悲鳴を上げる図書館

「え、えっと。封筒に魔法で封がされていて解錠したいんです。解錠の手順が載っている魔導書はありますか?」

 アテナさんの微笑を浴びながら、震えそうな声で何とか要件を告げた。

「んーと、それなら三階の『E』の本棚ね」

「三階の『E』?」

「ええ。西階段から三階へ上がって、手前から二十五列目の本棚。ちょっと待ってね、見取り図を渡すから」

 かなり広い図書館であるが故に管理も大変そうだ。改めてこの図書館の広さを実感した。

 アテナさんは小走りでカウンターへ戻ると、紙切れを一枚取り出して丁寧に渡してくれた。魔方陣の説明もろくにせず突っ走るジョヴァンニとはやはり似ても似つかない行動である。それに、ジョヴァンニが茶化さなければ優しく接する人なのかもしれない。いや、そうであってほしい。

「わざわざありがとうございます」

「いいのよ、仕事だしね。見取り図を見ても最初は分かりづらいかもしれないから、そこの粗大ゴミも連れていきなさい」

 苦笑してジョヴァンニを横目で見ると、白目を剥いて横になっている。いまだにペンは眉間に垂直に突き刺さっており、伝説の勇者でも現れないと抜けそうもないほど立派だった。

「いや、なんか気絶してるんですけど、大丈夫なんですかこれ」

「叩き起こしなさい。あんなのは朝飯前よ、まったく大袈裟なんだから」

 そういって肩を竦めるアテナさんを見て、乾いた笑いしか出てこなかった。あれが朝飯前なのか、ということには突っ込まずにジョヴァンニを無理やり起こす。肩を貸してやって、なんとか西階段へと向かった。


「全く、あれが姉の態度かってんだよ」

 ジョヴァンニはポケットから取り出した包帯をぐるぐるとおでこに巻いて愚痴をこぼした。普段からああいったことをされているせいで、包帯は欠かせないんだと胸を張って言われた。そこは自慢するところでもないし、嫌がることをいうほうが悪いのではと思ったが、口には出さないでおく。

 それにしても、記憶を失くした僕を介抱してくれた人がアイで良かったと心底思う。アイは今頃、買い物の途中だろう。

 包帯を巻いているというのに元気に階段を二段飛ばしで進んでいくジョヴァンニの後に続く。目指す場所は三階なので、思ったよりも早く上りきった。

 途中で人とすれ違うこともなく、三階はひどく閑散かんさんとしていた。広すぎて人が見当たらないのか、あるいは元から人が少ないのか、初めて来たのでよく分からなかった。

 手前の本棚を見ると、側面に白いパネルが貼ってあり、黒い文字で『A』と記載されていた。ということは、ここから五つ目の本棚が『E』の本棚だと推測できる。

「確か、『E』の本棚だったからこっちだな」

 僕とアテナさんの会話を聞いていたのか、ジョヴァンニが淀みのない足取りで奥へと進んでいく。後を追いかけようとしたところで、突然けたたましい爆発音が図書館の静けさを破った。

「ジョヴァンニ、またお前悪さしたのか?」

「いや……キョウ。これは俺じゃない。きっと何かトラブルがあったんだ」

 なんだか嫌な予感がしたので、きっとジョヴァンニが何かしたんだろうと思ったが、流石に毎回彼のせいというわけでもないらしい。

「ジョヴァンニ、どうする?」

「そうだな、とりあえず一階で姉ちゃんと合流……って――」

 爆発音はすでに収まっていたが、本棚の軋む音と振動にジョヴァンニの声が掻き消される。

 三階にある本棚が、まるで悲鳴を上げているかのように動き出していた。

 瞬く間にたくさんの本棚が移動して、通路が入り乱れる。目の前にも本棚が行く手を阻むように立ち塞がり、先ほどまで前方にいたジョヴァンニには声すら届けられなくなってしまった。物音は階下からも聞こえてくる。図書館にある全部の本棚が動いているのかもしれない。

「いったい、何がどうなっているんだ?」

 本棚は左右のみならず、横の壁や天井にまで張り付いてまるで立体迷宮のように入り乱れている。軋む本棚の音とは別の音が、不意に耳に飛び込んできた。

 背後を振り返ると、そこには赤色の派手なローブで顔を隠している誰かがいた。ローブの袖には金の刺繍が施されており、目を凝らすとそれらはルーン文字だと理解することが出来た。魔導書や魔方陣に用いられる文体である。

 そのまましばらく注視する。赤いローブは膝上までしかなく、関節がむき出しになっていた。肌は薄い茶色で関節にはいくつかの線が見える。球体関節だ。

「操り人形か……?」

 突如、人形があざ笑うように頭をがたがたと震わせると被っていたフードが脱げて無機質な表情が晒される。まるで骸骨のようになんの装飾も施されていない薄茶色の顔。気味の悪い眼窩がんかがじっとこちらを刺すように見つめているのが分かった。

 その眼窩に赤い灯がぼおっと宿った。そして頭を一回転させたかと思うと両腕を大きく伸ばして手を開いた。鋭い刃物が、爪の先から生える。十センチほどの刃物が不気味に輝き、刃同士がぶつかる金属音が鳴り響いた。

 背後は本棚で逃げ場はない。そして眼前には刃物を持つ傀儡くぐつ人形。こんなことなら、大人しく草むしりをしておくんだった。そんな後悔が、脳裏を過った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る