第一章
ワンコイン
第2話
高層ビルに囲まれた一角に、建設中のビルがあった。ビルの谷間には風が強く吹き荒れて、砂埃を舞い上げた。
工事の音が鳴り響く現場で、大手建設会社の社員、西村桂(かつら)はクレーン車の運転席に乗り、太い鉄骨の柱を吊り上げていた。柱を二階まで吊り上げ静かに下ろした時、12時のサイレンが鳴った。それと同時に作業員達が一斉に仕事の手を止め、磁石に引き寄せられるように四方八方から食堂に向かって歩き出した。
桂もクレーン車のエンジンを切り、食堂へ向かった。
「かっちゃん、今夜一杯どう?」
社員の中でも同期入社で気の合う三沢孝太が、桂に声をかけた。
「悪いっ!今日は午後から夜までずっとトレーニングだから、また今度」
「そっかあ。来週からしばらく会えなくなるのになあ」
孝太が、淋しそうに言って桂に抱きついた。
「頑張ってくれよ。応援してるからな」
「サンキュッ」
桂は孝太の肩を叩くと、更衣室に行き、作業着からジャージに着替えた。軽く畳んだ作業着をリュックに入れて、それを背負った。
「大会前なので、来週からしばらく休ませてもらいます。お先に失礼します」
桂は、弁当を広げている同僚達に挨拶して食堂を出ると走り出した。
「ああ、頑張れよ」
同僚達の声が桂の背中に飛んできた。
「しかし、かっちゃんていつも走ってるよな」
主任の山田が言った。
「何てったって、かっちゃんはうちの会社の期待の星だからな」
現場監督の木村が、卵焼きを頬張りながら言った。
「毎日午前中は仕事で、午後はトレーニングしてるんだもんな。日曜日は一日中トレーニングしてるか、地方行って走ってるっていうし。ホント、尊敬するよ」
孝太が弁当を抱えながら食堂に入ってきた。
「現場の行き帰りも走ってるし、唯一休みの月曜日もジム行ってるって」
孝太が弁当の蓋を開けながら言った。
「社長も、二年後のオリンピックでメダル取らせたいらしいぜ。優秀なコーチ付けたっていうから。大会前は、練習に集中しろって言われてるってさ」
木村が自慢気に言った。
「そりゃそりゃ、かっちゃんも頑張るしかないな。オリンピックに出る事になったら、俺達も鼻が高いしな」
山田が納得して言った。
桂は、会社のみんなから親しみを込めて、「かっちゃん」と呼ばれていた。
食堂でそんな話をしているとは露知らず、桂は会社のスタジアムに向かって走りながら、ペース配分を考えていた。現場からスタジアムまでは、軽く走って15分。桂は腕時計を見た。
「アップの前に昼飯食っておくか」
桂はスタジアムの横の食堂に入った。
食堂の中は満席で、おまけに五組ほど壁際の丸椅子に座って順番を待っていた。
毎日桂は、母親の作ってくれるお弁当を持ってきているが、昨夜母親と些細な事で喧嘩して、今朝は自分から、お弁当を作っている母親に向かって「もう弁当はいらない」と啖呵を切ったのだった。桂は食堂の混み具合を見ると、言い過ぎたと反省していた。
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