第1話 婚約、そして自由へ
「初めまして、スカーレットと申します」
スカーレット・ロイド伯爵令嬢……レッティは一生懸命練習したカーテシーを必死に未来の旦那様にお見せした。
舌ったらずの鈴を転がすような声で、事前に言われた通りに初めましてのセリフを言えた。
レッティは燃えるような赤い髪の毛を可愛らしく結い上げてもらい、7歳の子供ながらに化粧もバッチリで気分はまさにお姫様だ。
くりくりの大きな空色の瞳で、レッティはこっそり婚約者を盗み見た。
少し年の離れた黒髪黒目の見目麗しき婚約者にレッティの幼い心臓がドキドキする。
――こんなに素敵な人と結婚するんだ……。
自称姫君のレッティの妄想が更に花開く。
「………………」
しかし、未来の旦那様こと、アルフレッド小公爵様はプイッとそっぽを向いた。
あれれ?年上のお兄さんなのに少し子供っぽいみたい?
「アルフレッド!良い加減にせんか!」
その態度についにジェイムズ・アルガー公爵様が孫を叱った。
ジェイムズ公爵様はまだうんと若い頃に、北の森の奥のお城に住んでいた悪い魔女をやっつけて沢山の凄い勲章を貰っている有名な人だ。
元々怖い顔をしているのに、怒ると更に怖くなってしまう。
なのに、アルフレッド様はそんな自分のお祖父様の怖いお顔にはちっとも反応を示さない。
怒られ慣れているのかな。
公爵夫人は表情を変えず、若奥様は少し困った様に眉を顰めた。
「構いませんよ。男の子があんまり大人に従順なのも心配ですから。
反骨精神がある方が我が娘の結婚相手としては頼もしいというものです。
アーノルドも上に噛み付いてばかりの楽しい男でしたから」
険悪な空気が流れる前にレッティの父であるラッセル・ロイド伯爵が間に入る。
アレックスの父親の名前を出して鷹揚に微笑んだ。
あたし……レッティとアルフレッド様の婚約は、それぞれが産まれる前に、公爵閣下のご子息……アルフレッド様の父君のアーノルド様とレッティの父親の酒の席で、その場のノリで決められたらしい。
父は上官だったアーノルド様を戦場で救い、命の恩人となった事がきっかけで二人は大親友となった。
そして、こうして田舎者の伯爵家に不相応とも言える話が来たのだった。
アーノルド様は数年前に病気で亡くなっているけど、父がお友達との大事な約束を守る為に、レッティはここに連れてこられたのだ。
「伯爵にそう言って貰えると助かる。
婚約者……と言っても候補の一人だ。
アーノルドの事があるから、無論、前向きに考えてはいる」
ジェイムズ・アルガー公爵は難しい顔のまま頷いてくれた。
レッティは父の為にもやる気十分でこの日を迎えたのに、結局その日はアルフレッドはレッティと目線すら合う事は無かった。
そして、将来の公爵夫人としての教育が始まるも、レッティは中々の野生児だったので、家族は非常に苦労した。
木登りをして落ちてしまい、オデコに擦り傷を作った日には、父はおおらかだったので笑っていたものの、母はショックで卒倒していた。
レッティは婚約したその日から公爵家からの預かり物なのに……と。
そして婚約から数年、本格的な教育を受ける為にアルガー公爵家の所有する領地で一年の半分以上を暮らす事になったのだった。
少しは婚約者と仲良くなってくる様にと、よく言い含められている。
領地にはアルフレッドの母君であるリディア様も普段から滞在しているらしい。
厳しそうな公爵夫妻は別のところに住んでらっしゃるらしく、レッティは少し安心した。
アルフレッドはアルガー公爵の唯一の跡取りとして、領地経営について既に学び始めているのだとか。
そして、家族の見送りを受けて、立派な馬車に乗り数日。
ついたのは、大きな白くて立派なお城だった。
近くに広い森が広がる自然豊かな場所。
これからレッティが暮らす場所。
「遠いところまでよく来てくれたわね、スカーレット。
レッティって家族からは呼ばれてるのよね?
私もこれからはレッティと呼ぶわね。
なんて可愛らしい子。私、ずっと娘が欲しかったのよ。
後でバラの咲くお庭で一緒にお茶を飲みましょう」
アルフレッドの母、リディア公爵夫人は息子と同じ黒髪黒目の大変麗しい人だった。
ほっそりとして、儚げな印象の持ち主だ。
体が弱く、特に夫を亡くしてからは精神的なショックからか、よく熱を出して寝込んでしまうらしい。
未来のお義母様は優しげな印象のとおりレッティをよく可愛がり、様々な宝石やドレスをプレゼントしてくれた。
庭にレッティの髪の様な赤い花弁を付ける薔薇を植えてくれると約束してくれたり、何かと気に掛けてくれる。
だから家族と離ればなれになったのは悲しかったけど、リディア夫人のお陰で楽しく過ごすことができた。
そして、アルフレッドはというと、なんとこの愛らしい幼い婚約者をほったらかしていた。
確かに多少の年齢差はあるけれど、レッティは愛に歳の差なんて関係ないという事を、家族にナイショで本を読んで知っていた……母親の隠し持っていた恋愛のお話の本である。
その為に最初のうちは実に不服であった。
この歳の割には賢いのに、その知識には偏りがある、それがスカーレットという令嬢なのだ。
――あたしの婚約者様はお食事も自室にこもって一緒にとってくださらないのね。つまんない。
しかし、しつこくしては嫌われるという事を、母所有の貴族の女性の間で流行っている恋愛マナー本で知っていたので、レッティは何も気にしていませんという態度を貫いたのだ。
そして、麗しのアルフレッド様は愛らしい幼い婚約者にこうおっしゃった。
「俺はお前に構ってやる暇は無い。領地内では勝手に過ごしてろ」
許可を得た。
レッティは許可を得た。
レッティは実家ではあれをしちゃダメ!これをしちゃダメ!と厳しく言われていたが、なんと、将来の領主たる未来の旦那様が勝手に過ごして良いと許可をくれたのだ。
「かしこまりました」
少しだけ上手になったカーテシーを披露しつつ、レッティは内心では大喜びだった。
早速近くのあの森に行って探検だ!
いや、その前に動きやすい服に着替えねば!
やがて冒険者として――活動の際には別の名を名乗るにしても――世界的にも有名になる少女は自由を得てしまったのだった。
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