蠱惑な薔薇③
自分でも分かるほど顔が熱くて、少しでも冷まそうとアイスコーヒーを一気飲みした。その時、窓の外から視線を感じたような気がしたがそれどころではなかった。
ああ、弟にもばれないように今まで描いてきたというのに、よりによって勝手にキャラクターデザインに使ったキョウ君本人に見られてしまうなんて。
こんなんじゃお嫁にいけない、とグラスに残った氷も容赦なく音を立てて喰らった。
「えっと、キョウ君。さっきのことは忘れてくれないかな、ね?」
「…………」
「ほ、ほら。折角だからケーキとか頼もうか? ここのケーキ、とっても美味しいのよ」
「…………」
「て、店員さーん。ショートケーキ一つ!」
これはまさか、ドン引きされているんじゃなかろうか。ああ、こんな美女が気を遣っているのに反応しないなんて、きっとそうに違いない。
そんな私の悩みをよそに、溜め息が聞こえてきた。
「ふぅ、大体わかりました。やっぱり隣国の仕業なんですね」
「え?」
「いや、隣国の仕業なんでしょう?」
「え、ああ、うん。そうだけど」
「わざわざ僕にも教えていただいてありがとうございます」
丁寧に頭を下げるキョウ君をみて、なんだかどっちが年上なんだか分からなくなる。
「いやいや、いいのよ。それでね、なんでこの話をキョウ君にしたのか分かる?」
首を傾げるキョウ君の前に、さっきとは違う黒い髭を蓄えたおじさん店員がショートケーキを置いた。輝くイチゴに思わず目を奪われてお腹が鳴る。そういえば、お昼も食べずに原稿を描いていたんだった。
「どうかしましたか?」
「なんでもないわよ。えっとね、キョウ君の戦いぶりを見ていて思ったの。この子ならいけるって!」
「いけるって何が?」
一呼吸おいて、真剣な表情で彼を見つめる。
「……ハウンドに加入しない?」
「ハウンド?」
キョウ君は眉を顰めながら首を傾げている。それでも構わずに話を続ける。
「キョウ君なら、試験もせずに入れると思うわ。私のお墨付きでね」
「いやいや待ってください。僕、まずそれを知らないです」
「え、そうなの?」
ハウンド――要するに、この国で暗躍する部隊の名前だ。キョウ君ほどの戦闘経験豊富な魔法使いなら名前ぐらい知っていそうなものだったが、あまり表立って何かするということは少ないので、まぁ知らなくとも頷ける。
人数はごく少数で、それなりの汚れ仕事を請け負うこともしばしばある。時にはスパイとして他国に潜入捜査をすることもあるため、高い身体能力と魔術能力が求められるのだ。
私がハウンドになる前、在籍していた『
「なるほど……。お誘いは嬉しいですが、遠慮しておきます」
「どうして?」
キョウ君は真剣な表情で私を見つめ返してくる。まだまだ子供だと思っていたが、大人びた表情に思わずどきりとした。
「僕には国より大事な……守りたいものがありますから」
かしこまって言い放つ彼をみて、人質として囚われていた女の子のことを思い出した。無理強いをするつもりはもとよりなかった。
「そっ、分かったわ。でももしも考えが変わったら私に一言ちょうだいね」
「はい、わかりました」
そういうと彼はアイスコーヒーを飲み干して、紙幣を置くと席を立った。
「あれ、ショートケーキ食べていかないの?」
「アテナさん食べたいでしょう? お腹鳴ってたし……僕はいいからどうぞ」
どうやら見透かされていたようだ。恥ずかしかったがその通りなので素直に受け取ることにした。それに、この程度の恥ずかしさは先ほどの大失態を踏まえればまだまだ許容範囲である。それとも、先ほどの錯乱のせいで感覚が麻痺しているんだろうか。
「ありがと、またね。キョウ君」
「はい、また。あと……趣味の絵を描くのは勝手ですけど、ばれないようにしてくださいね」
「うぐぅ」
キョウ君はくすくすと笑いながら喫茶店を出ていく。それを見送りながら、ゆっくりと息を吐いた。
「やっぱり、ハウンドには入ってくれなかったか……。急遽統括者に任命されたからって焦りすぎたかしら」
キョウ君の魔法の才能には
隣国は、着々と力を付けつつある。それは揺るぎない事実だ。
私はもう一度、資料を手に取る。
グリモア魔法図書館は私やキョウ君、ジョヴァンニのおかげで無事だった。そして城下町にある賢者の石は王に仕える竜騎士の駐屯地が近いこともあり、問題はなかった。しかし、魔法アカデミーにある賢者の石はちょうど多くの職員たちが王都に会議に赴いており、アカデミー生の避難を優先した結果、惜しくも奪われた。
いや、惜しくもという表現は間違っているかもしれない。元々、グリモア魔法図書館と城下町は囮で、職員たちが不在のときを狙ったこのアカデミー襲撃こそ本懐だったといえる。それが何を意味するかは明白だ。このままだと、いつか戦争が始まるかもしれない。私がグリモア魔法図書館の管理人だと
ショートケーキに乗っている
「はぁ、まずは原稿を届けに行かなくちゃ」
アイスコーヒーをもう一杯頼んで、口に運ぶ。
そういえば、まだ幼いときに弟と二人でここのコーヒーを飲んだ記憶がある。確か私の誕生日のお祝いだっていって、弟が奮発してここに連れてきてくれたのだ、懐かしい。
昔の情景を思い出しつつ、ケーキを口に放り込む。程よい糖分が体に染みわたった。
「はぁ、美味しい。このケーキのためにも、頑張らなくちゃね」
小さなガッツポーズと共に、固く決心した。
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