第2話 視察

 帰る方法はわからないので、慌てても仕方ない。昨晩、義行は就寝前にグラス一杯のワインを飲み、気持ちよーく眠りについた。


「うーん、朝か……」


 朝日は入ってこない部屋だが、カーテンの隙間から外が明るくなったのがわかる。


 義行はベットの上で伸びをした。仕組みはわからないが、ベッド横の棒時計は五時五十分を指している。決しておじいちゃんというわけではない。単に生活サイクルが朝型で、ほぼ六時前に目が覚めるのだ。


 そして、覚悟を決めた義行に迷いはなかった。

 昨日と同じシャツとズボンに着替える。


「なにか?」 


 シャツなんて二日くらいなら同じものでも死なないというのが義行の考えだ。ただし、下着は毎日取り替える。義行はこういう男なのだ。

 部屋を出ると、食堂からうっすらとなにかの香りが漂ってくる。「コーヒー飲みてーなー」とボヤキながら食堂に入る。


「クリステイン、マリー、おはよう」

「ま、魔王さま……? 六時ですよ」

 当り前のことを言われた。

「六時に来ちゃマズかったか?」

「い、いえ。いつもは私が起こしに行って、三十分はベッドから出られ……。ああっ、新生魔王さまでしたね」

 義行は昨日聞いた、『魔王は朝が弱い』ということをもう忘れていた。

 

 クリステインの、昨日とさっきの物言いから、『あなた本当に魔王さま?』と疑がっているのがはっきりわかる。しかし義行は、『魔王さまですがなにか?』とすまし顔で椅子に座った。


「マリー、朝飯を頼む」

「かしこまりー」

(どこの居酒屋や!)


