人質救出作戦

 余裕をもって振り返ると、傀儡子の足元から赤い糸がつたのように絡みつき、動きを封じているところだった。それは先ほどの交戦のときに斬られたアテナさんの髪――それを彼女は器用に魔法で操っている。

 みるみるうちに髪は伸びて、狼狽うろたえている傀儡子の全身に満遍まんべんなく絡みついた。

 束縛された傀儡子が自身の置かれた状況を把握するよりも前に、僕は確実に素早く呪文を詠唱する。すでに剣は消してあるので、魔法は滞りなく発動した。足元に風が集まり、体がふわりと軽くなる。床をおもいっきり踏み込んで、アイを捕まえている人形へ向かって飛んだ。

 瞬く間に距離は縮まる。更に風をまとった足に力を込めて、人形の頭を蹴り飛ばした。

 それでも人形はアイを掴んだまま離さなかった。頭のない体が、攻撃態勢へ移行しようとする。それを阻止すべく、すかさず回し蹴りで上半身も吹き飛ばした。やはりこの傀儡人形は衝撃に弱い。魔法障壁にぶつかったときと同じように、いともたやすくばらばらになった。

 傀儡子が僕に気付いて動こうとするが、自慢の分裂技も蔦のせいで使えないようで、ぎちぎちと音を出しながら激しくもがいているだけだった。

 上半身を欠落した人形は、すでに自我を持っているのか、あるいは行動を指示されていたのか身動きがとれない傀儡子と違って、残された足で僕を攻撃しようと大きく動き出す。

「同じ手は通用しない」

 身を翻して攻撃を躱し、風魔法の力で威力を高めた踵落としをお見舞いする。衝撃で投げ出されたアイが地面に落ちる前に素早く抱きかかえた。小さな温もりが、体に伝わってくる。良かった、生きている。

 ばらばらに散らばる人形を尻目に、すぐさま離れようとするが残る三体の人形が行く手を阻むように立ち塞がった。

「全員来てよかったのか?」

 人形に言葉が通用するとは思わなかったが、精いっぱい皮肉を込めて言い放つ。

 それと同時に、アテナさんが一体の人形に蹴りを入れた。衝撃派がびりびりと空気を振動させる。思わず目を細めながらも人形を注意深く観察すると、再生ができないほど木っ端微塵になっていた。

 僕が魔法を使って蹴りをいれてやっとばらばらになるっていうのに、なぜこうも威力が違うのかと疑問に思う。 

 残る二体の人形はまるで気圧けおされているかのように動かず、あっという間に生成された大鎌で八つ裂きとなった。ころん、と転がった人形の頭を踏みつぶして、アテナさんがじろりと傀儡子を睨む。ジョヴァンニを睨んだときと比べると、殺気が籠っているのが分かった。

「もうあとは、あんただけよ。降参する? もう遅いけど」

 冷たく言い放たれた言葉に傀儡子は顔を歪める。いまだに拘束は解けないのか、わなわなと震えていた。

「おのれ……よくも我が眷属けんぞくたちを……!」

 アテナさんは小馬鹿にしたように鼻で笑い、走り出す。器用に振り回す大鎌から火の粉が舞い、まるで不死鳥のように見えた。ちりちりと肌を焦がすような熱気がこちらまで襲ってくる。蜃気楼のように大鎌が歪んで見える。

 そのぼやけた輪郭のように、ぐにゃりと傀儡子が嗤った気がした。

 もうアテナさんと傀儡子の距離は数メートル。

 突然、傀儡子の背後から三十センチほどの黒い人影が現れた。

 小型の人形だと認識するのに、時間を有した。

「なっ!」

 思わず声が漏れる。

 大鎌を今にも振り下ろさんと構えているアテナさんの懐は隙だらけだ。

「馬鹿め! 死ね、クソ女! ひゃはははっ!」

 小型人形は口元がぱっくり割れたかと思うと、無数の棘が姿を現す。棘はまるでドリルのように高速に回転していた。


 ――これは計算外だ。


 最初に交戦した人形も、今しがた倒した人形も全て同じだったので、傀儡子が操る人形は一種類だけなんだと勝手に思い込んでいた。作戦は失敗だ。僕がもっとしっかりと考えれていれば!

 後悔の念が頭をよぎり、思わずアイを抱えている手に力が入る。すぐに魔法を詠唱しようと思ったが魔法障壁は自分の周りにしか展開することができないし、他にアテナさんを守れる魔法が思いつかない。

 逡巡して決断できずにいると、耳障りな傀儡子の奇声がより高らかになる。

 もう、駄目だ……。

「うおおおおおっ!」

 突如として傀儡子の奇声を掻き消すほどの大きな声が、図書館中に響き渡った。

 はっとして顔を上げると目にも止まらぬスピードで人影が駆け抜ける。確認するまでもなく、人影が誰であるか容易に判断できた。

「ジョヴァンニ!」

 だが、もう小型人形の棘はアテナさんの胸元に達しようとしている。

 間に合わない。

 ふっ、とジョヴァンニの姿が消えたかと思うと、次の瞬間には彼の拳が小型人形を叩きのめしていた。

 三つのシルエットが重なる。

 ジョヴァンニはあの短距離を、空間移動したのだ。

 小型人形は粉々に砕け、床に散り散りになる。

 同時に振り下ろされた大鎌は傀儡子を一刀両断した。

 歓喜しかけて、何かが吹き飛んだのを視野に捉える。

「ああ……!」

 吹き飛んでいたのは、ジョヴァンニの右腕だった。

 血飛沫か火の粉か、赤いものが空間を彩り、皮肉にも鮮やかに見えた。そのなかでも、ジョヴァンニは冷静だった。

「姉さん、俺に構わずに早くこいつにトドメを!」

 中途半端に狙いが狂ったせいか、真っ二つになってもなお傀儡子はまだ息をしている。アテナさんの表情はこちらからはよく分からない。

 大鎌がふたたび揺らぐ。

 その軌道は狂うことなく、傀儡子の頭を斬り裂いた。

「これで、終わったと、思わない、こと、だな……」

 傀儡子は生命を失い、残された人形の残骸と共に灰になった。

 

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