1章 5話
「親父殿が!? 傾国の……紅遠殿に、最期の言葉を残しただと!? まさか、遺言状だとでも言うのか!」
紅遠の雰囲気に飲まれ、水を打ったように静まり返っていた会場に――波のような響めきが広がる。
壬夜銀が慌てるのも、至極当然だ。
神州全体に古くからある仕来りによれば――四十九日の法要で襲名の儀が済むまでは、国主は銀柳のままだ。妖人の魂は魂刀に落ち着かず、浮世に残っていると伝わるのだから。
壬夜銀は、まだ次期当主に過ぎない。
銀柳が遺言に記してる内容は――即ち、国家の主の勅命。内容によっては、自身や山凪国の進退に関わる重要事項だ。
そんな重要な遺言状を、実子である自分ではなく僅かな期間、剣を教えた弟子に過ぎない紅遠に教えていたことに――壬夜銀は腸が煮えくりかえる思いだった。
「認めぬ、俺は認めぬぞ鬼人!」
「……壬夜銀殿。貴殿はまだ、国主ではない。国主である鬼人に、そのような無礼な態度を取るのは品位に欠けるな。銀柳殿も貴殿の態度を深く憂いていたと文にあったが……。国主である私への態度が他の同盟国に知れ渡れば山凪国の信用に関わるであろう。礼儀を教えてやろうか?」
「な、ぐ……」
先程、紅遠が会場へ入ってくる前に冬雅や双次と交わした言葉を聞かれていた。貿易で西洋文化が日夜取り入れられ情勢不安定な中、他国の国主へ身分も弁えぬ無礼を働いた。
力持つ隣国へこの事実が知れ渡った時の損失と――国主を喪中で国が纏まらない混迷の未来を考え、壬夜銀は歯噛みして怒りを飲み込んだ。
「さて、銀柳殿が私に託した願いだが……。それは、ここに記されている通りだ。――そこに居並ぶ嫁御巫の中から一人、私に娶れとのことだ」
「お、俺の物を……。俺の嫁御巫を奪う、だと?」
「まだ貴殿の嫁ではない。銀柳殿の嫁御巫だ」
稀少な嫁御巫を渡すなど、壬夜銀は承服できなかった。
「親父殿と、紅遠……殿の間には、ただならぬ絆があったとは聞いている。だが、ここまでとは……。俺と極めて血が近い嫁御巫を引き渡し、借しを作るという親父殿の策か? 確かに紅浜国は、軽工業と貿易だけは中々だが……」
百歳を越える壬夜銀だが、嫁御巫の中には血縁があまりにも近すぎて、子を成すには危険な相手もいる。
嫁御巫としての能力を十全に発揮してもらうには、額にある神眼という妖気の出入り口への接吻などの接触は、最低でも避けられない。
妖人の血が濃い子を成すのは大切だが、壬夜銀としても扱いに困る嫁御巫がいたのは事実だ。貸しにしてやるのもありか、と。独占欲が強く利己的な壬夜銀は渋々考えるが――やはり、面白くない。自分の意思ではないのに、自分の手に入るはずだった者が奪われるのは許せなかった。
「さて……」
あからさまに気の進まぬ様子で、紅遠は嫁御巫の方へ視線を向け一歩近付いてきた。
嫁御巫たちは居住まいを正し、手ぐしで髪を整え「私ね」、「あの美麗な妖人様なら……」と、頬を染めている。絶世の美男子を前にしているのだから、やむを得ないのかもしれないがと美雪は思う。
(葬儀の場だというのに、故人の嫁がこの有様では……。晩年の嫁で絆が浅いとは言え、銀柳様が浮かばれないのではないでしょうか)
美雪は周囲の嫁御巫の反応に、小さく肩を落とす。
紅遠は数十の嫁御巫を前にゆっくり歩き始め、嘆息しながら関心の薄い瞳で見渡すと――。
「――お前、は……」
美雪の前へとやって来て目が合った瞬間――紅遠は目を見開いた。
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