 しばらく待つと、パンとスープとサラダが運ばれてきた。昨日と同じメニューだ。 

 義行はパンをちぎって口に運ぶ。


「パンはフワフワ、味も悪くない。技術はあるんだろうな。たぶん、酵母なんかもあるな。卵やウインナーは今日もない。これは食材自体がない、または非常に高価……」


 義行は朝食一つから、この国の食糧事情を考え始めた。


 こういったときの義行の悪い癖で、声に出してしまい、周りも見えなくなるのだ。そのため、クリステインがじっと見ていることに気づいていなかった。


「そうだ、クリステイン。サイクリウスと話がしたいんだが、サイクリウスは?」

「宰相様ですか? 今日の七時にこちらに来られます」

「『今日』の?」

「ええ、毎日お越しになるわけではございません。基本は週に一回です」

 昨日サイクリウスが居たのは、城下視察の打ち合わせがあったからだと教えてくれた。

「じゃあ待つか。朝からおっさんの顔は見たくないんだがな……」

「単なるおっさんではありませんよ。食えない狸親父です」

「アハハ、クリステインも言うな。でも、驚く顔が見られるか?」

「いえ、あの方はこのくらいで驚くことはないと思います」


 果たして、七時五分前にサイクリウスが食堂に現れた。


「つまらん。本当につまらん。なんだ、あのすました顔は!」

 思わず、クリステインに食ってかかる義行だった。

「だから申しましたでしょう。このくらいでは驚かれないと」

「魔王さま、いったいなにに苛立っておいでですか。私がなにか無礼でも働きましたかな?」

「朝からユーモアが足りん。少しは空気を読め。KYか!」

 苛立ちから、いつの時代だという言葉が出た。

「けっ、けーわい? また訳のわからないことを。別に、魔王さまが先にいたくらいで驚く私ではございません」

「それでも上司が先にいるんだ、忖度そんたくしろ」

「『忖度そんたく』って……、風邪薬か!」

「おー、それそれ。朝からノリがいいな」

「ご満足いただけてなによりです」


 義行は満足はした。

 だが同時に、なんとも言えない違和感も感じた。


「それで、何用でございましょう」

「昨日言ってた城下の視察だけど、今日できるか?」

「可能でございます。ただ城下を歩き回るだけですので」

「OK。十時に玄関前ね」

「お、おーけー?」

「スマン。了承したということだ」

 強引にサイクリウスを納得させ、義行は城下の視察を決めた。


 一度自室に戻り、十時十分前に玄関前に出た。


「あのー、サイクリウスさん。馬車は?」

「魔王さま、そんな余裕がこの城にございますか? あるなら今すぐ出してください。売っぱらってお金にしましょう」

「そんな世知辛い。魔王が城下を視察するんだろ。飾りのついた馬車に、近衛兵が警備に出てくるんじゃないのか?」

 駄々を捏ねれば馬車が出てくるかと思って粘ってみた。


「そうでした、荷馬車がございます。すぐにでも準備いたしましょう」

「ドナドナは止めて!」

 なにを言ってるんだという顔のサイクリウスの斜め後ろで、クリステインが静かに立っていた。

「あれっ、クリステインも行くの?」

「クリステイン君は、六年前まで城下におりました。それなりに情報を持っておりますゆえ」


 ない物ねだりをしても仕方がないので、義行は歩いて行くことにした。


 正門を出て、まず目に飛び込んできたのは市場だ。その市場のある広場に、放射線状に四本の直線道路が繋がっている。


「いやー、広いな……」

「あの、魔王さま。もう何百年とこの状態ですが……?」 

 クリステインのそんな発言を義行は無視した。


 時間も十時過ぎということもあり、市場には、買い物に訪れた主婦たちの姿が見える。

 義行は屋台を観察する。車輪や引手は付いておらず、整然と並べられているが空きが目立つ。


「クリステイン、見たところ固定式だけど、それぞれが商店主で、毎日営業してるの?」

「店の軒にある札をご覧ください。黒字の木札は、土曜の午後と日曜日を除き毎日営業しています」

「ほうほう、土曜日は半ドンか」

「壁際に押し込んで、愛をささやくのですね」

「そりゃ、壁ドンや!」


 サイクリウスによる朝の風邪薬発言といい、今の発言といい、義行はこの国のことがわからなくなってきていた。


「えっと……、半日だけ営業ってこと。日曜日は完全休業か。健全だな」

「それが健全なのかどうかはわかりませんが、休むことも必要です」

 日本にいるとそれが異常に思えてくるが、それが普通だと義行も思う。

「あっちの店は赤字の木札だな」

「あちらは、臨時で数日間だけの営業や、今日一日だけ店を出すの場合に与える許可証です」


 正門を出てから思いつくままクリステインに質問しているが、義行はそのことに全く気付いていない。一方のクリステインもツッコむこともなく、淡々と答えてくる。


 そんなクリステインのありがたい講義を聞きながら、義行は店の商品を見ていった。野菜だけの店、小麦だけの店もあった。魚や肉を扱う店などは両手で数えられるほどで、立ち食いの屋台なんかもなかった。


「葉物野菜ばかりだな、根菜類がない……」

「ここがなくなると、我々は死を待つのみです。それだけ重要な場所といえます」

 そう言われたが、物の溢れた日本にいた義行から見ると、『死ね』と言われてるよと思った。


「今の時期、種類と量はこんなものなの?」

「例年どおりです。ここ十数年、大きな天災も起きておらず、生産量は安定しています」

「タンパク源が少ないけど」

「あの、タンパク源とは?」

「ごめん。肉や魚のこと」

 ちょいちょい使い慣れた言葉が出てきて、魔王になり切れていない義行だった。


「肉は、畑仕事や荷馬車の運搬に就けなくなった馬が屠殺とさつされたとき、山で動物が狩れたときに出回るくらいです。魚はそこそこ売られていますが、毎日大量に出回ることはありません」

「川魚?」

「はい」


 やはり、昨日の魚がそうなのだと理解した。

 そして、クリステインが車道の方に寄って指さした。


「あそこです。遠くキラキラと光っているのが見えますか? 海ですが、荷馬車で五、六時間でしょうか。そのため、海の魚は傷んでしまいますね」

「乾物は?」

「あの……、乾物とは?」

「いや、いいや……」

 クリステインが淀みなく答えてくれるため、義行も思いつくまま聞いていたが、さすがにまずいと気付いた。

「なるほどな、この国は小麦が主食で、そこに多少の野菜。肉や魚は希少で、乳製品もない。折角の海がありながら、城下はその恩恵を得られていない」

 ブツブツと呟きながら考え込む義行を、クリステインは静かに見守っていた。


 ただ、その横ではサイクリウスが二人をいぶかしげに見ていた。


「ちなみに、食糧品以外の店は?」

「ここから反対側、三番街道と四番街道を中心に店を出しております」


 義行たちは三番街道に向かった。


「服なんかは、一品一品、その人に合わせて作ってるの?」

「ある程度貯えのある者は、自分に合わせて注文もしますが、通常はでき上がったものを買っております」

「木工関係は、テーブル、椅子、棚でいい?」

「そうですね。幸い、この国は山に囲まれておりますので、木材の入手は比較的簡単です。それなりのものは作れるかと思います」

 衣類や生活用品は問題ないと義行は思った。


「四番街道にはどんな店が?」

「四番は、主に鉄や銅製品を扱う店と様々な工房です」

「ガラス品や陶磁器はどうしてるの?」

「それは、各街道のさらに奥に製作場を構えています。焼窯や乾燥場が必要ですから、広い場所を確保しています。各街道に店だけ構える感じです」

「レストランのようなものは?」

「レストランとは?」

「えっと、料理を提供して代金を受け取るような店と言えばいいのかな」

「食事は各家庭で作りますので、そのような場所はございません。商売として成り立つのはパン屋や酒屋くらいです」

 再び立ち止まり、義行は改めて情報を整理した。


 喫緊きっきんの課題は、やはり食糧だ。


「ここから先は、一般居住区か」

「そうですね。市場のある半円広場から、今いる辺りまでが商店区域で、そこから先が一般居住区と、どうしても広い土地が必要になる工場やその他工房です」

「治安はいいの?」

「犯罪はありますが、治安維持部隊がしっかりしてますのでいたって平穏ですね。この三番街道を少し行くと、治安維持部隊の隊舎があります」

「わかった、ありがとう。一度戻ろうか」


 目的を果たせた義行は帰ろうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。


「魔王さま、もう視察はよろしいのですか。下町の方には行かれませぬか? ここで魔王さまは国民のことをしっかり見ていますよアピールも必要かと……」

「いやー、ここから先はかなり広いようだし、馬車が必要だろ? でも拒否されちゃったからなー」

 義行はねっとりとしたと笑顔で切り返した。


 義行は、「今日の目的は達成したし、これで十分だ」と宣言し、サイクリウスをほったらかしにして、クリステインとサッと門をくぐって屋敷に戻った。

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