第5話
その時、裏の通用口がにわかに騒がしくなり、瞳と同じ制服を着た女達が三人、ドヤドヤとカウンターの中に入って来た。
「大原さん、休憩行って来ていいわよ。食堂、空いて来たから。今ならすぐ座れるわよ」
一番恰幅のいい年配の牧野由美が、瞳に声をかけた。
「ありがとうございます。じゃあ、あと、お願いします。休憩いただきます」
瞳は抱えていた本をカウンターに置くと、更衣室に向かった。
桂は、瞳を追いかけて、
「ねえ、俺もお昼まだなんだ。前の食堂行くんでしょ?先行って席取っておくよ」
一方的にそう言と、返事も聞かずに図書館を飛び出した。
「あの、ちょっと」
瞳は困って桂を呼び止めようとしたが、もう姿は見えなくなっていた。
「名前も知らないのに・・・」
瞳は更衣室のロッカーから財布を出すと、裏口から出て食堂に向かった。
腕時計に目をやると、13時半を回ったところだった。
瞳が図書館を出ると、後を追うように黒ずくめの男が出て行った。
瞳が食堂に入ると、店の一番奥の席から桂が手を挙げた。瞳は軽く会釈して、桂と向かい合いの席に座った。既に食堂の中は、いくつか空席になっていた。
そこに、黒ずくめの男が入ってきて、入り口の席に座った。
「何にする?」
桂が瞳に訊いた。
「鯖の味噌煮定食」
「偶然だなあ。俺も鯖定頼んだところ」
「まあ、それは気が合いましたね」
瞳がにこやかに笑った。
「すみません、鯖定もう一つ」
桂が張り切って、厨房にいる店主に言った。
「はいよ」
厨房から威勢のいい声が返ってきた。
桂が席を立って、お茶を二つ汲んできた。
「お待ちどうさま」
少し腰の曲がった店主の奥さんが、お盆に乗せた鯖定を、危ない手つきで運んで来た。
「先にどうぞ」
桂が瞳の方に手を出すと、奥さんは瞳の前に鯖定を置いた。
「すみません」
瞳は恐縮して言った。
「いただきます」
瞳が食べ始めると、まもなく桂の分も運ばれてきた。
「いただきます」
桂が手を合わせて子供のように無邪気に言ったのを見て、瞳はクスッと笑った。
「そう言えば、まだお名前聞いてなかったですね」
「西村桂。三十歳。北川建設勤務。で、マラソン選手やってます」
桂は、ちょっとかしこまって言った。
「マラソン?すごーい!毎日走ってるってことですか?」
「まあね」
「私は・・」
「知ってる。大原瞳さん」
桂が瞳の言葉を遮って言った。
「どうして?」
「さっき、名札見たから」
「そっか」
「年は?訊いてもいいのかな?」
「三十二歳。一年前、新婚一年半で夫に先立たれた未亡人です」
瞳が開き直ったように言った。
「そう、だったんだ」
「だから、私を口説いてもダメですよ」
「どうして?今はフリーなんでしょ?」
「まあ、そうですけど」
「今でもその人のこと忘れられないとか?」
「当たり前じゃないですか」
瞳が真面目な顔で言った。
「凄い・・好きだったんだね。でも、一生このまま一人でいると決めている訳じゃないんでしょ?」
「今はまだわからないわ。彼以上の人が現れるかもしれないし、現れないかもしれない」
「死んだ人に勝つのは大変だな」
桂は、俯いて言った。
「そうですね」
桂が考え込む姿を見て、瞳は思わず、ふふふっと笑った。
「でも、僕は、諦めが悪いんだ」
桂が顔を上げて瞳の目を見て真剣に言った。
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