無辜のバリスタ①

「うーん、どうすっかなぁ」

 何種類ものコーヒー豆が保管されている倉庫で、必死に頭を捻る。

 木製の棚にはいくつものビンが並べられている。中に入っているコーヒー豆は、どれも別の種類だ。ときおり空間移動で遠くの地へおもむいては稀少なコーヒー豆を集めるのが趣味なのだが、いくらなんでも保存場所が圧迫されすぎてきていて、無計画さを否めない。消費よりも補充の方が回数が多いからなのだがこればっかりは仕方がない。

 しっかりと密閉されたビンに詰められているコーヒー豆の中から、一つを選ぶ。

「やっぱり、これにするか!」

 手に取ったものはこの辺りでは採集できない豆で、その中でも更に厳選したピーベリーと呼ばれる丸い形をしたコーヒー豆。基本的にコーヒー豆というのは、フラットビーンと呼ばれる平豆が普通なのだが、このピーベリーというのは丸豆と呼ばれ、通常の収穫量の五パーセントほどしか入手できない貴重なものだ。豆の成分は同じなのだが、形が違うため火の通りが全く異なる。よって、焙煎後の味わいが違うのだ。

 そんな高値で取引できるコーヒー豆を手に取り、キョウと待ち合わせしているグリモア魔法図書館へ向かう。

 まだ、待ち合わせ時間よりは少し早い。

 時間があるときはなるべく魔法は使わずに移動するようにしていた。あれもあれで、案外体力を消耗するのだ。

 グリモア魔法図書館に着くころには汗が滲んでいた。空調が効いている図書館の椅子に腰掛けるがあまりにも大量に本があるせいか、逆に落ち着かない。

 勉学など、とうの昔に放り捨てた身であるがゆえ、全く魔導書には興味がない。ぐるっと図書館全体を見渡してみると、ふとこの前起こった悲痛な事件のことを思い出した。

 あの日、偶然巻き込まれてしまった事件。

「……散々だったな」

 別に古傷が痛むわけではないが、まだ右腕に残っている傷跡を軽くさする。

 俺が美味しいコーヒーを淹れるために奮闘している理由の一つに、姉ちゃんがいる。

 昔、姉ちゃんの誕生日のときにオープンしたばかりのお洒落な喫茶店へ無理をして連れていった。俺はオレンジジュース、姉ちゃんはコーヒーを頼んで、お互い慣れない店の雰囲気におどおどしていたのを覚えている。

 姉ちゃんはコーヒーを飲むと、拙い語彙力で賛美さんびしたあと、俺に何度もありがとうと言ってくれた。その時の笑顔が今でも瞼の裏にこべりついているようで、目を閉じれば鮮明に思い出せる。それ以来、いつかまたあの笑顔がみたくて、俺は世界一美味しいコーヒーを淹れようと思い立ったのだ。

 俺が淹れた美味しいコーヒーを飲んでもらうまで、姉ちゃんに死なれては困る。というのは、実際は大義名分かもしれない。冒険に明け暮れている放任主義な両親のせいか、俺にとって唯一の心の拠り所が姉ちゃんなのだ。

 姉ちゃんにまで見放されるのは、耐えられない……のかもしれない。

 そんな自分でもよく分からない心中を吐露とろできる相手がいるわけもないので、心の奥にそっとしまっておく。

 それに、ある程度大きくなってから自分もコーヒーの良さについて知ることができた。個人的な探求心もあるわけだし、一石二鳥っていうわけだ。

「あれ、ジョヴァンニ早いね」

 声の発生源を辿ると、ひらひらと手を振っているキョウが西側の階段からこちらへ歩いてくるところだった。

「よう、ちょっと早く来すぎた。キョウこそ早いな?」

「ついでだから、何か本を借りておこうかと思ってね」

 そう答える彼の手元には、魔導参考書が一冊。表紙には『魔銃工学』と記されている。

「キョウ、お前……。魔銃なんて滅多に見れない激レアなもん持ってんのか?」

「いや、持っていないよ。ただどんなものなのか、知っておこうと思ってね」

「ふぅん、よくそんなに文字が読めるなぁ」

 読書家だとは聞いていたが、筋金入りだな。彼のように勉学に励むのはそう簡単に真似できるものではない。

 なにせ魔導参考書は内容の少ないものだけでも五センチ以上の厚みがある。それに俺は長ったらしい文章を読んでいると五分もしないうちに眠気に襲われてしまう。椅子に根っこを生やしたかのように座るより、動き回っていたほうが性に合っていると自負している。

 キョウの熱心さに感心していると、すでに彼は慣れた様子で貸出の手続きを済ませていた。カウンターにいる女性は姉ちゃんと仲の良い人だったので、軽く会釈だけした。

「それじゃあ、ちょっと早いけど俺の魔方陣でさっさと行くか!」

「本当、便利だなぁ……。でもいいのか、魔法の無駄遣いはよくないって書いてあったぞ」

 確かに魔力は枯渇すれば、体力を奪い、終いには記憶すらも魔力に変換されてしまう。それを超えるともう人は人でなくなる。訪れるのは虚無だと、姉に教わっていた。

「俺の魔法は特別だからな、何かあったときのために常に魔方陣に魔力が貯蓄されていってる。使わないと逆にこっちの感覚が鈍っちまうぐらいだよ」

「へぇ、そういう仕組みは知らなかった。勉強になるよ」

 賛嘆さんたんする彼の声を背に、外へ出ると早速、人目もはばからず右目の力を使って魔方陣を出す。ゆらゆらと妖艶な輝きを見せる魔方陣をみて、昼頃の姉とのやり取りをぼんやりと思い出した。

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