内田綾人は高校生

歌月 綾

プロローグ

わたしは今、冷たいドアノブに手を掛け、それをゆっくりと回そうとしていた。

しかし、手を握るまでは良いものの、それ以上の行動を開始できなかった。

まず、彼に会ったら何を話そう。

左手にぶら下げている、穴場のケーキ屋で買ったエクレアを眺めた。

久しぶり、か?いいや、あまりにも素っ気ない。それならば、お前の好きなエクレアを買ってきたぞ、とでも云うのか?駄目だ、どの言葉もしっくりと来ない。何か、この得体の知れない穴を埋めるピースはないものか。

しかし、その時だった。

自分は一切回していないのに、ドアが勝手に動いた。

「ひっ」

情けない悲鳴を出す。何が起きている。

そのままドアはゆっくりと音を立てて開いた。そして、そのドアの先には彼が立っていた。

「そのドアは押戸だ」

奴は向こうからわたしに近づいてきた。

「おっ、エクレアじゃないか。ありがたいね。生憎この近くにケーキ屋は無いんだよ」

そして、彼はエクレアの箱を半ば強引に奪った。

「さぁて、そこの椅子にかけたまえ。コーヒーをやろう」

堪忍袋の緒が切れそうだ。久しぶりなのに、この男の幼稚さが鮮明に思い出され、腸が煮えくりかえってきた。

「わざわざこんな所まで来てくれてありがとう。さぞかし寒かっただろうね」

寒いどころではない。本当に凍え死ぬと思った。この日のために普段は着ないジャンパーを購入したのに、何なのだ、この寒さは。

「あ、このエクレア、チョコクリームなのか。君は良く僕の好みを理解しているようだね」

…全くコイツは。

「やはり新聞記者は僕には合わなかったようだ。探偵こそ、僕の天職だね。あ、そうだ」

コーヒー豆を探しながら、奴はわたしの瞳をじっと見つめてきやがった。

「君こそ新作を発表したそうじゃないか。是非買わせていただくよ。雄希…いや、千田ウユキ先生」

「やめてくれよ、恥ずかしい」

全くコイツは、内田綾人は何も変わっていない。

「砂糖はどれくらい入れるか?」

「いらない。ブラックを頼む」

「君程度の舌でブラックコーヒーを味わえるわけ無いだろう。ミルクでも入れてやるよ」

「次に喋ったら、お前は二度とコーヒーを味わえなくなる舌になる」

「おお、これは失敬。ところで今日は何の用なんだい?」

「思い出話。それだけ」

「それはちょうど良い。僕も君とゆっくり話したかった」

綾人は私にコーヒーを差し出して、ニッコリと笑った。

そして、そんな彼の口には、わたしが寒さをこらえて並び、862円払ってわざわざ買ってやったチョコ味のエクレアが咥えられていた。

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内田綾人は高校生 歌月 綾 @utaduki

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