紅蓮の乙女

 アテナさんの思いもよらぬ強靭きょうじんさに圧倒されて、中々言葉が出てこなかった。

「びっくりしすぎじゃない? キョウ君」

「そ、そりゃもう……アテナさんって強いんですね」

「あら、褒めてくれているの?」

 優しく微笑むアテナさんを見て、先ほどの畏怖いふの念は抱かなかった。それにしても、いつもいつも女性にばかり助けられている気がして、途端に情けなくなる。

「どうしたの、キョウ君。どこか痛む?」

 気付いたら近くに歩み寄っていたアテナさんが、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。ちょっとだけ焦げの匂いがする。

「いえ、大丈夫です。それにしてもどうやってあの人形を?」

「簡単よ、燃やしたの。木で出来てたっぽいし」

 飄々ひょうひょうと答えるアテナさんに更に疑問をぶつける。

「でも図書館なのに火なんて使ったら大火事になりますよ」

「え? だってあの人形だけを燃やす魔法なんだから大丈夫よ。大鎌を生成する魔法と、炎の術式ね」

 目をぱちくりさせながら平然と答えるアテナさんをみて、素直に凄いと思った。

「器用なんですね。二つの魔法を同時に使うなんて」

「うふふ。それぐらいできないと、この図書館の管理は務まらないってことだよ」

 アテナさんはそういって人差し指を立てると、可愛らしくウインクする。大人の魅力を感じると同時に、強者である余裕さも感じ取れた。

 多重詠唱――それは容易に会得できる代物ではない。本当にこれがあのジョヴァンニの姉なのかと、彼をしのぶ。

「そういえば、あの馬鹿は?」

 彼の名誉のためにも、一応訊き返す。

「ジョヴァンニのことですか?」

「そう。一緒じゃなかったの?」

「それが、本棚が急に移動しはじめたせいではぐれてしまって……」

 はぁ、とアテナさんは深く溜め息を吐いて頭をかいた。

「彼なら、空間移動があるから別に困らないんじゃないですか?」

「そういうわけにも、いかないんだよねぇ」

 彼の言葉を思い返す。確かに、魔方陣を出して移動できると言っていたような気がするけれど。

「ここって、空間圧縮の固定化魔法がされているのは知っているわよね?」

「はい、ジョヴァンニからききました」

「つまりここは通常とは異なる空間ってわけ。そんな状況で空間移動を行うっていうのは、難儀なんぎなものなんだよ。せいぜい視界に入っている数メートル先に移動できるぐらいじゃないかな」

「えっ、じゃあジョヴァンニもこの図書館の中を彷徨さまよっているってことですか?」

「そうだね。この現象は警戒レベルがかなり高くならないと発動しないんだけど……。恐らく、賢者の石に何かあったのね」

 なるほど、賢者の石に何かあれば図書館が立体迷宮となり石を守るというわけか。

 アテナさんは赤い眼鏡の奥で目を細める。途端にジョヴァンニのことが心配になってきた。胸中を察してか、アテナさんが付け加えた。

「ジョヴァンニなら大丈夫よ。一見するとただの馬鹿だけど、体は鍛えているから逃げ足だけは私より速いのよ」

「身を守る魔法とかは使えないんですか?」

「あいつは稀有けうでね。右の瞳に魔方陣を組み込んでいるの。そこに常に微小な魔力を供給しているんだよ。あいつの頭じゃ、多重詠唱は無理」

 空間移動は便利そうだが、それだと諸刃もろはつるぎじゃないかと思う。

「何はともあれ、この状況を打開するためには賢者の石に何があったのか、確かめる必要があるってことだよ。キョウ君」

「僕も一緒に行きますよ。あまり力になれるとは思いませんが、手伝えることがあると思います」

 アテナさんが眼鏡の奥で目をまん丸にして僕を見つめる。

「無理はしなくていいのよ? これは私の仕事なんだから」

「いえそのなんていうか……、こういうときにじっとしていられなくて。何か少しでも力になりたいんです」

「うーん……そうか、分かった。じゃあ一緒に賢者の石の場所へ向かおう。ジョヴァンニもきっとそこに来るわ」

「分かりました」

 立ち上がって周りを見渡す。一部の本棚がいまだに動いていたり、二つに割れて道が出来たりとどうやら常に道が切り替わっているみたいだ。

 アテナさんはそんな現状など気にも留めない様子で、眼鏡のレンズについた汚れを拭きとっている。

「ところでアテナさん。こんなに複雑に入り組んでいるのに、賢者の石までの道順とか分かるんですか?」

「それなんだけれどね、キョウ君」

 アテナさんが眼鏡をかけなおして、真剣な顔でこちらを向いた。

「ぜんぜん、分からないの」

 とびっきりの笑顔で答えるアテナさんを見て、ああ姉弟だな、と肩を落とした。

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