魔法使いのとある一日

蠱惑な薔薇①

 時計の音が鬱陶しくて、叩きつぶした。

 そのおかげで部屋は深閑しんかんとしている。時折聞こえるペンを走らせる音だけが、現実との繋ぎ目のように思えた。

 集中していると、自身の心音すら煩わしいと思うときがあった。急いでいる私をなぜ邪魔するのか、そう思いながら一心不乱にペンを動かす。

 次第に出来上がっていく絵を見て、鼓動が高まる。今日はいつにも増して調子が良い。いや、良すぎる。

 ああ――たぎる。滾ってくる。

「やっぱり、男の子同士よね!」

 出来上がった原稿を表彰状のように掲げ、鼻息荒く椅子から立ち上がった。

「ふふふ、あー、今回は本当に良い出来栄え……やばい」

 痺れるような陶酔とうすいを味わっていると、閉じたカーテンの方からこつこつと、何かが叩く音が耳に飛び込んできた。

  夢の世界から引き戻された感覚に軽く舌打ちして、カーテンを開け放つ。途端に部屋は光につつまれ、思わず目を細める。光を浴びて立っていたのは、灰色のフクロウだった。首元には、細く丸められた紙を括り付けられている。

 逆光のせいか神々しく感じるフクロウは再度、催促するようにクチバシで窓を叩いた。

「はいはい、今開けますよ」

 部屋にフクロウをあげると、優雅に原稿の置いてある机のそばに飛んでいった。

「そこは駄目だから! こっちこっち!」

 思わず声を荒げると、その言葉を理解しているかのように旋回して、フクロウは椅子の上にちょこんと座った。括り付けてある紙を丁寧に外してあげると、お役目御免と大きく羽を広げて外へと飛んでいった。

 外の熱気が窓から侵入してくるのを急いで防ぐと、紙を開く。

『掲載する原稿、今日の夜にしっかり届けろよ。お前はいつも時間を確認しないんだから、いいな!』

 ふん、と鼻を鳴らして紙にデコピンを喰らわせる。一瞬にして炎が紙を包み込み、跡形もなく消えてしまった。

「あーあ、折角早く描き終えたっていうのに。大丈夫だっての」

 小さく息を吐きながら先ほどの原稿を綺麗にまとめて封筒に入れる。鞄に仕舞おうとしたところで、中にあるもう一つの封筒が目に入りはっとした。

「げっ、しまった。キョウ君と待ち合わせしているんだった……。ちょっと、今何時!?」

 つい筆が乗っていたせいで忘れていた。慌てて時計を探すが、この部屋にもう時計はない。

「ああ、もう。なんで時計がないのよ!」

 憤りながら鞄に封筒を入れて急ぎ足でドアへと向かう。思いっきりドアを蹴り開けると、何かに引っかかり半分ぐらいしか開かなかった。

「いってぇ! 姉ちゃん急に開けるなよ!」

「そんなところに立っているのが悪い」

「理不尽だ……。あれ、ていうかこのドア引き戸だろ!?」

 喚き散らしながらおでこをさすっているのは、認めたくはないが血を分けた弟、ジョヴァンニだった。

 つい最近、うっかりと弟の右腕を斬り落としてしまったのだが、開発されたばかりの上位治癒魔法のおかげで今ではすっかり元通りになっている。しかし、若干動作に支障があったため、しばらくは医療施設にいた。不本意ながらこちらに非があったので大人しくリハビリに付き合っていたのだが、ことあるごとに斬り落としたときのことを揶揄やゆしてくる弟のせいで看病も長くは続かなかった。

 私を助けてくれたのは事実なので一応感謝はしている。しかし「あの時、姉ちゃん泣いてたよな? ぷぷっ」と馬鹿にして笑うあの顔をみたら、誰だってはらわたが煮えくり返るだろう。

 めでたく愚弟へと退化した弟の目を見て、妙案が浮かんだ。

「ちょうど良かった。あそこの喫茶店の近くまで魔方陣出して」

「はぁ、なんでだよ」

「人と待ち合わせているの。今何時か分かる?」

「さっき時計みたときは午後三時ぐらいだったけど」

「三時? それは大惨事だわ」

「面白くないぞ」

「急がないと、待ち合わせは午後二時だったから」

「急がないとっていうか、完全に遅れてるじゃねえか!」

 愚弟は待ち合わせ相手のことを気遣ってか、半ばあきれ顔で魔方陣を出してくれた。

 ありがとね、と言いながら感謝の気持ちを込めて投げキッスをしてみたが、露骨に嫌な顔をされた。全く、こんなに才色兼備な美女が投げキッスをしたんだから、ひざまずくのが当たり前でしょうに。

 そんな不満を心にしまって、喫茶店の裏にある路地に無事到着する。足早に表へ回り、店の入り口へと向かった。

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