錬金魔法
机の上にある余計なものを取っ払い、ペンで魔方陣を描く。その上に、リリィが摘んでいたサンキライの実を並べた。
「わたし、魔法を見るのは初めて!」
リリィが興奮しているのか、先ほどよりも羽を激しく動かしている。羽風が私の頬をすっと撫でた。その様子を見て少しだけ不安がよぎったが、臆していては出来るものも出来なくなる。
「ほんのちょっとした魔法だから、大したことはないよ」
それは本音であり、決して
「じゃあ二人共、ちょっとのあいだだけ静かにしていてね」
彼は黙って机の上を凝視している。
私はごくりと生唾を飲み込み、深く息を吸う。目を閉じて、体の奥底に眠る魔力を呼び起こす。
静寂が、部屋を包み込む。
自分の息遣いと、心音がやかましい。
それでもなんとか魔力を十分に練り終えた感触があった。ゆっくりと目を開ける。
そして、魔導書に書かれている呪文を唱えた。
空気がざわめき、机の上に置いてあるサンキライの実がひとりでに動き出す。
空間が、一瞬歪んだように揺らぐ。
目の前に、リリィが持っていた
蛍の光のようにその場に停滞している光は何だか可愛らしく、いつ見ても
――いつ見ても?
突如、光が蜃気楼のようにぼやけたかと思うと、ぐにゃりと捻じれて曲がった。
「……ッ!」
魔方陣が、端から消えていく。
練れた魔力が少なかった?
詠唱手順を間違えた?
そんなはずは、ない。
どうして?
自分に問うが、答えが見つかるはずもない。
光は原型を留められず、次第に弱っていく。
このままでは失敗してしまう。何とかしないと。
震える手をぎゅっと握ると、それを包むように手が握られた。
「大丈夫、集中して」
耳元で声が聞こえる。とても優しい声。安心する声。懐かしい声。
その言葉が、頭の中で何度も何度も反響する。包むようにして握られている手から、力が流れてくるように感じた。
途端に光が輝きを増して、一度強く輝いたかと思うとそれはあっという間に消え去った。
目の前には、何事もなかったかのようにサンキライの実で作った解毒薬が出来上がっていた。
「すっごーい! 本当に魔法で解毒薬を作っちゃった!」
こちらの苦労をよそに、リリィが羽をぱたぱたと嬉しそうに動かして飛び回っている。
「アイ、本当にありがとう!」
「気にしないで。そうだ、そこにある小瓶に解毒薬を詰めていいからね」
リリィは大きく頷くと、すぐに小瓶のほうへ方向転換して飛んでいった。
「ふぅ、良かった……」
出来上がった解毒薬と、リリィの満面の笑みをみて安堵したと同時に、椅子にもたれかかる。どっと疲れがでた。
「お疲れ様、アイ」
「ありがとう、助けられちゃったね」
いつの間にか離されていた彼の手を視界に収めたまま答える。
彼は照れ臭そうにしながら「僕はなにもしてないよ」と笑う。私の手に、彼の温もりがまだわずかに残っていた。
外に出ると風が心地よく吹いて、気持ちを楽にしてくれた。緊張から解放されたからか、いつもより空気が澄んでいるように感じる。
解毒薬を詰めた小瓶をしっかりと抱えたリリィが、改まってお辞儀をした。
「アイ、それにあんたも。こっそり盗み出そうとしたわたしなんかのために魔法まで使ってくれて、本当にありがとう!」
「まぁ、僕は何もしていないけど……。早くお婆さんが元気になるといいね」
彼に同意するように、私も頷く。すると、リリィが
「悪い魔法使いもいるって聞くから、ちょっと不安だったんだ。でも、優しい人たちで本当によかった」
私が魔法使いだと名乗ったときに、一瞬表情が曇ったように見えたのはそういうことかと納得する。悪い魔法使い、という単語に彼は眉を顰めていたが、深く追求することはなかった。
「それじゃ、近々必ずお礼にくるね。二人とも元気にしてなよー!」
そういいながら、リリィは小瓶を抱えているのにも関わらず軽やかに飛び去っていく。
「気を付けてねー!」
精一杯大きな声で言ったつもりだったが、聞こえていただろうか。
春とはいえあまり風に当たっていると少し冷える。先ほど元気にしてなよと言われたばかりで風邪をひくわけにもいかない。私たちは急いで部屋へ戻った。
部屋に戻り片付けを済ましてから、空いている椅子に腰掛ける。
彼は顔を伏せて、何かを考えているのか静かにじっとしていた。
「記憶が戻るまで、うちにいていいからね」
私が心配させないように諭すと、彼は伏せていた顔を上げた。
「それは、アイに悪いよ」
「でも、他に行く当てがあるの?」
「それは……」
口ごもる彼を尻目に、両の手を叩く。ぱちん、と気の抜けた音がして彼が目をしばたたいた。
「はい、じゃあ決定ね。これからよろしく」
彼は何か言いたげな様子だったが、すぐに頭をぽりぽりと掻いてから笑みを浮かべた。
「こちらこそよろしく。ありがとう」
少々強引だが「じゃあさようなら」と家を追い出すわけにもいかない。それに、彼のことをもっと知りたいとすら思っていた。
「さてと、お昼ご飯の支度をしなくちゃ……って、あ、洗濯物とりこまないと」
「僕が取り込んでくるよ」
素早く椅子から立ち上がる彼を、慌てて引き止める。
「ま、待って! それはだめ、私が行くから」
今にも歩き出そうとする彼のローブの袖をぐいと掴むと、彼が自信満々に答えた。
「任せてよ。記憶喪失っていったって、それぐらいのことはできるよ」
「ち、違うの! そうじゃなくて、ほら、その、下着とかも……あるから……」
「あっ、ご、ごめん」
彼は一瞬で顔を赤らめて「じゃあお昼は僕が」ともごもごしながらキッチンへと向かっていった。
早くも先が思いやられる。洗濯物はこれから絶対に私がしようと心に誓い、ベランダの方へと向かおうとしたとき。がしゃん、とキッチンから騒々しい物音と共に「しまった!」と声が飛んできた。
私はやれやれ、と溜め息を吐いた。それでも、何故だか頬は緩んでいた。
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