見返せるんじゃないかと思った。なのに、より優れた師を持ちながら、未だにこんな場所で足踏みしている。
証明するんだ。あの人達よりも、僕の方が優れているということを。
「随分と焦っているな。らしくないぞ」
「……僕には才能がないんでしょうか」
「さあな。吾輩はミロクみたいに人の素質を見抜くような目は持たぬ。だた、魔術とは心の鏡ようなもの。身心の成長なくして熟達はない。いまのお前は不安定だ」
「不安なんです、このまま成長しなかったらって」
「アジュール、お前は魔術を習いたいからここにいるのだろう? その想いを汲んで我らは協力している。だが、もしお前が魔術を辞めたいと思った時は好きに森をでていくがいい。選択の自由はお前にある。焦る必要はない」
「……自由ですか。そんなことは考えた事もなかったです。魔術は好きです。やめるつもりはありません。でも、僕ははやく立派な魔術師になって、皆の期待に応えたいって気持ちもあって」
「吾輩たちはお前がいずれ大魔術師になるやもと期待はしているが、それはお前自身がそう望んでいるからだ。なりたいのだろう、父や兄を超える魔術師に。だから吾輩達はその背中を応援してるにすぎん」
ばさっと音を立てて、豪快にギランさんは翼を広げた。
「どうも貴様は考えすぎる節があるな。さあ乗るがいい、少し遠出をするぞ」
◇
風を切りぐいぐいと青い空を進んで行く。
気がつけば、黒の樹海を抜け出していた。
「ギランさん!? 森を抜けても平気なんですか!?」
「がはは、構わん。ミロクには貴様のわがままで仕方なくと言っておく!」
「そんな無責任な!?」
遥か下界の景色には、広い農牧地帯があり、ぽつぽつと農家の家がまばらにみえる。
「どこまでいくんですか!?」
「貴様の故郷だ!」
「ええ!?」
どうしてそんな場所に!?
いきたくない。だって、あそこにはいい思い出なんて一つもないから。
けれど、ギランさんはスピードを緩めずに、まっすぐと駆け抜けていく。途中で降りる訳にもいかず、僕はただしがみついていた。
「ついたぞ。あのデカい屋敷がお前の実家か?」
白亜の外壁に赤い屋根。
思わず眼を背けたくなる。僕の生まれ育った屋敷だった。
「ほ、ほんとうにこんな場所までくるなんて!」
すると、ざわざわと騒ぎが大きくなり、大勢の人が屋敷から飛び出してきた。上空を旋回するギランさんを皆が見上げている。見慣れた顔ぶれがそろっており、父上と兄上もいた。
「っつ」
目があった気がした。
ぶるりと背筋が冷たくなる。
屋敷から大勢の声が聞こえる。
見るな、見るなよ。
こんな形で会いたくなかった。
もしかしたら、僕を見て馬鹿にしているのかもしれない。
どの面下げて戻ってきたこの不能者が……と、そんな風に。
(嫌だ嫌だ嫌だ会いたくない!)
「ガハハハ、なにを恐れている。安心せい、だれもお前なんか見ちゃいない」
「え?」
(本当だ)
その通りだった。
屋敷を見渡せば、誰もがギランさんをみてあたふたと、うろたえている。
背中にのる僕に気がつく様子もない。
「存外に、人は他人を気にして生きていない。毎日暗い気持ちで貴様は思い悩んでるが、ここにいる誰もが貴様なんぞに気にしてない。ましてや、家をでたのは六歳の時だろ。みんなお前なんて忘れてるんじゃないのか、クックック」
ギランさんが獰猛な笑みで吠える。
「ガハハハ矮小な人間どもめ、焼き殺すぞ!」
大きく顎を開きドラゴンブレスを撒き散らかす。そこかしこで悲鳴があがる。
灼熱の炎は誰にもあたることはなく、屋敷のすれすれをかすめていく。
家中の皆が逃げ回っていた。
「おお? あれが貴様の家族じゃないか?」
そこには、あんぐりと口をあけて固まる父上と、その隣には腰が抜けている兄上がいた。
「どれ、ちょいと挨拶でもしてみよう」
「え!?」
ギランさんが庭に下り立つ。
目の前には父上と兄上がいる。
ギランさんの上からちょこんと顔をだすと、二人は化け物をみるような目で僕を見ていた。
「な、なにものだ貴様!」
「ひいい、たすけて父上」
あ、こいつら完全に僕のことを忘れてる。
うそだろ、普通覚えてるだろ。
6年も一緒に暮らしたのに。
「あ、あのアジュールです」
そういうと、二人の表情は面白いほど、変化した。
目がぐりぐりと動き僕を凝視する。
「アジュールだと!?」
父上が確かめるように近づいてくる。
「おまえ、まだ死んでなかったのか!? 黒死紋はどうした!? 病気ではなかったのか?」
「まあ、色々とありまして……死なずに済みました」
「そ、そうか。では、このドラゴンはなんだ!?」
「この人は……」
師匠の契約霊獣?
いや、ギランさんも僕の魔術の師匠だ。
ならば、ここは師匠とこたえるのが適切だろう。
「彼は僕の……」
すると、ギランさんが僕の言葉を遮るように、大声で吠えた。
「吾輩は、アジュールの忠実な下僕である。もしアジュールに害をなそうとしたら、この牙が貴様らの喉を食いちぎることになると知れ」
ちょっと、ギランさん!?
