第7話

桂は瞳の後ろ姿を見つめながら、どうしようもなく瞳に強く惹かれている自分に気がついた。

「やっぱ、好きだな」

そう呟くと、桂は残っていたお茶を飲み干して、ポケットから財布を取り出した。瞳の置いて行った五百円玉を大事に小銭入れに入れ、千円札を一枚取り出してレジに向かった。

「ご馳走様」

桂が声をかけると、奥さんが出てきて、桂から千円札を受け取った。

「ありがとうございました。大原さんは、週に二、三度はここでお昼食べるんですよ。土曜日にいらっしゃる時は決まって鯖定食でね。ご主人が亡くなるまでは、その日によって注文する物も違っていたんですけどね。お一人で来られるようになってからは、ご主人の好きだった鯖定食を注文するようになって。本当羨ましいくらい仲の良い夫婦でしたからね。あら、・・私ったら、お喋りが過ぎてしまいましたね」

奥さんはそう言うと、ほほほっと笑って暖簾を入れに外に出て行った。

桂も外に出て空を見上げ、大きく一つ溜息を吐いた。目の前には、雲一つない青空が広がっていた。

「よしっ」

桂は自分に気合いを入れ、走り出した。

桂がスタジアムに着くと、他の選手達は既にアップを終えてトラックを走っていた。

「桂、遅かったな」

トレーナーの川口修二が声を掛けた。

「すみません、食堂が混んでいて」

「今日は弁当じゃないのか?おふくろさん、ちゃんと栄養管理してくれてるんだろ?」

「はい。ちょっと遅れてやってきた反抗期ってやつですか」

「そっか。まあ、程々にな」

川口が笑って言った。

「はい」

桂はストレッチを済ませ、アップが終わると、ジャージを脱いでランニングウェアになった。軽く数回ジャンプすると、トラックを走り出した。川口は、一周毎のタイムを記録しながら、桂のコンディションを見ていた。

「ラスト一周」

三十周走ったところで、川口が声を掛けた。

「どうですか?」

桂が川口に訊いた。

「いい感じだから、外走ってみるか?」

「はい」

「じゃあ、車回して来るよ」

「あの、コーチ」

川口が行きかけたのを、桂が呼び止めた。

「なんだ?」

「明日のコースなんですが、この前走ったところをもう一度走りたいんですけど、いいですか?」

「あのコースは、日本海で風が強いからなあ。大会前に走るのは、あまり勧められないな」

「わかっています。でも、走りたいんです。お願いします」

桂は、体を直角に曲げて頭を下げた。

「そこまで言うなら、朝6時、東京駅新幹線乗り場で待ってろ」

「はい、ありがとうございます」

桂は再び直角に頭を下げた。

スタジアムを出ると、川口の先導でいつものコースをリズミカルに走り始めた。

二時間後、桂はスタジアムに戻った。

「よし、いいタイムだ」

川口が車の窓から身を乗り出して言った。

「先にジムに行っています」

桂はマシーンルームに向かった。川口のメニューで一時間程トレーニングをした。

「今日はこのくらいにしておこう」

「はい、ありがとうございました」

桂は、ロッカーに行き、荷物を取るとシャワールームに入った。服を脱いで籠に入れ、頭からシャワーを浴びた。シャンプーを手に取って頭につけ、豪快に腕を動かして泡を立てた。両手でリズム良く泡を洗い流すと、シャワーを止めてボディタオルにボディシャンプーをつけ、泡立てて体を洗った。再びシャワーを出して体を洗い流し、シャワーを止めてバスタオルで豪快に頭を拭いた。

ジャージ姿の桂が、シャワールームから出てきた。

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