第10話
3
大通りに一台の高級車が止まる。黒塗りのベンツの後部座席から出てきたのは若い女だった。
肌は白くきめ細やか。少々肉厚の蟲惑的な唇には薄いルージュの口紅が塗られている。肩まで伸びた長い黒髪は手入れを怠ったことがないかのように光沢を持っている。ほっそりとした肢体を包むのはパリッとしたスーツで、彼女の有能さが一目でわかるような格好だった。
幾人もの男性の視線を集めながらその美貌の女性、秘書の柿崎は、まるでそれらの視線に気づいてないかのように歩く。きびきびとした無駄のない動作で、解体作業中の工事現場のビニールシートの前に立つ。
しばしの逡巡の後、彼女はそのビニールシートを捲った。
不意に世界が変わる。先ほどまでの大通りから見た解体現場などそこにはなく、《forest》と書かれた看板。一件の喫茶店がそこにあった。
柿崎はそれを確認すると、その無駄のない足取りでドアを開ける。凛となった鈴の音は、店内の光景から考えると酷くシュールなものだった。
普段は規則正しく並べてあっただろう机と椅子は、バラバラに倒れていたり、所々壊れて焦げ目や火が付いている。
そして壁に寄りかかって気絶している若い男。その左手は肘から先がなく、血が止めどなく流れていた。
彼女はしゃがみこみ男、マッドドックのものと思われる左手を掴み、眉を
「おそらくナイフで切断されたんでしょう。切断面が荒い。これではくっつきませんね」
ふぅと息を吐き出し、柿崎は気絶しているマッドドックの元に行く。そしておもむろに呟いた。
「私は汝を癒す」
呟きは詠唱となり、魔術が発動する。
ポウ…と青い光がマッドドックの傷口に集まり、その出血を止める。
「柿崎さん!」
後ろから数人のエージェントがやってくる。
「どうしたんですか? 近藤」
近藤と呼ばれたエージェントは、興味深そうに周囲を見回しながら柿崎に話しかける。
「どうやら僕たちがやってくるより先に、ターゲットは逃げてしまったみたいですね。今行方を追っています。それにしても随分と暴れたなぁ」
そう言って呆れたように店内を見る近藤。その視線はマッドドックの対角線の壁に向けられていた。
轟々と燃え盛る炎。マッドドックが最後に放った火球が燃え移り、店を燃やし尽くさんとする業火に変貌していた。
柿崎は大きく一度ハァと溜息をつきながら、呆れたような口調で口を開く。
「まったく。派手にやったものです。……近藤。マッドドックを連れてって。応急処置は施してあるから死ぬ事はないでしょう。適切な治療をお願いします。私は、残ってここの後片付けをします」
「わかりました。おい、わかったならさっさとマッドドックを運べ」
柿崎と話していた時の、人の良さそうな面構えから、一瞬で目つきの鋭くキレ者の顔に変貌した近藤が、背後のいかついエージェントに命令を下す。
ハッと返事をしたエージェントたちがマッドドックの身体を丁寧に運んでく。そして店内にいるのは柿崎と近藤のみとなった。
「さて。それじゃあ片づけますか」
そう言って柿崎は視線を燃え盛る業火へと向ける。
近くにカウンターがないお陰でガスに引火こそしていないが、充分店一軒燃やし尽くすことのできる火力。
「水よ。その荒れ狂う力を持って全てを洗い流せ」
詠唱。そして魔術が発動した。
柿崎の目の前に、一体どこにそれだけの量があったのかと疑問に思うような巨大な質量の水が現れる。そしてその水はその巨大な質量で、業火を消し潰した。
「おー。御見事ですね。柿崎さん」
大量の水が蒸発したことにより、煙のような水蒸気が店内を満たす中、近藤は柿崎に拍手を送る。
けれども柿崎はそんなこと関係ないかのように近藤に話しかける。
「そんなことよりも、ここの後始末をきちんとお願いします」
「あーハイハイ。建設業者には事前に解体作業を依頼しときましたからね。大丈夫ですよ。きちんと処理されます」
近藤のその言葉を聞いて、満足したように頷く柿崎。
「そうですか。それでは私たちもターゲットを捕まえに行きましょうか」
「そうですねー」
そう言ってにへらと笑う近藤。
そして柿崎と近藤の二人は
タクトと美鈴がここを離れてから、僅か数分後の出来事だった。
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