蠱惑な薔薇②
重厚な造りのドアを開けると、中から涼しい風が逃げるように吹いて髪を揺らした。同時に心地よい鐘の音がなり、背の低い可愛らしい女性店員が歩み寄ってくる。
「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」
「ああ、いえ。人を待たせているの」
軽く手を挙げて人工的な笑みを浮かべる。客席に視線を向けると、今にも寝てしまいそうにうとうとしている男の子を見つけた。
「ごめんね、お待たせ。キョウ君」
テーブルに近づくと、キョウ君は寝ぼけていた表情を瞬時に切り替えて垂れかけていた涎を拭った。何とも可愛らしい仕草である。
キョウ君――あのグリモア魔法図書館の一件で知り合ったのだが、かなり腕の立つ魔法使いだった。あの状況下でも臨機応変に敵に立ち向かう姿からして、相当場数を踏んでいると考えていいだろう。ただ彼の戦い方はなんだか少し、自分の力をセーブしているような、魔力の出し惜しみをしているような違和感があった。
ただ私が気に入っているのは、どこか抜けているような感じだがよく見るとちょっと愛くるしい顔立ちをしているところである。背丈は弟よりは低いが一七〇センチ以上はある。
ふと、先ほど描きあげた原稿に描かれている一人の男の子を想起する。
趣味で描いているイラストたち。それが、今回ちょっとした本になることになったのだが、完成する前はキャラクターに悩んでいたのだ。そしてキョウ君を見たときにぴんときた。思った通りペンは止まることを知らず、あっという間に描き終えることが出来た。おかげでいつも締め切りギリギリだというのに、これだけ余裕をもっているということだ。
私の、人に見せられないような笑みが零れていたのか、あるいは身の危険を感じたのか、キョウ君は険しい顔をしている。
「……アテナさん? 座らないんですか?」
「え、ええ。ごめんね。えっとアイスコーヒーでも飲もうかな」
眠かったわけではないが、垂れそうになっていた涎を拭った。キョウ君が店員さんを呼び止めてアイスコーヒーを二つ注文してくれた。
「ところで、話ってなんですか? やっぱりあのグリモア魔法図書館でのことですか?」
「そっ。やっと色々と情報がまとまったからね」
鞄を開けて、詳細について書かれている資料が入った封筒を取り出す。
「まずは資料に目を通してみて。一応、機密文書扱いだから読み終わったら返してね」
「分かりました」
差し出した封筒を彼は丁寧に受け取ると中身を取り出す。
途端に、その整った顔がぐにゃりと歪んだ。まぁ、無理もない。今回の襲撃は思ったよりも深刻だったのだから。
「あぁ、グリモア魔法図書館が襲撃されたときにね、残る二つの賢者の石がある場所も同時に襲撃されていたの。一つが城下町、もう一つが魔法アカデミーね」
一応資料にも書いてあるけれど、かいつまんで説明する。
彼の表情は驚いているのか困っているのか、よく分からない見たこともない顔をしていた。何か他に気にかかることがあったかしら、と記憶を呼び覚ますが思い当たる節はなかった。単純に、まだ若い彼には酷な内容だっただろうか。
「お待たせいたしました。こちらアイスコーヒーがお二つで、ぶふぉっ!」
先ほどの可愛らしい店員が、一瞬彼の手元を見たかとおもうと顔を赤くしてあたふたしはじめた。グラスは倒れなかったが、中の氷がぶつかりあって、アイスコーヒーの飛沫が飛んだ。
いよいよ何が起こったのかよく分からない。慌てるように「し、失礼いたしましたー」と去っていく店員を横目にキョウ君に問いかける。
「キョウ君、何かあった……の……」
違和感の正体に気付いた。彼が手にしているのは――原稿?
キョウ君は静かに原稿を封筒をしまうと、何事もなかったかのように私に差し出した。恐る恐る、中身を確認してみる。
――そこは、男たちの楽園だった。
至ってシンプルなミスだった。鞄から取り出すときに、封筒を取り違えていた。同じようなものに入れていた私のミスであるが、なんというお粗末な結果だろう。
「あ、あぁ……、う、うぐぅ」
情けない声が漏れて涙目になりながらも、涙の雫が原稿に付着しては困るので素早く封筒に入れた。我ながら迅速な対応である。
もう一つの、本来渡すはずだった封筒を取り出して、無言でキョウ君に向かって放り投げた。
「えっ、続編ですか?」
「違うわっ、バカ!」
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