5通目 銀河鉄道の夜
拝啓 宮沢賢治様
春先から太陽の色をため込んでいた葉が、秋になってその色を解き放ち始めたようです。先生におかれましてはいかがおすごしですか?
先生、事件です。
ミステリのはじまり……ではないのです。残念ながら。
ワイヤレスイヤホンを愛用しています。
ワイヤレスイヤホンとスマホをブルートゥースという通信で繋いで音楽を聴くのです。ですが、そのブルートゥースがオンになっていなかったら、先生どうなると思いますか?
そうです、ワイヤレスイヤホンから音楽が流れません。
スマホから周囲に向けて、爆音で音楽が解き放たれるのです!
ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン!!
ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン!!
あきらめのわる──
ああああああ、やってしまいました。
大音量で「オトノケ」が再生されてしまったのです!
それも、駅の、ホームで!
恥ずかしかったですよ。
「くそだらぁ」と言いたくなりました。
(くそだらぁというのは、漫画『ダンダダン』に出てくるキャラクターのセリフです)
電車の中じゃなくてよかった、と思うことにしましょう。
さて、前置きが長くなりましたが、先生はどんな時、大人になったなと思いますか?
私は、駅のホームで爆音で音楽を垂れ流してしまっても次の瞬間には「何か?」という顔ができるようになった時です。
これが高校生の頃でしたら、布団の中にもぐりこんで恥ずかしさのあまり「おんおん」と涙を流していたことでしょう。
先生は童話を書いている時、大人になってしまったと思うことはありませんか?
私はよくあります。
ピーターパンのウェンディが大人になって「おかあさんは飛べない」と思ってしまった時のように、子どもたちにむけて物語を書いている時、ああ、残念だなと思うことがあります。
息子と公園で遊んでいる時のことです。
まだこの世界に生まれたばかりの彼の目に映るものは、すべてが光ってみえます。
落ち葉で詰まってしまった公園の水道は、泥水でいっぱいになっていました。
彼は、両手を泥水につっこみます。深く、深く。その先に何があるのかさぐるように。
腕まくりした服が泥水でにじみ始めた時、私は思わず言ってしまったのです。
「汚れるよ」って。
パチンと音がしました。
ひゅるひゅると私の体から何かが去ってくのを感じました。
ああ、大人になってしまった。
私はかなしく思いました。
けれども、大人になってよかったと思うこともあります。
それは、発見です。
『銀河鉄道の夜』を読み直した時のことです。
もう何度読んだかわかりません。
それなのに、大人になって新しいことに気が付きました。
それは「カムパネルラのお父さん」です。
カムパネルラが川へ入ったと知らされたジョバンニは、河原に立つカムパネルラのお父さんを見つけます。
お父さんの手には、時計がにぎられているのです。
はっとしました。お父さんは時計をにぎっていたのです。
お父さんはきっぱりとこう言います。
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」
子どものころ読んだ時、私の視点は常にジョバンニでした。
ちがうよ、カムパネルラは銀河鉄道にのっていったんだよと、必死に伝えたい気持ちでいっぱいでした。
大人になった今。私の視点は、ジョバンニからカムパネルラのお父さんに変わりました。
息子が見つかるかもしれない。
いや、もう駄目かもしれない。
それでも、どこかに……。
そんな心情の中、きっぱりと「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」と言ったお父さんの心を思うとつらくて仕方がありません。
そして、先生は最後物語をこう締めくくります。
カムパネルラのお父さんは、時計をにぎりしめたままジョバンニと言葉を交わします。
そして、お父さんは川下の銀河いっぱいにうつった方へじっと眼を送り続けるのです。
「もう駄目です」と決断した頭で、「まだどこかに」と願う心で。
大人は、きっと二つの視点を持っています。
大人と子ども。できれば長く子どもの視点を持っていたいものです。
先生、大人になるのも悪くはないですよね? そう信じたいと思います。
これから大人になる子どもたちのためにも。
今日はこのへんで……。
金星がきれいです。上品なコートを留める丸いボタンみたいです。もし先生もよかったら今日は夜空を眺めてみてくださいね。乾いた風が吹いていますので、どうぞご自愛ください。
敬具
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