シビュラの妖精
山の麓に着くころには、まだ涼しいというのに彼は汗だくで、息が上がっていた。普段から家に籠っているからこういうことになるのだ。これからは外にも出させよう、そうしないとカビでも生えそうだ。
「妖精しか入れない大きさの家だから、ちょっとだけここで待っていてくれる?」
リリィが尋ねてくると、彼は待ってましたといわんばかりにその場に座り込んだ。
「じゃあ、ここで待ってるね」
「うん、すぐに戻ってくる!」
言うが早いか、目にも止まらぬ速さで飛んでいくリリィを見送り、彼の横に腰を下ろす。
「アイは、全然汗かかないんだね」
「うん、なんか全然かかないんだよね。そんなに疲れもないよ」
「羨ましいなぁ」
「今度から、運動もしないとだね」
他愛もない会話をしていると、今度はとてもゆったりとしたスピードで大樹から二人の妖精が近付いてきた。
「あ、来たみたいだよ」
私が立ち上がりながらいうと、彼もすぐに立ち上がった。まだ疲れているのかわずかに膝が震えている。それを見てなんだか笑えてきたが、必死に耐えた。
「お待たせ! お婆ちゃんを連れて来たよ!」
「おおぉ、若いお二人さん。わざわざ遠くまで、悪いねぇ」
おっとりとした口調のお婆さんはにっこりと微笑んでいる。羽はリリィと同じように透き通っていて綺麗だったが、顔はしわが深く、短く整えられた髪はどちらかというと銀というより白さが
動かしていた羽を休め、地に着いたお婆さんは深くお辞儀をした。
「まずは、こんな老いぼれなんぞのために解毒薬なんぞ作っていただいて、本当に感謝しとる。ありがとう」
「そんな、とんでもないです。顔を上げてください、お婆さん」
そういっても、お婆さんは中々顔を上げようとせず、今度はリリィにもお辞儀を促した。
「あんたは本当、こんな優しいお嬢さんのところでサンキライの実を盗もうとして……ほんとうに、情けないわぁ」
「ごごご、ごめんなさいっ!」
リリィはお婆さんにぐいっと引き寄せられて、横で同じようにお辞儀をした。
「いいんですよ、そのことに関してはお婆さんを想っての行動だと重々承知しておりますので……」
「だってさ、お婆ちゃん!」
リリィがぱっと顔を上げると「あんたは黙ってなさい!」と一喝され、いつぞやの盗みが見つかった時のように縮こまってしまった。
すかさず彼が、まぁまぁ、とお婆さんを
「んで、坊やが記憶喪失の子かねぇ?」
「は、はい。そうです」
私が彼の代わりに経緯を説明すると、お婆さんはふむふむと何度も頷いてから彼に説明した。
「あたしはねぇ、人の過去を見ようと思えば見れるんよ。言い出しっぺが警告するのも変だけれど、過去を見るというのは必ずしも坊やにとって良いことになるとは限らないんじゃ」
「……どういうことですか?」
「例えばねぇ、前にもいたんだよ……。ちょうどそう、坊やみたいな子がねぇ。その坊やはあたしに過去を見てくれと何度も頼み込んできたんじゃ」
お婆さんの横にいるリリィはそれは知らない話だ、といった様子で耳をそばだてている。
「最初は拒否したよぉ。なんせ体力を使うし、人間の過去なんて見たところであたしにはなーんの得もないからねぇ。でもあの時の坊やは何度も何度も頭を下げて懇願してきたんよぉ。しょうがないから、一度だけだと言い聞かせて過去を見た。そしてあたしはひどく後悔したねぇ。いや、本当に後悔したのはその坊やだったかもしれないけれど」
お婆さんはゆっくりと息を吸い込む。
「その坊やは、人殺しだったのさ」
その瞬間、空気が凍ったように感じた。
人殺し。人を、殺した……?
彼の顔を見る。もしも、彼が人殺しだったら……?
考えようとしてすぐに思考を振り払った。こんなにも優しい人がそんなことをするはずがない。少しでも疑いかけた自分を情けなく感じた。
隣でごくりと生唾を飲み込む音が聞こえる。
「……それで、その人はどうなったんですか?」
「そりゃあもう酷かったよぉ。全く認めようとしなかったさぁ。すぐ他の人たちに取り押さえられて取り調べをうけていたねぇ。で、結局あたしの言ったとおりその坊やは殺人者だったわけさぁ。色々と訳アリだったみたいでねぇ」
誰も返事をするものはおらず、沈黙が続いた。しばらくして、口を開いたのは彼だった。
「今の話を聞いた後でも、僕の気持ちは変わりませんよ。僕は人殺しでもないし、後ろめたいことは何もないと信じていますから」
「わたしも、こいつはそんな奴には見えないよ!」
リリィがお婆さんを覗き込むようにして、羽を動かしている。
「私も、そう思います。一週間近く一緒に暮らしてきましたが、良い人です」
皆に言い寄られて、お婆さんは溜め息を吐いた。真面目な話をしているのに、彼はなんだか照れ臭そうにしている。
「まぁねぇ。それはあたしも坊やの顔をみて確信しているけれども……一応確認しておこうと思ってねぇ。坊や、本当にいいかい?」
「はい。お願いします」
お婆さんは深く頷くと、細めていた目をゆっくりと見開いて、彼の瞳孔を凝視する。
しばらくすると、まるでケーキの蝋燭を吹き消すように、お婆さんが息を吐いた。
「あんた、なかなか良い男だねぇ」
彼は面食らったように目をぱちくりとした。
私も似たような顔をしていたのか、リリィがこちらを見てくすくすと笑っている。
「もう終わったんですか? どうだったんですか?」
彼が訊ねるとお婆さんはあっけらかんと答えた。
「どうも歳のせいか上手く見れなかったけどねぇ、家族想いの良い子だ。小さい頃から離れ離れの家族のことが大好きなのが分かったよぉ」
「家族、ですか……」
「うむ。んで坊や――キョウって名前だねぇ、そして魔法使いだ」
この場にいた全員が驚いた。名前よりも、魔法使いだという事実に。
「え……? 僕が魔法使いだって?」
「そうだぁ。そんぐらいしか見れなかったが、間違いはねぇよぉ」
お婆さんは自身に満ちた表情で頷いた。
「すっごーい! あんた――キョウっていうんだっけ。キョウも魔法使いだったんだ!」
「じゃあ、私が魔法を使うときに手を添えてくれたのは、私の魔法に魔力を分け与えるためだったの?」
私がまだ信じられないといった様子で彼に訊くと、物凄い速さで手を横に振り始めた。
「ぜ、全然分かっていないよ。もしかしたら、無意識だったのかもしれないけど」
彼――キョウが魔法使いだった。私と、同じ。
何だか変に慌てているキョウを見ていると急に笑えてきて、思わず声に出して笑った。きっと抱えていた悩みが晴れたということもあると思う。つられて、キョウもリリィも笑う。お婆さんは、そんな私たちを暖かい目で見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます