第8話
2
ダンッ
一発の銃声が店内に響く。おれはさきほどのエージェントたちから奪った一丁の拳銃を左手で構え、挑発の意味を込めニヤリと笑ってやる。銃口はマッドドックの顔を捉えていた。
けれども銃弾は奴の頬を裂いただけで致命傷には程遠い。悲観はしない。これは撃つ前からある程度わかっていた。
式神たちの動きを意図的にずらし、おれのリズムを侵食させる。それによって一瞬だけ生じた光。その光に向かって一分の狂いもなく拳銃の
ポタリ、ポタリと頬から流れ出た血が木の床に落ちる。マッドドックは目元を落としなにかブツブツ呟きながら滴り落ちる血を眺め続ける。今までの彼から想像も出来ないような静かな、暗い雰囲気。
式神たちはマッドドックのそんな雰囲気に合わせたのか、おれが奴に向かって発砲した時から動かない。それはまるで電池の切れた自動人形のように、生気というものがまるでない。
俯きなにかを呟き続けるマッドドックと俺との間、五メートルの距離に残った九体の式神がいる。
「……だ。もうやめだ。式神たちに任せ、弱ったところを俺が仕留めるなんてもうやめだ」
耳を澄ませばマッドドックの呟きがかすかに耳に入る。
瞬間マッドドックが顔を上げる。
「殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」
怒り怒り怒り。マッドドックは額に青筋を幾つも浮かべ、そのせいか瞼が軽く痙攣している。口元を大きく歪め歯肉を剥き出しにし、足に力を込め血が出んばかりにその手を強く握りしめ、全身でその怒りを表現する。
「もういい。そこの役立たず共と一緒に燃え尽きろテメェ!」
握りしめられた両手が開かれる。轟という音でその両手に今まで一番大きい一メートル大の火球が現れる。
「死ねよテメェらあああぁぁぁぁぁ」
絶叫。そして火球はマッドドックの前にいる全ての式神を巻き込みながら爆進する。
おれは目の前にいる木偶の坊と化した式神を蹴り飛ばし、その反動で後ろに跳ぶ。これで少しだけ火球との距離が取れた。けれども迫りくる巨大な火球をかわすことが出来るほどの距離ではない。
人間など僅か数秒で消し炭に出来るような恐るべき高温。幾体もの式神を護符に戻しながらも衰えることなき二つの火球。おれを逃がさぬよう斜めから挟み込むようにして突き進む。
後ろに逃げる。
否。もう一度飛び退いたとして、直径一メートルを超える二つの火球の炎から逃げられるほどの距離は稼げない。
左右どちらかに避ける。
否。二つの火球がクロスを描くように進む以上どちらに逃げようとも炎の餌食になる。
その場に止まることは勿論死。前には先ほど吹き飛ばした式神がおり道は塞がれている。けれどもこれはまだ絶体絶命という状況じゃない。
ギリリと足に力を込める。唯一の突破口へと突き進むため身体全体に意識という網を張り巡らせる。
空間把握能力を限界まで使い、体感時間を引き延ばす。それによって生じる走馬灯のように周囲の光景が遅く見えるような現象。これからの行動はタイミングが重要になってくる。目的の一瞬のため、思考を高速化させる。
轟―――――
今俺の前、最後の式神が、その二つの炎に包まれた。現実では恐るべきスピードで迫りくる火球、そして燃え尽きる式神。けれども認識の上では火球はゆっくりと進み、ゆらりと燃え尽きようとしている式神。
今だ!
一瞬のタイミングを逃さぬようおれは火球に向かって走り出す。そして人間を容易く燃やし尽くすことの出来る炎が、己が身に触れる僅か手前、その一瞬で地面に向かってスライディング。顔面の上僅か三十センチの所を通り過ぎていく火球。
それと同時におれのセンサーが先ほど通り過ぎた火球に燃やされた最後の式神が元の護符に戻ったことを正確に伝えた。
そのまま勢いに乗ったスライディングで、護符が舞う空間を高速で滑り抜ける。
もしここにいたのが式神ではなく本物の人間による戦闘員だったらこの《道》は生まれなかった。
いかにこの火球が高温でも、人間一人を燃やし尽くすのには数秒はかかる。その状態でスライディングで火球を避けようものなら、火達磨になった人間と正面衝突することになり、火傷は免れない。火傷の痛みに蹲っているところをマッドドックに狩られておれの命は終わる。
一六〇センチ以上の人間が、十五センチの護符になるという式神の特性。そこにのみこの状況を打破する《道》が存在したのだ。
勢いに乗ったおれの身体はマッドドックの火球が蹂躙し、障害物のなくなった空間を滑り抜け、奴の懐に潜り込む。
二つの火球を繰り出す時に掲げた奴の両手、その内左手の肘から先を跳ね上がりざま右手のナイフで切り落とす。
「あああああぁぁぁぁぁァァァァァァァァ」
痛みのせいか涙をため絶叫を上げるマッドドック。左手から大量の血を流しつつたたらを踏む。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、狂犬というより負け犬と言った方がいいくらいの醜さ。
「眠れ。負け犬」
いかに醜く涙を流そうとも逃がすという選択肢はなく、おれの必殺の回し蹴りを奴の鳩尾に叩きこむ。ドンという音で壁に叩きつけられその場で意識を失うマッドドック。
おれの、勝ちだ。
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