そんなアドリブ聞いてないんですけど!
下僕ってなんだよ!
あなた僕の頼み事なんか一度も聞いたことない癖に。
「ひいいいいい!?」
脅されて、兄上がなさけない悲鳴をあげる。
ギランさんの言葉に、父上が険しい顔をする。
「アジュール、まさか追い出した仕返しに、そのドラゴンを連れて我らを襲いにきたのか」
それこそまさかだよ。
僕はここにくるつもりすらなかったんだから。
でも、久しぶりに会って、実の息子に送る言葉がそれかよ。
生きていたんだから、もう少し違う言葉があってもいいだろ。
「……恨んでないと言えば、嘘になります」
「……っく、まあそうだろな」
「でも、まあ理解はしてますよ。黒死紋は周囲を巻き込む危険な病ですから」
「ならばなぜ来た。なにがしたいんだ」
そんなの僕が知りたいよ。
本当は、この二人のことを凄く恨んでいた。
でも、実際に会ってみて、情けない姿をみて、そんな恨みも吹き飛んでしまいそうになっている。
まあ、でも折角里帰りしたのだ。
少しくらい、カッコつけておくか。
「顔みせにきただけですよ」
「……なに?」
「成長した息子の姿をみせてやりたいと思いましてね」
そして、僕は地面に倒れている兄上に指を向けた。
「迸る炎の閃光よ、火性魔法第三、
魔術による熱線が、兄上の耳をかすめる。
「うわあああああああ!?」
兄上のズボンに黒いシミが浮かぶ。どうやらおもらしをしたらしい。ジワジワとシミが広がっていく。
「ふふ」
僕だってやられたことだ。このくらいはしても構わないだろう。
僕の魔術を見た父上の驚きような、これまでの比ではなかった。
「お前ッ、いまなにをした!? 魔法が使えるのか!? だが、杖はどこだ! どうなっている!」
「ふふふ、秘密です」
僕を容赦なく見捨てた人達。
ずっと怖いと思っていた。
冷酷で残忍で、平気で家族に鞭打つ冷血漢。
ここに暮らしていた時は、彼らに怯えるだけの毎日だった。
でも心のどこかで、思っていた。
こんなやつらに負けない。
いつか絶対に勝って、みかえしてやるって。
「ふふふふ」
それなのに、二人のあまり情けない姿に、思わず笑ってしまう。
僕はずっと、こんな人達に怯えて、敵対心を燃やして生きてきたのか。
ギランさんが口をひらく。
「アジュール」
「……はい」
「視野を広げよ。一歩踏み出すだけで世界は変わる」
翼をはためかせて急上昇する。去り際に屋敷に視線を送ると、母上と妹が、石のように固まって僕を眺めていた。
空に駆け上がると、あっという間に、父上たちが豆粒のように小さくなる。
二度と見たくないと思っていた、辛い思い出が詰まった屋敷をあらめて上空から眺める。
太陽の光が反射してきらめく白い壁。
赤く艶やかに染められた屋根。
屋敷をとりかこむ緑のガーデン。
美しかった。
「なにがために魔術を求める。あのような父や、兄をみかえすためにか? 違うだろう。魔術とは、もっと自由で、残酷で美しいものだ」
「はいっ」
意図せずに声に熱がこもる。清く澄んだ一滴が、灰色の靄を晴らしていく。
「遺恨を忘れろとは言わん。だが囚われるな。前を向け。空を見上げろ。貴様が求めた
「はいっ!」
ああ、そうか。
いつから僕は勘違いしていたのだろう。
屋敷にいた頃は、ずっと魔法の勉強をしていた。馬鹿にしてきた奴等をいつか見返してやる、その一心で、寝る間も惜しんで努力した。だってそうでも思わなければ、あんな酷い環境で、僕の弱い心は耐えられなかったから。僕にとって魔法は相手を見返す手段だった。
でも、初めて魔法の存在を知った時。
初めて杖を握った時。
もっと、純粋な気持ちだっだはずだ。
魔法ってなんだろう?
どんなことができるんだろう?
魔法は幼い僕にワクワクとした好奇心と、あくなき探求心を授けてくれた。魔法が教えてくれた可能性は、未来へ思いを馳せる僕の心を、どこまでも遠くへ運んで行ってくれた。魔術とは自由なものであるべきだ。
この優しいドラゴンは、僕にそれを思い出させてくれようとしているのだ。
ならば、弟子として期待に応えなければいけない。
ばっと片腕をあげて、大空を掴むよう構える。
「焔より生まれし白き水の巫女よ!」
―――幾度となくとえてきた詠唱。
「その権能は憂鬱たる死と恵 堕落の眠りより目を覚まして力を示せ!」
―――だけど、そのどれも違って。言葉が、音が、心地よい旋律となり跳ねていく。自然と口角が吊り上がる。
「現世を白く染め上げ 凍える冬の到来を! 音を消し去り静寂を!」
―――ああ、そうだ。僕が求めていた魔術はこれだ。なによりも自由で、どこまでもこの心を運んでいく。
「孤独な我が心象を現世に降ろせ―――水性魔術第八・
晴れ渡る夏の風景を、荒れ狂う白い魔力で埋め尽くす。
吹雪きが屋敷を銀色に覆う。
季節外れの冬が訪れた。
僕は水性魔術第八・
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