騒がしい闖入者
魔方陣から出てきたのは、見たこともない男だった。
「うぃっすー、郵便だぜ。ってあれ、座標がずれたかな?」
反射的に思わずびくりと肩を震わす。もっと酷いのはリリィのほうで、面白いぐらいに口から液体をぶちまけていた。そして、それは魔方陣から出てきた男のスボンを瞬く間に濡らした。
「おわっ!? なんだなんだ?」
「なんだって、あんたがなによー!」
リリィは大層ご立腹のようで、驚いている男の腹の辺りに飛び蹴りをかましている。
しかし、それをものともせず虫でも払うように手を振り回す男――赤い髪はオールバックで、探検家のような薄茶色の服に、革のベルトや小さなポーチが沢山ついている。
リリィの攻撃に全く怯むことのない屈強な体は、鍛えているのかがっしりとしていて、頼りがいがありそうに思えた。
彼の右手が腰に巻き付いているポーチの一つに伸びた。中から一枚の封筒を取り出して、宛名を確認しているように見えた。
「ほい、お届けもの。キョウってあんただろう?」
「え、僕宛て?」
おう、と気持ちの良い返事をする彼から封筒を受け取る。
「どうも、ところで君は?」
「うん? ああ、俺はジョヴァンニ。いつか世界一美味いコーヒーを淹れる男だ!」
「は、はぁ」
なんだか熱量が自分とは違う気がする。僕の代わりに突っ込みをいれるように、リリィがまた飛び蹴りをかました。
「いてて、やめろって、ごめんな! ほらこの通り!」
ようやくジョヴァンニと名乗る男が土下座をしたことで怒りを収めたリリィがストローに口をつけて吹き出さないように慎重に飲み始める。
僕はジョヴァンニに冷たい飲み物を渡しながら、質問することにした。
「それで、なんで急に魔方陣から出てきたの?」
「そりゃお前、その封筒みろよ。機密文書ってやつを届けるためさ」
「機密文書?」
手元の封筒に視線を落とすが、ただの封筒に見えた。中身を確認するために封を切ろうとしたら、表面からインクが滲みだすように見慣れない文字が浮かび上がる。
「ああ、それ。受け取り主が解錠呪文を唱えないと開かない仕組みだな。他のやつが代わりに実行しようとしても魔力の差異で開かないんだよ」
確かに、家にある魔導書のなかで魔力にも人それぞれ微妙な個性があると書いてあったのを読んだ記憶があった。
「解錠呪文ねぇ……。こんなの、受け取ったことないから分からないよ」
「は? じゃあ誰がお前にそれを送ったんだよ」
「知らないよ、ジョヴァンニは知らないの?」
「うーん、その封筒は差出人が分からないようになってるから分からないな」
「だったら、解錠呪文だけでも教えてくれない?」
「いや、俺そういうのは詳しくないから。へへっ」
「……じゃあこれ開けられないじゃないか」
「だな!」
とびっきりの笑顔を向けて応えるジョヴァンニを見て、思わず溜め息が零れた。
蚊帳の外であるリリィは無事に喉を潤せたようで、満足そうに羽を伸ばしていた。
「えっと、他に開けられる方法はないの?」
ジョヴァンニはうーんと顎に手を置いてしばらく考え込んでいたが、結局は何も浮かばなかったようで首を横に振った。
「それが開けたいの?」
いつの間にか近づいてきたリリィが、封筒を興味深そうにのぞき込んでいた。
「うん、僕にしか開けられない鍵が掛かっているらしいんだ。開けるための魔法が分からないから、お手上げ」
残念なことに、この家にある魔導書は一通り確認してあるが、解錠呪文に関するものはなかった。初歩的な魔法すぎてここには置いていないのか、はたまた高度な魔法すぎて文献がないのか、前者だとは思うが残念なことである。
「うーん、グリモア魔法図書館に行ったら、こういうのに詳しそうなのが沢山ありそうだけど」
リリィがそういうと「それだ!」とジョヴァンニが指を鳴らした。
「グリモア魔法図書館に解錠呪文の魔導書、あった気がするぜ!」
「本当に? なんだか、ジョヴァンニのいうことは信憑性に欠ける気がする」
「おいおい、俺を誰だと思ってるんだよ。いつか世界一美味しいコーヒーを淹れる男だぜ?」
「さっきも思ったけど、その決め台詞みたいなのは何なの?」
「ふっ、よくぞ聞いてくれた。あれはそう、俺がまだ十歳だったときの頃……」
あ、これは長くなりそうだ。
僕はそっと席を立ち上がる。雄弁に語る彼を背に、食べ終えた食器たちを片付けるためにキッチンへと向かった。
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